人を幸せにする人になろう

2018年3月25日、加古川に戻る

◆朝から移動。10時に着き、飾磨のムサシというホームセンターに出かける。その2回にアークオア シスという画材屋があり、父の誕生日プレゼントほかを買う。そのあと姫路港に行き、2年半前に一度行った姫路みなとニュージアムへ行く(小豆島で石切り場のシンポに行った時のことです)。
◆銀の馬車道は日本遺産となり、江戸時代の飾磨港の模型が新たにできていました(写真)。1980年代頃のどなたかの絵、あるいは明治以来の古写真、これらの現在を示す企画展が行われていました(常設?)。軽いボードにL字金具で脚を付け、相互に連結した、手作り感満載の展示だったが、これがよい。軽いので自立してはいるが不安定、普通の展示では×なのでしょう。ボードの上辺と天井をワイヤーでつなげば十分でしょう。
◆そのあと、飾磨港の昔の港町界隈を通るが、道が細く、限られた範囲しかざっと見れませんでした。ほんとは車を止めて歩かないといけません。
◆そのあと妻鹿漁港(白浜)の海鮮飯屋で食事、15時に自宅に戻る。姉夫婦や妹もやってきて、父親の86歳の誕生会を行う。4月6日はまた検査があり、11日には検査結果の話があるそうです(心臓の問題)。

大学の桜が開き始めました

◆右の写真は24日の朝でしたが(早い樹でほかはまだまだだった)、25日の陽気を経て、本日、26日にはずいぶんと開花が進んでいました。

今年の『市大日本史』レースが始まった

◆今年は4月24日には校了にすることが目標。
◆書評が書けるか書けないか・・・
◆さて次は『ヒストリア』4月号の綏靖陵の報告の原稿。どの学会誌よりも早く出しているんですよ。みんな知ってますか。半年後とか1年後に載るところがほとんどです。
◆結局、綏靖陵の報告で21時までかかってしまった。とほほ。

2018年3月23日、結局は市大日本史

◆ようやっと丸1日空いた時間ができた。あれもこれもと思いつつ、『市大日本史』の自分の原稿を仕上げ、交流の広場や、論文一覧や会務報告や、業績一覧の自分の分とか、そんなことをやっておりました。9時出勤、22時まで、13時間。
◆本日24日、朝8時には研究室、今日は14時間労働である。今日は大歴の仕事です。

54歳となりました

◆3月22日。この日は卒業式。1日、『市大日本史』の仕事をしていました。大会報告1本、コメント 1本、論文2本を入稿した。いま届いている原稿の大きいのはこれで済み(翌日は、自分の大会報告原稿1本も入れた)。
◆夕刻、歴史学謝恩会に出かける。

妻はそんなこと言ってません

◆森友の小学校建設、「前に進めてください」と某婦人。
◆首相は、お前そんなこと行ったのか?。いえ言ってません。で、国会で、そんなこと言ってないと回答。それがまかり通るのが、この国の国会である。

富雄丸山の新しい図

◆航空レーザー測量図のチラシをもらう。円丘部直径110mはちょうど80歩。造り出しの出は5部。墳丘長さは85歩のようである。

介護保険料

◆大阪市はほぼ8000円だそうです。
◆こういうの新聞社が問い合わせないと一覧ができないんですかね。国の省庁は、何をするところなんでしょうか。

もりとも

◆首相夫人付きのどこぞの省庁の役人が、イタリアに逃れている。

もひとつ

◆遺跡の規模を比較しました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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