人を幸せにする人になろう

2017年8月7日

◆6日のオープンキャンパス2日目。4回目のコースガイダンスはなしにしたので15時には終了し片付け、15時30分からはJムークの打ち合わせ。この日終了し、大歴の仕事をしていたような気がする。19時過ぎには職場を離れる。台風近づく。
◆7日(月)。朝起きて雨雲レーダーを見る。午前中から雨はぱらつきそうだし、午後は近畿に接 近するので、この日はやめにする。7時前、中止の連絡。この日はせっせと、考古学と博物館概論の答案を採点しました。19時頃、なんとか終了。これで14日に成績を出すめどがついた。
◆岸和田のIさんにいただいた日本酒を呑む。岸和田のお酒かと思ったら、恵那市のお酒でした。

久津川車塚2017年8月3日(木)最高気温33度

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、道上(市大D3)、大澤(市大M1)、園原・吉村(立命M1)、泉(奈良大4)、相馬(近大4)、山本(立命4)、市川・山崎(立命3)、池口(同志社3)、上野(奈良大2)
◆三班に分かれて作業開始。
1、前日に引き続き葺石の検出。灰褐色の壕内堆積土を除去していく。第3Qまでにほぼ完了。遺存状 態は想像よりも良好で、石列も二本ほど確認できた。黒色の壕土手前で一旦葺石の検出は止める。
2、旧調査区も前日に引き続き埋め戻し土と思われる粘質土を除去。葺石を検出していくが、粘質土が湿っていてしつこく、きれいには検出できず。上部の地山出しで足りなかったところから葺石の中段くらいまではそれなりにきれいになったが、壕底付近はあまり進まなかった。また旧調査の報告に記述してあったとおり石列を1本確認した。
3、壕底の黒色粘質土をきれいに検出することを目指す。陸橋(?)の斜面から瓦器出土。ちょうど青灰色粘質土と黒色粘質土の境目ぐらい。青灰色粘質土を除去するのにそれほど時間はかからず第3Qのうちにほとんど検出は完了した。
4、写真を撮って記録し、第4Qからは班を再編して旧調査区班と葺石追いかけ班に分かれる。陸橋上面は相談した上で灰色粘質土のまま判断をあおぐことにする。葺石の隙間につまった黒色粘質土を外して葺石を出していく。石列にはやはり大きめの石を使用していることが確認できた。旧調査 区で傾斜が変わっているラインの延長線上あたりでやはり傾斜が変わっており、この付近に基底石があるのではないかと思われるが断定はできず。石列より陸橋側でも葺石があるかどうか削っていくと、墳丘斜面の葺石よりやや小ぶりの石が多く出てきた。深く入っているもあり、時間もいい具合になったことからこれも判断は翌日に持ち越すことにした。石列は今のところ全部で五5(4本かもしれない)検出している。基底石ラインは未だに推測に過ぎず確定はできていない。(大澤)

安倍内閣支持率の推移

◆ネットから拾ったもの。

2017年8月5日オープンキャンパス第1日目

◆ではありますが、昨日、現場で取った座標値で、平面図を作成しました。もう早いこと、正式の 1/20図を作ってもいいですね(マイラーの用意をせな)。なお、旧調査区はハーフトーンで重ねてますが、位置はアバウトです。

周濠堆積のフォトスキャン成功

◆まだ座標は入れていないが、合成はできた(中)。等高線図もこれで描ける。

久津川車塚2017年8月4日(金)最高気温34度

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、大澤(市大M1)、市川・林田・山崎(立命3)、池口(同志社3)
◆昨日の報告はもらっていないが、既発掘の西行きトレンチの掘り上げ、それが終われば、新規 調査区の黄色粘土をはずしていくように指示。これで、一応、既発掘区を掘り上げ、新規調査区については洪水層の黄色粘質土が除かれ、濠内堆積土である灰色砂質土を全面露出させることになる。そこまで行って時間があるなら、石に戻り、灰色砂質土層をほじり、葺石の続きを出していくよう指示していた。朝行くと、ほぼそういう状態。
◆まず陸橋部に立つと、層位がへん。上面が白色粘土で、肩部ヘリに赤さびの入った灰色の濠内堆積土がやや高くなっている状態。1日に断面を見た時、上に灰色粘土があり、その下に黄色の間層が入り、低い側で見えている濠内堆積土の暗灰色砂質土が、陸橋高まりの下に入ってくると思った。だが、なんで黄色の間層があるんやろ、と。院生の1人が違うんちゃう、と言っていたよ うな気もする。
◆で、陸橋肩部で、いま上面になっている白色粘土を少し削るも、暗灰色砂質土が下に出てくる様子はない。白い粘土があり、それを濠内堆積が覆っている・・・。つまりは白い粘土は古墳時代の陸橋そのもの。壁を見ると、その上に褐色の整地土風の堅い土層がある。ああ、陸橋が埋まっているのでなく、そのものが露呈している!。重機で削っている・・・。
◆こう認識し、全面清掃を指示。できるだけ薄く削るよう。自分は北壁に向かい土層を確認する。発掘は怖いですね。1日に壁をきれいにしたなら、ただちに大方の線引きをして、基本的な土層の理解を確立すべきです。普段からそう考えてはいても、実行できていない・・・。まあしかし、3日目に確立した。きれいになった平面の土層の連続も、ほぼ整合的な理解に達した。
◆昼前に、木製品と言っていた「現代遺物」を「丁寧に」取り上げ、午後からは周濠底面の洪水層を完全に取り、濠内堆積の暗灰砂質土の全面露呈作業を続け、第3Q中に完了した。
◆この日、基準点杭3(K4)にマシンを立て(バックサイト杭2)、調査区全体が見渡せる基準杭を調査区脇に打つ。K4の座標は、X-862.464、Y-254.788、H30.911。赤のワッカを通した釘を用意し、11本打ち、座標を測った上で、フォトスキャン用の写真撮影。これで第3Q終了。

