人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
今年度の修論・卒論試問
◆大学院入試の合格発表までのスケジュールの関係でしょうか、院試が2月13・14日(水・木)なので(14・15でないという意味)、試問が8日(金)と12(火)と3連休をまたぐ。わたしの場合、8日がメインなので、それまでになんとか読まなければならない。それが終われば3連休があり、自分が主査でない卒論3本を読めばよい。
◆8日(金)は、終わってから大歴の編集委員会もありました。
◆8日(金)は、終わってから大歴の編集委員会もありました。
テジョヨン
◆このところ、秋から韓流ドラマのテジョヨンをGYAOで見続けている。130話もあるもんで。テジョヨンとは渤海の建国者です。はじまりのあたりは見てません、途中からです。唐の太宗李成民の高句麗遠征、それを退けたヤンマンチュン。しかしついに7世紀後半、唐は新羅と結び、百済を滅ぼし、ついには高句麗も滅亡する。
◆2月2日は加古川。夕方出て泊。
◆3日、朝ごはんを父親と食べ、大阪に向かい、研究室10:40.ひたすら先手打ちの仕事。研究費の残額処理も1月中にほとんどできず、この日にやったのだったか。修論・卒論読みの計画とか、も。
◆4日は研究室に行かず、ひたすら国分周辺で修論2本を読んでいた。
◆2月2日は加古川。夕方出て泊。
◆3日、朝ごはんを父親と食べ、大阪に向かい、研究室10:40.ひたすら先手打ちの仕事。研究費の残額処理も1月中にほとんどできず、この日にやったのだったか。修論・卒論読みの計画とか、も。
◆4日は研究室に行かず、ひたすら国分周辺で修論2本を読んでいた。
白石先生の論文集
◆1月31日〆切。なんとか前日の30日に送信する。あまり量は書けないので、ちゃんとした反論になっていないが、墳丘・石室の記載を重視した。
◆次は中尾さんの論文集。この間、1月31日に大学で泊まり、途中3時間ほど寝たのだったか、仕事を続け、そこで少しこの論集に書く予定の作業をした。が、これは苦戦しそうです。3月末〆切。
◆難波宮本も、ほぼ残り作業をすませ、あとは、もう1人の原稿待ち、にこぎつける。
◆そうこうするうちに、市大日本史の原稿も届き始めている・・・。こんな仕事ばっかりですな。
◆次は中尾さんの論文集。この間、1月31日に大学で泊まり、途中3時間ほど寝たのだったか、仕事を続け、そこで少しこの論集に書く予定の作業をした。が、これは苦戦しそうです。3月末〆切。
◆難波宮本も、ほぼ残り作業をすませ、あとは、もう1人の原稿待ち、にこぎつける。
◆そうこうするうちに、市大日本史の原稿も届き始めている・・・。こんな仕事ばっかりですな。
1月26日は和歌山
◆土日のどっちかは、和歌山か加古川に行く。この日は和歌山。岳父は、サービス付きなんたらの 施設に入っている。お母さんは家で闘病生活。車に乗せて施設に様子を見に行き、買い物をして帰ってくる。日帰りが多かったが、このところ2月は、前日夜に入り、泊まって、翌日午前くらいで大阪に戻るようにしている。
◆この日は、カミサンの職場からだったので、近畿道から阪和道に入り、和泉岸和田で降りて父鬼経由でかつらぎ町に入る。道の駅ができていて、そこで食事をし、地元産品をいろいろ買う。あんまり高いものでなく、ちょこっとしたもの。かみきし屋の焼き餅、干し柿、などなど。この日、黒江まで行き、黒牛を購入。
◆翌日27日の文化財専門職説明会は、大学博物館の仕事などで、諸々こなせておらず、連絡もせず欠席することとなる。すいませんでした。
◆この日は、カミサンの職場からだったので、近畿道から阪和道に入り、和泉岸和田で降りて父鬼経由でかつらぎ町に入る。道の駅ができていて、そこで食事をし、地元産品をいろいろ買う。あんまり高いものでなく、ちょこっとしたもの。かみきし屋の焼き餅、干し柿、などなど。この日、黒江まで行き、黒牛を購入。
◆翌日27日の文化財専門職説明会は、大学博物館の仕事などで、諸々こなせておらず、連絡もせず欠席することとなる。すいませんでした。
富雄丸山古墳の見学
◆1月24日に富雄丸山古墳の発掘現場を見学させていただきました。もう忘れかけてますが、帰ってきてから復元図を書いた覚えがある。
◆翌25日は考古の修論1本・卒論2本の打ち上げ!。3人ともよく頑張ってくれました。
◆翌25日は考古の修論1本・卒論2本の打ち上げ!。3人ともよく頑張ってくれました。
寺家町をぶ~らぶら
◆そのあと、昔懐かしの通学路だった(自転車です)寺家町商店街を歩く。そもそも駅前は大きく 様変わりしてしまっている。昔は、駅前通りにダイエーがあって、東側にジャスコができて、中学生くらいまでは、正月、お年玉をもらうとプラモデルを買いに行ってました。新興書房など、2軒ほど本屋があって、高校時代、よく通ってました。宝殿駅の東から、近世山陽道を東に向かい、国道2号線に出て、加古川をわたり、そのまま国道を東に向かい通ってました。最短記録は15分くらいだったか。
◆寺家町は帰りですね。シャッター街という面もあるが、まだ店舗もちらほら。駅前通りができる前の加古川の中心部だったが、まあさびれてはいるが、静かな住宅地でそれでよいのではないか。
◆駅前に、アナゴ屋があって、名物の店。子供の頃に自分で買うことはないわけだが、今回、立ち寄り、買ってみました。けっこうエエ値段ですが、それはまあ。
◆寺家町は帰りですね。シャッター街という面もあるが、まだ店舗もちらほら。駅前通りができる前の加古川の中心部だったが、まあさびれてはいるが、静かな住宅地でそれでよいのではないか。
◆駅前に、アナゴ屋があって、名物の店。子供の頃に自分で買うことはないわけだが、今回、立ち寄り、買ってみました。けっこうエエ値段ですが、それはまあ。
翁介のラーメン
◆1月19日、母親を見舞う。昼に着き、加古川駅前で腹ごしらえ。翁介の ラーメンを食べに行く。高 校時代、ここか、北海道ラーメンのアイヌという、2軒のラーメン屋に行ってました。
◆おいちゃん、おばちゃんは、昔のまま。高校時代は、1979・1980・1981年度だから、38年前。ラーメンをつくるおいちゃんは、まだ働いている!というくらいの老齢。80代前半くらいだろうか。だとすれば高校時代は45歳くらいだったということになる。むかしあった場所にサンライズビルができたのもだいぶ前、その地下に入っている。若い人というより、われわれ世代くらいの昔ながらの客が次々に入ってきて、繁盛してました。とはいえ、おいちゃんが体がもたなくなると、もう閉じるしかないのであろう。中華そば系列です。
◆おいちゃん、おばちゃんは、昔のまま。高校時代は、1979・1980・1981年度だから、38年前。ラーメンをつくるおいちゃんは、まだ働いている!というくらいの老齢。80代前半くらいだろうか。だとすれば高校時代は45歳くらいだったということになる。むかしあった場所にサンライズビルができたのもだいぶ前、その地下に入っている。若い人というより、われわれ世代くらいの昔ながらの客が次々に入ってきて、繁盛してました。とはいえ、おいちゃんが体がもたなくなると、もう閉じるしかないのであろう。中華そば系列です。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。