人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2017年9月10日(日)宇陀松山(5)
◆引き続き南下。千軒舎というまちづくりの拠点施設へ行く。公開しているのは、薬の館とここく らいで、あとはみなちゃんと居住しているわけです。宇陀松山は、信長次男の信雄を初代とする宇陀松山藩の陣屋城下町なのだが、4代目が財政政策をめぐって重臣を惨殺し自分も自害したという。それで5代が、丹波栢原へ転封となり、以後、天領となる。こうした宇陀の歴史を学べるガイダンス施設がほしいところ。また、今回は城攻めはできなかった。城はもっと早い段階では廃城となり、春日神社のある一帯に陣屋があったという。
◆久保本家で日本酒「初霞」を購入。酒蔵カフェにも入りたかったが、飲めないので入らず。町の南端まで来たので、1本西の街路を通って北上する。
◆途中、お茶を飲む。そのあとお城時代の西門を見て北上。南へ転じて、薬の館まで戻る。
◆そのあと道の駅に少し立ち寄るも、わんさかといるバイク野郎含め、多くの客があふれていたが、まちの観光客はそれほど多くはなく、まばら。静かでよいのだが、ここまで出かけても、現国道から中に入り、まち歩きをする人は少ないのだ、と感じる。まあ、観光客であふれるよりも、少しずつ認知されていくのがよいのかも。
◆久保本家で日本酒「初霞」を購入。酒蔵カフェにも入りたかったが、飲めないので入らず。町の南端まで来たので、1本西の街路を通って北上する。
◆途中、お茶を飲む。そのあとお城時代の西門を見て北上。南へ転じて、薬の館まで戻る。
◆そのあと道の駅に少し立ち寄るも、わんさかといるバイク野郎含め、多くの客があふれていたが、まちの観光客はそれほど多くはなく、まばら。静かでよいのだが、ここまで出かけても、現国道から中に入り、まち歩きをする人は少ないのだ、と感じる。まあ、観光客であふれるよりも、少しずつ認知されていくのがよいのかも。
2017年9月10日(日)宇陀松山(3)
◆宇陀松山に入る。「大宇陀」というのは1942年に町村合併で新たな行政区の名前を「大宇陀町」として以来の新しい地名らしい。なんとなく、越中八尾と似ている。南北にのびる街並み、その規模などが。
◆2006年に伝建になる。最初に薬の館に行く。 細川家。道修町の藤沢薬品初代の母は、この細川家から嫁いだ女性とのこと。薬看板など、資料がよく残る。→「きみごろも本舗」で「きみごろも」を買う。和菓子屋で地元の銘菓を食べるのも、まち歩きの楽しみのひとつ。
◆昼頃、お茶でもと入った「あゆみ家住宅」でランチを食べる。おばちゃんが話好きで、食事中、話をしていました。例えば、冬、桜井から榛原の途中で、近鉄電車の窓ガラスが、曇るんだそうです。
◆2006年に伝建になる。最初に薬の館に行く。 細川家。道修町の藤沢薬品初代の母は、この細川家から嫁いだ女性とのこと。薬看板など、資料がよく残る。→「きみごろも本舗」で「きみごろも」を買う。和菓子屋で地元の銘菓を食べるのも、まち歩きの楽しみのひとつ。
◆昼頃、お茶でもと入った「あゆみ家住宅」でランチを食べる。おばちゃんが話好きで、食事中、話をしていました。例えば、冬、桜井から榛原の途中で、近鉄電車の窓ガラスが、曇るんだそうです。
2017年9月10日(日)宇陀松山(1)
◆現地説明会のあとは解散。カミさんと昼の食事をしたあと、スーパーで買い物。ハタハタほかアテを作り、飛鳥ワインを。カラオケ2時間シャウト(~22:30)、寝る。ひところの睡眠不足から、寝過ぎ気味で、2:30に目が開き、しばらく起きていたが、また寝て、起きたら9:30だった。
◆かばんに仕事道具を入れるも、遊びに行くことに。念願の宇陀松山に向かう。桜井で織布コウバ の木造のノコギリ屋根を見て、戻り、写真を撮りに行く。比較的最近までやっていたが、やめてしまったみたい。10年前くらいだろうか。繊維産業の全盛期、1970年代以降の中国製品輸入開始以前、地域地域で、大きな企業に納入するような、自分の家の敷地内などに設けた織物コウバが作られた。和泉でもまだ営業を続けているところもあるが、多くがやめていっただろう。これらも近代日本の歴史遺産である。が、田舎では、地域地域にそこそこ残っているのか もしれませんね。壊すにもお金がかかるし。どこまで貴重かといわれれば、こうした近代化遺産、ある時期にはどこでも見られたもので、価値のあるものなんだという感覚や、残していけるなら残したいねという意識は希薄なんだろう。
◆とはいえ、そこは文化財担当者の見識でしょうね。大きな工場で煉瓦建築のいいのがある、といったわかりやすいものでなく、村のなかに遺る近代化遺産、遺ってきているとはいえ、徐々に数を減らしていく中で、できるなら特徴的なもの、典型的といえるものなどを、なんとか残したいと思い、所有者と話をし、またそのための手だてを考えたりするかどうか、ということになるのでしょうね。