◆第4Qは、濠内堆積土の暗灰砂質土を上からはがしにかかる。まず陸橋に接する後円部裾の基底石出し。ほぼきれいにならぶ。
◆北壁断面の観察では、上に灰色洪水層、その下に黄色い粘質のマンダラ層2枚(これ周濠底で見てきた土に似る!。下が灰色が強い。)、その下が堅い褐色土、白色粘土。間のマンダラ土2枚が、洪水層下部なのか、陸橋を構成する整地土なのか、午前の見解では洪水層下部と考えていたが、基底石との関係からすると、イキではないと思い始めていたが、その通りとなる。基底石はマンダラ土に据えられている。ああ、ああ・・・。スロープ状?。
◆この陸橋、少なくとも4枚の盛土からなり、白色粘土、褐色土など、明瞭に選別した土を重ねている。この陸橋は地山削り出しでないのだ(修正→基本は地山削り出しのよう。積土は上3層)。下から全部構築したものかどうかはまだわからない が。なので、地山削り出しの作業道で、最終局面で削り取り、その残丘というわけではなく、構築したもの。わからないことだらけだが、葺石を葺く段階で、ちゃんと陸橋として存在し、陸橋に取り着くところに基底石をならべ、葺石を葺き上げている。
◆陸橋と言っているが、陸橋かどうかはわからない。幅は未確定。北壁を拡張し、落ちていく肩をなんとか検出しなければなるまい。また来年、周堤内斜面を掘る予定だが、その時に堤側の陸橋をねらって確実なものにすべきです。と、ここまで書いてきて、造り出し?ということも頭をよぎる。低すぎるけど。高さ50㎝くらいか。ああ、ああ・・・。拡張するだけはやって、落ちなければ・・・。
【今日のひとこと】発掘は怖い

京丹後市で文化財専門職の採用試験があります

◆いま網野銚子山古墳の発掘調査をやっていますが、京丹後はとても魅力的な地域で、文化財にも力を入れてます。いい人材を求めておりますので、是非、応募ください。8月21日の締め切りです。

2017年8月3日(木)

◆本日は公務があり、朝から1日現場を休む。メールを処理し、10:40からひとつ会議。そのあとオープンキャンパスの準備。13:30から博論の構想報告。そのあと日本史の会議。18:30から、集中講義の先生との懇親会。
◆この間、大歴2017大会の記録の入稿。懇親会のあと上本町メルヘンで、8月号掲載の委員会報告の原稿を最終仕上げ。同じく8月号の陵墓懇談会の参加記の校正。帰宅して、印刷所に入稿および校正返し。
◆オープンキャンパス担当ながら、先週木曜日に準備をするつもりができず、31日(月)も大歴委員会の準備でできなかったが、なんとか準備する。明日の金曜日、前日準備はゴメンしてもらっている。どうぞよろしくお願いします。土曜日、朝早くから参りますので。
◆オープンキャンパスと大歴8月号関係の次は、できていない採点、成績表の提出。その次は・・・、あ~あ、もう考えないでおこう。

