人を幸せにする人になろう

高齢者大学校

◆やりたくなかったんですけど、今年度いくつかもつことになってしまったもの。ですが、現場中はしんどいだけ。前日もなにもせず、倒れて寝て、翌日7:50に大学に行き、9:00まで準備。授業で使ったプリントを刷り、パワポに少し手をいれた。アネックスパルの駐車場に9:45、ぎりぎり10時開始。12:00過ぎに解放され、第2京阪で13:00前には現場に戻る。

2017年8月30日(水)最高気温31度

◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、合田・松井(市大3)、 市川・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆17-2トレンチ。葺石については、転落石として取れるものは取り、掘りあがった。調査区のもっとも上部は転落してなく、すぐ下から葺石の残存が始まるが、攪乱であちこち穴が開いており、それだけでなく、ずり落ち、上と下に石群があっても間はない部分も少なくない。終了後、調査区略図作成のためのフォトスキャン撮影(でもうまくいかない→右図)。
◆17-3トレンチ。17-2トレの葺石に集中しているが、整理がついてきて、まり人が入れないの で、17-3トレに2人移動してもらう。昨日、表土のやや下までいったが、続きを下げていっても、上段斜面の裾が現れてこず、全体にフラットで、かつ埴輪の出土が止まり、黄色礫混じりの土(けっこう均質)に突入した。かなり浅いのでまだ下がるのではと思いつつ、上記のような状況。もしかすると礫敷面に到達している?、それを掘り過ぎつつあのか?、とストップ。
 ◆現状の見かけの裾部に限定的に入れたトレンチだが、テラス面の範囲のようであり、上方へ1.3m拡張した。これでなにがなんでも裾部は入るだろう、と。

2017年8月29日(火)最高気温33度

◆参加者。城陽市担当者。工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、園原(立命M1)、山本(立命4)、合田・松井(市大3)、山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆17-2トレンチ。埴輪の掘形や樹立埴輪の清掃にあたる者をのぞき、全員葺石にかかる。旧表土を突破すると、葺石材がバラバラと全体に出てくる。あいかわらず埴輪片は多い。上半部では、浮いている石をのぞき、前方部側でかみあった葺石かと思われるものもあるが、後円部側は遊離していて攪乱が大きいようである。まだ、どこまで本来の葺石が残るのか、全体像が明らかになっていない。が、昨日に比べ、確実にかなり遺構面に近くなった。、出てくる石材の判断をしながら、明日あたりには攪乱穴は穴で葺石なし、残っている葺石はこれと、おおよその遺存状況がわかるだろう。
◆17-1トレンチ。昨日の終わりに、拡張区隅部の黄色が、それなりの立体物と見まれたので、さらに精 査。そうすると、基底石に接する半円形の木質から柄のようなものがのび、隅部の黄色とくっつき一体化した。木製鐙か、ということになる。写真撮影、標定点打ち→フォトスキャン用写真。最初に竹竿、と言っていたものも、「鐙?」とよく似ているようにも思う。昨日までは、何かわからん残存物で、むろんモノはなんとか取り上げ、材質鑑定や年代測定をやってみるが、それくらいかと思われた。が、俄然、馬具かもしれないものがあるとなると、素人では取り上がらないし、元興寺の塚本さんに電話し、夕方に見に来てくれることになる。(摂南大による葺石再撮影)。
◆塚本さんの見立て。弓と鐙。そこの基底石2石が数㎝高くなっており、どういう仕掛けになっていたか考えなくてはならない(高まっていた?/なにか台状のものがあった?/etc)。陸橋のセンター付近で、最後、墳丘へ向けて器物を置き納めたような場所ではないのか、と。なR。取り上げ可能な日程調整はするが、陸橋基部にブツを置いたとすれば(続きがありうる)、こうした部位を調査した事例自体が少なく、まして器物の配置などおそらく初めての確認で、全容を解明しておくことは重要ではないか、と。つまりは、来年度、対岸の堤側で幅を決めようと思っていたが、今回の墳丘側について北側にさらに開けて追及すべきでは、という提案。とすれば、いま取り上げなくてもいい、との判断もあると(北壁側および葺石基底部側が切り取れないという取り上げの技術的な問題もあり)。→要相談。
◆17-3トレンチ。17-2トレの葺石に過密な人数が入っており、工藤さんに17-3トレを開け始めてもらう。

レーザー画像

◆レーザーの方が圧倒的な点群データが均質にあり、したがって正確。フォトスキャンも結構正確 (バックデータは少ないが)。撮影に大きく依存する。ソフト的にも向上するのだろう。いずれはレーザー不要になるのだろうか。いまのところは掘り上がりの記録としてレーザーを採用し、すべてやってきているので、当面はやっていくつもり。が、データを駆使するには、別ソフトを操らなければならないし、オジンには今は無理。
◆今回、図面はフォトスキャンでと思っているが、昨晩からの再チャレンジで、なんとか原因不明の問題がクリアできたと思ったが、減少でした。また画像がやはり飛び気味(写真が悪い)。いま3回目のチャレンジに入っています。あかんかったら、測量業者に立面も発注しないといけない・・・。へろへろです。