◆かばんに仕事道具を入れるも、遊びに行くことに。念願の宇陀松山に向かう。桜井で織布コウバ の木造のノコギリ屋根を見て、戻り、写真を撮りに行く。比較的最近までやっていたが、やめてしまったみたい。10年前くらいだろうか。繊維産業の全盛期、1970年代以降の中国製品輸入開始以前、地域地域で、大きな企業に納入するような、自分の家の敷地内などに設けた織物コウバが作られた。和泉でもまだ営業を続けているところもあるが、多くがやめていっただろう。これらも近代日本の歴史遺産である。が、田舎では、地域地域にそこそこ残っているのか もしれませんね。壊すにもお金がかかるし。どこまで貴重かといわれれば、こうした近代化遺産、ある時期にはどこでも見られたもので、価値のあるものなんだという感覚や、残していけるなら残したいねという意識は希薄なんだろう。
◆とはいえ、そこは文化財担当者の見識でしょうね。大きな工場で煉瓦建築のいいのがある、といったわかりやすいものでなく、村のなかに遺る近代化遺産、遺ってきているとはいえ、徐々に数を減らしていく中で、できるなら特徴的なもの、典型的といえるものなどを、なんとか残したいと思い、所有者と話をし、またそのための手だてを考えたりするかどうか、ということになるのでしょうね。
2017年9月9日(土)現地説明会
◆参加者。城陽市担当者。工藤さん+1、自分、長友さん、大澤(市大M1)、園原(立命M1)、川 北(京大M1)、泉・田口(奈良大4)、前田・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)。以上だったけか。
◆8:30集合。第2京阪で行くと、8:15には着いたか。会場への誘導ボードを取り付けたり、テントを立てて受付をつくったり、遺物の実大ボードを作ったりと・・・。
◆10:00から13:00.参加者は約300人?。原田君や道上君も来てくれました。天気はよい。院生・学部生、みな説明に立つなど、それぞれの役割をやってくれる。チームでちゃんと仕を割り振ってくれている。リハも。こっちは、1回だけ17-1の説明をした程度。
◆終了後、後片付けをして、シートをかけて、14:00頃に解散。
◆8:30集合。第2京阪で行くと、8:15には着いたか。会場への誘導ボードを取り付けたり、テントを立てて受付をつくったり、遺物の実大ボードを作ったりと・・・。
◆10:00から13:00.参加者は約300人?。原田君や道上君も来てくれました。天気はよい。院生・学部生、みな説明に立つなど、それぞれの役割をやってくれる。チームでちゃんと仕を割り振ってくれている。リハも。こっちは、1回だけ17-1の説明をした程度。
◆終了後、後片付けをして、シートをかけて、14:00頃に解散。
2017年9月8日(金)
◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、長友さん、大澤(市大M1)、園原(立命M1)、泉・田口(奈良大4)、前田・山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆シート全開。お日さんに調査区の乾燥をお願いする。各自、図面の続き。17-3トレンチ(掘り下げ停止)の今年度記録(写真・フォトスキャン)。17-1トレ木製品の2分の1図の立面図作成。
◆午後、レーザースキャン(12:30~16:30)、17-2トレ→17-1トレ変更部。16:30時から現地説明会の設営。列石に色ガムテ。部位名称パネルを釘で地面に打ち込む。最後、17-1トレンチの柵を少し調査区に近づけるため、杭の打ち直し、トラロープ張り。完了は17:30
◆悔しい17-3トレ。今年度はここまでと・・・。今年度の記録として写真を撮ってもらい、フォトス キャンもやっておく。できたが、標高がおかしい。機械高か眼高か。明日、標定点のレベルだけ確認しておこう(できれば写真も・・・)。掘っている最中に、くびれ部との標高差を確認したが、調査区西側の掘り込みを止めたところで、くびれ礫敷面より30㎝高かった(はずだが・・・)。上段だし、ほぼ水平だろうとは思うが・・・。
◆シート全開。お日さんに調査区の乾燥をお願いする。各自、図面の続き。17-3トレンチ(掘り下げ停止)の今年度記録(写真・フォトスキャン)。17-1トレ木製品の2分の1図の立面図作成。
◆午後、レーザースキャン(12:30~16:30)、17-2トレ→17-1トレ変更部。16:30時から現地説明会の設営。列石に色ガムテ。部位名称パネルを釘で地面に打ち込む。最後、17-1トレンチの柵を少し調査区に近づけるため、杭の打ち直し、トラロープ張り。完了は17:30
◆悔しい17-3トレ。今年度はここまでと・・・。今年度の記録として写真を撮ってもらい、フォトス キャンもやっておく。できたが、標高がおかしい。機械高か眼高か。明日、標定点のレベルだけ確認しておこう(できれば写真も・・・)。掘っている最中に、くびれ部との標高差を確認したが、調査区西側の掘り込みを止めたところで、くびれ礫敷面より30㎝高かった(はずだが・・・)。上段だし、ほぼ水平だろうとは思うが・・・。
〔訪問〕和田先生。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。