人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
筆記テスト
◆このあいだ、入試室の人間が教授会にやってきて、入試がこうなるとの説明と意見交換があっ た。まず、なんのための共通テストの改革なのか、どこをどう改善するというのが明確なのだろうか。
◆そもそも学力をどう測るか以前に、学力低下をどう把握し、対策を打っていくか、の方が重要だろう。それが根本で、技術的な改善としての共通テストの改良であるべき。
◆で、大学入試の判定には、(1)高校の内申、(2)共通テスト、(3)個別テスト、の3種類があるわけで、それぞれの役割があるはずだ。(1)高校の内申をできるだけ客観的な絶対評価とする。これで一発勝負でなく高校までの基礎学力をほぼ把握できるはず。(2)はそれとともに実際の学力を共通で測るもの。そして(3)最終的には、なんとかポリシーとかいう建前をもとに、個別大学が最終的な試験を課すわけです。(2)におそるべき労力をかけて、みなが疲弊することをやることに、どれほどの効果があるのか。
◆そもそも学力をどう測るか以前に、学力低下をどう把握し、対策を打っていくか、の方が重要だろう。それが根本で、技術的な改善としての共通テストの改良であるべき。
◆で、大学入試の判定には、(1)高校の内申、(2)共通テスト、(3)個別テスト、の3種類があるわけで、それぞれの役割があるはずだ。(1)高校の内申をできるだけ客観的な絶対評価とする。これで一発勝負でなく高校までの基礎学力をほぼ把握できるはず。(2)はそれとともに実際の学力を共通で測るもの。そして(3)最終的には、なんとかポリシーとかいう建前をもとに、個別大学が最終的な試験を課すわけです。(2)におそるべき労力をかけて、みなが疲弊することをやることに、どれほどの効果があるのか。
四条塚山古墳の石棺???
◆ヒストリアに原稿を書くのに、四条塚山古墳で石棺が露出していたという記録があると、古代学研究会のIさんからの情報。とても重要なので、何に書かれているのかを問い合わせると、丁寧にご教示いただきました。みなさまにも披露します。
◆(1)日長英連『神武聖帝皇陵図話』(1757年?。宮内庁書陵部所蔵本、翻刻なし)。星野良作『研究史 神武天皇陵』吉川弘文館1980年に引用されている、とのこと。その記述「御石棺の角少シ見エテ有シ」。
◆谷森善臣『藺笠のしづく』(1857年)。これは『勤王文庫』大日本明道会 第3編(1921年)ほかに翻刻されているとのこと(『奈良県史』考古、にも)。その記述、「塚山とよぶ円塚あり、塚上に石棺の蓋石のごときもの顕出たりとぞ」 。
◆みなさんはどう考えますか。石棺に見えるもの、それも蓋らしい、その角がすこしと。石棺の蓋の角・・・、家形?屋根状?ということか。が石棺として、直葬かもしれないが、石室石材に関する記述はない。谷森の「石棺の蓋のごときもの」、この「ごときもの」とはなんですかね。ただし、伝聞情報のようですね。で、塚上にあると・・・。「石槨のひとつの天井石の角」かもしれませんね。
◆(1)日長英連『神武聖帝皇陵図話』(1757年?。宮内庁書陵部所蔵本、翻刻なし)。星野良作『研究史 神武天皇陵』吉川弘文館1980年に引用されている、とのこと。その記述「御石棺の角少シ見エテ有シ」。
◆谷森善臣『藺笠のしづく』(1857年)。これは『勤王文庫』大日本明道会 第3編(1921年)ほかに翻刻されているとのこと(『奈良県史』考古、にも)。その記述、「塚山とよぶ円塚あり、塚上に石棺の蓋石のごときもの顕出たりとぞ」 。
◆みなさんはどう考えますか。石棺に見えるもの、それも蓋らしい、その角がすこしと。石棺の蓋の角・・・、家形?屋根状?ということか。が石棺として、直葬かもしれないが、石室石材に関する記述はない。谷森の「石棺の蓋のごときもの」、この「ごときもの」とはなんですかね。ただし、伝聞情報のようですね。で、塚上にあると・・・。「石槨のひとつの天井石の角」かもしれませんね。
2018年3月25日、加古川に戻る
◆朝から移動。10時に着き、飾磨のムサシというホームセンターに出かける。その2回にアークオア シスという画材屋があり、父の誕生日プレゼントほかを買う。そのあと姫路港に行き、2年半前に一度行った姫路みなとニュージアムへ行く(小豆島で石切り場のシンポに行った時のことです)。
◆銀の馬車道は日本遺産となり、江戸時代の飾磨港の模型が新たにできていました(写真)。1980年代頃のどなたかの絵、あるいは明治以来の古写真、これらの現在を示す企画展が行われていました(常設?)。軽いボードにL字金具で脚を付け、相互に連結した、手作り感満載の展示だったが、これがよい。軽いので自立してはいるが不安定、普通の展示では×なのでしょう。ボードの上辺と天井をワイヤーでつなげば十分でしょう。
◆そのあと、飾磨港の昔の港町界隈を通るが、道が細く、限られた範囲しかざっと見れませんでした。ほんとは車を止めて歩かないといけません。
◆そのあと妻鹿漁港(白浜)の海鮮飯屋で食事、15時に自宅に戻る。姉夫婦や妹もやってきて、父親の86歳の誕生会を行う。4月6日はまた検査があり、11日には検査結果の話があるそうです(心臓の問題)。
◆銀の馬車道は日本遺産となり、江戸時代の飾磨港の模型が新たにできていました(写真)。1980年代頃のどなたかの絵、あるいは明治以来の古写真、これらの現在を示す企画展が行われていました(常設?)。軽いボードにL字金具で脚を付け、相互に連結した、手作り感満載の展示だったが、これがよい。軽いので自立してはいるが不安定、普通の展示では×なのでしょう。ボードの上辺と天井をワイヤーでつなげば十分でしょう。
◆そのあと、飾磨港の昔の港町界隈を通るが、道が細く、限られた範囲しかざっと見れませんでした。ほんとは車を止めて歩かないといけません。
◆そのあと妻鹿漁港(白浜)の海鮮飯屋で食事、15時に自宅に戻る。姉夫婦や妹もやってきて、父親の86歳の誕生会を行う。4月6日はまた検査があり、11日には検査結果の話があるそうです(心臓の問題)。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。