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2018ゼミ旅行若狭丹後(24)神明山古墳と丹後古代の里資料館

◆なつかしい神明山古墳。墳頂から見た日本海。
◆そのあと資料館。なかなかいいものがそろっている資料館です。竹野遺跡の遠賀川。弥生墳丘墓の副葬品類。網野銚子山や神明山古墳の埴輪や土器など。後期古墳の遺物も。網野に古代寺院があるんですね。

2018ゼミ旅行若狭丹後(23)大成古墳群と立岩

◆大成古墳群。これも初めて。いや~絶景です。快晴で海の青さがバツグン。院生・学生らもは しゃいでいる。ここは山陰海岸ジオパークに認定された一画にあり、立派な看板が立っている。近くのおじさん・おばさんが何か取っている。見に行くとヨモギでした。
◆そこから立岩の方に降りていける。昔、測量をやってた時に、一度、昼飯を浜辺で食べたような記憶がある。そしてその時に、立岩に上がった記も。西側から取りついたように記憶し、行って見てチャレンジするも、これは無理とあきらめた。

2018ゼミ旅行若狭丹後(22)産土山古墳

◆昔、確認調査の時に2回ほど来て、追加指定と一部解除をやった。その時はまだ児童のいた横の小 学校はすっかり廃校になっている。墳丘の傷みは大きい。ちょっとやりようがないかもしれないが、未盗掘石棺が掘り出され、整備してやれば、大成古墳群と同様に、海を見下ろす絶景ポジションの大型円墳として、訪れてくれる場所になるように思う。

2018ゼミ旅行若狭丹後(21)奈具岡そして黒部銚子山

◆綾部ICから高速に乗り京丹後一宮まで。そこから竹野川沿いに北上したのか・・・。まあ、適当に行 く。そうすると奈具岡にたどりつく。一応、道すがらに案内があり、上がっていくが、まあハウスやら農地が広がっていて、看板があるだけですが。快晴だが風があり、看板がゆらゆら、そのうち説明板が飛びそうでした。看板を新しくしてもらわないといけません。
◆そこから旧丹後町に向かう。いつも神明山に行く時に道路脇によく見える黒部銚子山を眺めてましたが、はじめて立ち止まって古墳に行く。実にきれいな古墳です。イ メージは腋上カンス塚。年代はいつ頃なんでしょう。

2018ゼミ旅行若狭丹後(20)私市丸山

◆翌日、8時発。福知山ICに乗り損ね、綾部方面に行くが、おかげで目の前 にそびえる私市丸山古墳 が姿を現し、予定外だが、そりゃ行くでしょ、と山登り。これは造り出し付き円墳なんでしょうか。

2018ゼミ旅行若狭丹後(19)福知山泊

◆小浜インターから福知山へ。20時前に着く。隣の店が安くて旨いとのこ とだが人でいっぱい、途 中、車の中で調べた店に行き、日本酒を飲む。なにをしゃべっていたかはまったく覚えていないが、今回の旅ではやったこと、「じゃ」、と中世史院生I氏の話、それから調べものをする時のタイセイ。
◆23時過ぎに寝て4時に目が覚め、それから眠れず・・・。

2018ゼミ旅行若狭丹後(18)十善の森→上船・下船

◆十善の森に行く。丸山塚跡地を遠望。快晴だった天気も午後はどんよりしてきて、さらに夕闇が 迫る。そしてラストの上船・下船に到着した頃は暗闇が迫る。車のライトで看板を見る。で、上船塚に感動した。この古墳は美しい。車の中からながめた前方部、そして側面観。典型的な6世紀前半の墳丘である。しかもでかい。ちなみに下船塚の方が規模が大きい。
◆昔、国道からここが上船塚ですよ、と教えられた記憶はあるが、その時には降り立って墳丘に上がったことはないわけです。今回、改めてこの6世紀代の前方後円墳がこれだけあることをどう考えるか、この地域の意味を考える上で、きわめて重要であると感じた。一般的には4世紀までが丹後で、そのあと若狭が重視されていくようになる、と言われているかと思うが、そう簡単な割り切りで説明がつくものでもなかろう。

2018ゼミ旅行若狭丹後(17)向山1号墳

◆向山1号墳の調査は1987年と1988年でした。1988年調査の後半に参加しました(鬼神谷窯の調査 終了後)。なので30年前。記憶がほとんどないのです。まずは場所。なんとなく程度。そこは調べてきてくれているので、この丘陵の先端ピークなんだろう、とはわかるが、囲われていています。しかも覗いてみると急傾斜。
◆調査の時には、いったいどこから上がっていたのやら・・・、そういうことがまったく「記憶にございません」。とにかくも、西側の谷が入っているいるところがもっともアプローチしやすいので、そこから取りつく。が、途中からは思いっきり急傾斜。が、上がっていくと、こんな急傾斜地のピークだが、尾根上にさらにこんもりとした前方後円墳のマウンドがある。
◆これに違いない・・・。とはいえ、墳丘に上がっても、そうそう、こうだったというデジャブ観がまったくない。記憶といえない記憶より墳頂部は狭く、ここに石室と武器埋納坑があったというのがピンとこないわけです。まったく情けない限り・・・。

2018ゼミ旅行若狭丹後(16)脇袋古墳群

◆上之塚、西塚、中塚、ともう1基、前方後円墳が4基ある。上之塚と西塚の間が空いているらし い。5世紀代の古墳が継続的でないとしても、続いていくことは珍しいのでは。そのなかでも上の塚は5世紀前葉だろうし、100m級で、その墳丘は大いに興味がある。墳丘はそこそこ傷んでいるが、周囲の確認調査も一定、行われており、どんな復元ができるのだろうか。最新の調査成果や研究をちゃんと学ぶ必要がある。西塚の墳丘は泣き別れ。奥の中塚は人家と一体になったようになっている。
◆まだ脇袋の村の耕地のなかにあって、まだ耕作が続けられているが、将来的に古墳の整備を進めれば、なかなかの見どころあるものになるに違いない。
◆だれも取ることのなくなったツクシが密生している。

2018ゼミ旅行若狭丹後(15)若狭町歴史文化館

◆旧上中町役場の展示室。脇袋古墳群、向山1号墳、十善、上船・下船。古墳の宝庫であるこの一帯 の出土品のいいものがぜんぶある。
◆入口を入ると、昔、向山1号墳でお世話になったNさんがおられ、挨拶をする。課長さんだそうである。で、文化財というのか学芸というのか、合併して若狭町になり、鳥浜にもここにも展示施設があるわけだが、鳥浜の博物館に職員をまとめるのだそうで、引っ越しを差配されていた。お忙しい時に、展示室をご案内いただいた。ありがとうございました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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