久津川車塚2017年8月2日(水)最高気温35度

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、大澤(市大M1)、園原・吉村(立命M1)、泉(奈良大4)、相馬(近大4)、山本(立命4)、市 川・林田・山崎(立命3)、池口(同大3)、上野(奈良大2)
◆17-1後円部西トレンチ 下段斜面の検出続き
◆まず右図は40年前の平面図(上が南)。今回はほぼ調査区がそのまま入り、西(右)側にむけて、この幅で四角く大きく開けている(いずれ現調査区の図も作りますが、いまはヘロヘロ)。
◆(1)右図に見える葺石があり、東側(左)は葺石のない後円部下段斜面。まずは昨日の続きで、肩から下へ墳丘残存面、赤褐色礫混じりの地山を出していく。黄色砂質の柔らかいところもあるが、地山の差か?。葺石に近いところでは灰褐色礫混じり土。色合いは違うが、ほぼ地山でよいだろう。ただし、やや甘い。なお、東南隅部のところは、地山の礫 が出ていたが、認識不足でやや削り込み過ぎた。
◆(2)地山出しが完了し、葺石にかかる。けっこうきれいに残っている。南北に連なり、横に展開して石出しをするが、けっこうな手間。墳端まで高低差で2mくらいだろうか、以下、良好に葺石が残存していると覚悟しなければならない(しかも幅6.4m)。前回の調査で出した葺石だけでなく、その下に続く石も出てきており、既調査区は既に突破している。
◆(3)調査区南辺は、前回その部分だけ墳端近くまで西側にトレンチを伸ばした部分にあたる。もとの濠内白色粘土と埋め戻し土の黄色の境がはっきりしたので、ここでの既調査区の掘り上げは、斜面に対し縦に学生が入る。旧調査区西端は、目印石から水平距離で2.6m、幅は80㎝く らいまで狭まるトレンチである。その付近で、薄い板状の木片を検出。土層からすると未調査区で、灰色の上の粘土下部なので、17世紀の洪水時の流れ込みと考えられる・・・。
◆(4)当初は南北に連なる葺石より上と下に分かれて作業をしたので、葺石より下の部分についても、洪水層の黄色~白色の粘土をかなり取り払い、暗灰色砂質の濠内堆積土上面まで出している。
◆陸橋裾部・墳裾部ともに基底石らしきものがならぶ。

◆明日以降、手順を踏み、まずは既調査区の掘り上げを行い、それから未調査区の洪水層を削り、全面、灰色砂の濠内堆積土上面を出す(葺石が頭を出している状態)。その写真も撮っておきたい(できればフォトスキャンをやって上面の平面データを取っておきたいが)。そして、上の葺石にに戻り、濠内堆積土を除去し、葺石を完全に出していき、掘り上げていく予定。
【今日のひとこと】発掘はクリエイティブ!。
〔追記〕前の調査では写真・図の後、ヤマが来て葺石を埋め、そのままとなったとのこと。埋め戻しがきれいな黄色粘土で丁寧に埋めていると思ったが、上の黄色粘土が崩落して葺石を覆った、というのが実情のようです。

久津川車塚2017年8月1日(火)最高気温35度 第1週

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、大澤(市大M1)、園原・吉村(立命M1)、田口(奈良大4)、市川・林田・山崎(立命3)、池口(同大3)
◆まず、シートを全開し、調査区周囲の清掃。土嚢つくり。そのあとシートの一辺を土嚢で押さえる。
◆調査区壁面の整形。上から。洪水層も、造り出しあたりでは黄色粘土一括のように均質だったが、ここでは水平堆積が明瞭で、いろいろ分層できる。上半分が造り出しで見られた黄色粘土だが、その下に砂と黄色粘土の互層になっており、下部には厚みのある砂層、そして下位の粘土層になる。下位の粘土層も西壁では上がオレンジ、下がグライ化した明青色。そして濠内堆積の紫灰色砂質土が顔をのぞかせている。調査区幅6.4m、広い!。
◆そして、重機掘削の際に指摘されていたように、北側が高まっている。重機で洪水層を取っていって、 紫灰層を出そうとしたわけだが、調査区に斜めに北側が高く、南へ傾斜をもっている。上層の明青色粘土も西北隅で上がる。その上のオレンジも砂層も上がる。むむ!、陸橋ちゃうか。重機掘削で検出している紫灰色濠内堆積土の肩ラインは、後円部の中心方向に向いている(正確ではありませんが)。和田先生がおっしゃっているように、古墳築造時に陸橋が何本も掘り残して作業道として使われ、最後は撤去する、しかし完全に濠底同一レベルまで下げられないで、陸橋の名残の高まりが残っているものがある、という事例になる。濠内堆積土がかぶっており、下に予想される高まりは古墳時代オリジナルだろうから、考えられるのは陸橋で、かつ上のように削り残しの高まりと予想するのが妥当だろう。
◆壁面清掃は15時まで。サクレを食べた後、東側の墳丘側の壁面清掃にかかるが、そのまま、下段 テラス削平面の削りに移行する。周濠側へ地山を出していく作業を進め肩部に到達。肩部あたりは埋め戻し土のようなのでバチる。
【今日のひとこと】発掘は楽しい

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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