久津川車塚2017年8月28日(月)最高気温31度 第5週突入

◆参加者。城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、大澤(市大M1)、園原(立命M1)、泉(奈良大4)、合田・松井(市大3)、前田・三谷(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)。
◆朝、後円部上段西トレンチ設定のための伐採木竹の除去。作業は17-2トレンチ。一部、17-1トレンチの木製品の清掃など。
◆17-3トレンチは、後円部直交方向を南辺とし北へ幅1.5m。長さはなんとかに設定。木で見えないポイントもあったが、計画通り4ポイントを打つ(X300~X301.5、Y166.7~Y169.3)。テラス面方向(西側)はもう少し短くする方がよいかも。→今年度掘りたいが・・・。
◆17-1トレンチ。木製品(?)類の清掃→写真撮影→標定点を打ってフォトスキャン用撮影→縮尺 1/2で実測(前田、一応完了)。取り上げようのアルミの板を5枚購入。
◆17-2トレンチ。埴輪掘形の段下げ継続。埴輪内部やまわりをすっきりさせる作業。埴輪設置後、第1突帯あたりまで土を入れているらしい。くびれから2本目が径32㎝と大型品。
◆テラス面南側のテラス面出しはほぼ完了。
◆葺石は、下から石出し、攪乱の掘り上げ、一方で斜面上方での掘削を継続。前にこの土でいいのでは言っていた調査区上部の黄色土は、大穴の排土であることが判明(当たり前ですが・・・)。その 下から旧表土が出てきて、ようやく上半部は本来の掘削に入った。下から掘り上げてきて、生きているかどうかはともかく、葺石材が調査区のかなり上方まで頭を出すに至っている。確かにあちこち攪乱で穴が開いているが、全体に残りが悪いとの判断は誤りで、これからということになる。家形埴輪の屋根が出土。

褐色層

◆渡土堤の地山と盛土の間にある褐色層は、これ鉄分が吸着したものだろう。

17-1トレを墳丘に落としました

◆明日は17-2を落とし込みか。

PDFでも3Dが見れるが

◆フォトスキャンで作った3DモデルをPDFに出力できるので(高精度にすると重く動きが鈍くなる が)、みなさんにも見ていただけます。が、それでも50メガある。
◆3Dというのは、現地で見ているように遺構を把握する、見直す、検討することができる、というものですね。われわれ普段は図面と写真から頭で再構成しているわけだが、決定的な限界がある。しかし一定精度の3Dモデルなら、特定視角からの図面や写真の限界をはるかに超えて、遺構を理解することができる。で、オルソ画像というのは、それを用いたひとつの出力に過ぎない。

やっとこさ17-1トレ全体図を調整

◆なんとなくフォトスキャンというソフトがわかってきた。まだまだですけど。どうやっていいの  かわからない→どこをどういじればどうなる、というふうに。オルソの出し方も理解した。
◆で出力したものを下図に調整するのも一苦労。日曜日の17時近くまでかかっちまった。
◆上は調査区全体図20分の1用。とはいえ、これはもう図を書くことは必要なく、この画像からトレースすればいいわけです。層位図はこれをもとに図を描く必要がある。こないだも古墳を掘るときに局地座標がいるかどうかという議論をしたが、どうするかの方針は決まった。使うが表に出さない。調査の進行上、有効だと。たとえば、調査区設定からして、ちゃんと古墳に即して入れるべきです。で層位図もそう、ちゃんとグリッドがあれば平面図との対応は簡単。だが、斜めになると、平面との対応が取りにくい。今回、下の図のオルソで層位図を描くかなと。つまりは投影図。ほんとの壁面の長さではなく。ま、それでも問題ないかなと。
◆いずれにしても、壁面を意識してフォトスキャン用の写真を撮っておくことが大事と認識。やはり遺構を意識した写真では壁面はぶれがある。壁を削って新鮮で色が鮮やかで、かつほぼ掘り上がった段階で、それ用の標定点を打って壁面のオルソを作っておく。そうして、基本的層位の検討を行う。壁って(O先生はちゃんと最初にやるが)、最後の図面段階でやろうとすると、だいぶくたびれている。早めがいいわけだが、図面を描こうとすると、いろいろと手間がかかる。あるいは壁の写真を記録として撮るが、結局はパーツパーツで、見直しにくく、結局は使えない。しかしフォトスキャンがあれば、意識して鮮明な写真を撮り、簡単につないでくれ、かつ座標をもつ、正確で鮮明な画像データをえることができる。ええかげんな層位図より、よほど記録として有用だろう。
◆さて、これから葺石だ。昨日1日かかって合成したが、オルソ出力しようとするとヘンになり、原因不明。泣く泣く、写真をセレクトして、最初からやりなおしております。いらんところを切るというのを覚えた。それでも平気で4時間とかかかっている・・・。
◆おかげで、カミさんの弟の甥っ子たちが帰ってきているのだが、遊んでやることができなかった。ゲームばっかりしていたそうだが。子供がどんどんダメになっていきますね。

渡土堤

◆仲津山を示します。女狭穂塚にも同じ位置にあり、宮内庁の陵墓図ではわりと現れている、とのことでした。仲津山の前方部も、両側にあるいは想定できるかもしれません。同じように空堀状態の市野山についても、後円部直交方向に高まりがあるようにも見えます。昼飯大塚は五社神型だが、前方部の北側について探査で想定されており、反対側の南側も同じように見えないことはない。そして池田。
◆渡土堤については、まだまだわからないことだらけですね。池田の姿を見ていると、佐紀陵山もあり、前方部両側にああいうものを取り付ける、というのがひとつあった、と想定しうる。久津川でも東側で探索してみる必要がありそうだ。一方の後円部については、前期の陵墓や、矢道長塚や、その存在が知られていたが、中期前半段階における仲津山と車塚の姿を見ていると、一方の側に、やや斜めに取り付けるという定式があったのかもしれません。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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