人を幸せにする人になろう

これは面白い

◆『古墳時代の考古学』をぱらぱらやっていると、興味深い写真が目につきました。 まあ、知らん ことがいっぱいですね。勉強せな。

敏達の没年

◆いきなり書き殴ります。欽明の没年は記にない。紀では欽明32年571年4月に没し、9月に檜隈坂合陵に葬る、とある。なぜ、記にないんでしょうか。
◆敏達は欽明15年554年に「皇太子」になったというが、敏達即位前紀には欽明29年568年となっている。つじつまがあわない。欽明15年554年の「皇太子」は、552年の箭田死没により大兄になったことを記すと考えてはいるが(箭田は藤ノ木古墳に埋葬)。
◆欽明は4月に死んで敏達は翌年4月に即位。(A)敏達は8月に死んで9月には用明が即位、用明は2月に死んで崇峻は8月に即位、崇峻は11月に死んで12月に推古即位。(B)推古は3月に死んで舒明は翌年1月に即位、舒明は10月に死んで皇極は翌年1月に即位。Aが自然だと思う。Bはへん。敏達即位はもっとヘン。欽明没年の内に即位していないし、翌年正月にも即位していない。
◆で、敏達没年は、紀では14年8月(585年)とするが、記は「甲辰年4月6日」で584年とする。決定的におかしい。これが解けないだろうか、というのが出発点。誰か解いているのでしょうか。たぶん584年なんでしょう。敏達元年は太歳からも572年とされているが、正しいのでしょうか。欽明没年が記にないこととも関係するように思います。ひとまず、敏達は571に即位したとすれば、1年ずらして、問題はなくなるのだが。
◆用明そして崇峻の没年は記紀で一致する。敏達没年が1年早まるとすれば、用明は584年即位、585・596、そして587に没、と考えた方がいいのかもしれません。
◆ああ、何をやっているのでしょうか。

尊皇后曰皇太后

◆これ決まり文句だし『日本書紀』で皇后の指定はない。が、欽明即位前紀には、安閑正妃である春日山田皇女に政務を委ねたいとする即位前の「欽明」の意向が書かれている。まあ、へんな話です。これが史実かどうかではなく、政務をやってくれと頼んだ相手が、宣化の正妃でなく、安閑正妃なのである。年長ということはあるかもしれないが。宣化は即位したのでしょうか。

ひどいですね

◆日本は遅れすぎ。
◆話は変わりますが、本日は「海の日」。朝、旭が丘の住宅地を通っていると、国旗を出している家が1軒。まあ、ましですね。祝日に日の丸がどこでもはためいているようなら、おそろしい。そうではないのは、まともです。稲田家では出してるんでしょうね。

どうなる奈良の監獄ホテル

◆博物館概論でも紹介した奈良少年刑務所。重文になったのは最近なのかな。で、民間業者に運営 委託され、ホテルに改装するのだとか。登録でなく重文に指定されているわけで、どうなるんですかね。大丈夫でしょうか。

ああなかなかに

◆なかなか仕事が進みません。陵墓懇談会のヒストリア用の原稿を書いてました。7月に懇談会が あって、8月には会誌に載せる。ここまで守ってきたことは守らねばならぬ。

鬼の雪隠俎

◆が気にかかっています。さて、あれこれ数日考えているところを。
◆舒明が641年10月に死んで、642年12月に岩屋山古墳に葬る。
◆この年、今来双墓の記事があり、大型方墳である小山田古墳の造営も本格化したか。
◆舒明改葬は、こうした文脈からすると、岩屋山古墳は八角でなく方墳で、小山田と同格になってしまうので、改めて八角墳を創出し区別した、とみるのが妥当のように思います。押坂になったのも考える必要があります。岩屋山古墳の改造は、既に葬られている以上、難しかったのでしょうか。段の塚への埋葬が643年9月なので、モガリ中に着工しているのだろう。改葬前提で、ひとまず生前造墓の岩屋山に当初の予定通り葬るが、その間にも段の塚を造営していたのだろう。段の塚の埋葬施設は不明だが、岩屋山式石室とみておきたい。
◆問題の皇極=斉明。643年に母の吉備姫王をカナヅカ古墳に葬っている。舒明期に正妃の母の独立した墳墓を営むことができたかどうかはわからない。が、自分が皇極王となったからこそ、実現できるのではないか。だとすると、642年着工。舒明のモガリ期間で、小山田古墳の造営も進行中、別途、段の塚も造営中で、同時にカナヅカ古墳を造る。これ岩屋山式石室です。
◆皇極は王となって自分の墓造りにも着手するだろうが、カナヅカの隣の整地を進めるくらいであったのかもしれない。母、吉備姫王が643年9月に死去し、その埋葬がまずは最優先。
◆ところが645年6月に乙巳の変。孝徳が死ぬのは654年10月、約10年間、王ではない。ところで、やはり前期難波宮から考えれば、孝徳は、大王+大兄でなく、王1人への権力の集中を実現させようとしていたと理解すべきである。皇極を退位させ、古人大兄も殺し、唯一の王となる。だからこそ反発されるわけだ。
◆孝徳墓を追及しないといけません。
◆なので、カナヅカの隣の鬼の雪隠俎は、640年代前半の土地造成はあるにせよ、墳墓造営の本格化は655年からとみておきたい。そうすると、当然、八角墳ではないか、とみるべきですね。鬼の雪隠俎は既に墳丘も流出し、尾根の加工と墳丘部の張り出しを現地形にとどめるくらいで、なんとも判断できないが。いまの俎はかなり上にあるので、段の塚のように段々を重ねて、頂部に八角墳が載る、と考えてみたい。問題は東石槨もあって、八角にふさわしくないように思われることです。
◆658年、建王が8歳で死ぬ。鬼の雪隠俎が、斉明と建王の墓とすると、設計のし直しが必要ですね。8歳の子にあんな石槨を造るのか、という問題も。そこが変となれば、間人は初めから予定されていたということになる。舒明正妃で、自分の娘。6世紀における正妃墓の伝統が続いていたなら(なので用明正妃墓はどこかにあるか)、別に造られておかしくない。まあしかし、牽牛子塚古墳の2槨が事実としてあるので、斉明が655年以降、自分の王墓を造営する際に、舒明正妃の間人の石槨とならべた鬼の雪隠俎をプラニングすることはあっていいようにも思う(問題はそれを八角に収められるかだが)。
◆したがって花崗岩刳り抜きタイプの横口式石槨は、650年代後半にはある(太田の越塚御門667年あたりまでの幅を押さえることができる)。
◆658年の建王の死去は想定外なのだろう。自分が入るべき石槨に先に入れときゃいいんでは。
◆661年7月、斉明は九州で死ぬ。埋葬記事はない。普通だと翌年の11月だろうが、まあ記事がないので不明。鬼の雪隠俎に予定通り葬った、と。
◆で、665年2月、間人が死ぬ。埋葬の記事はない。一旦、鬼の雪隠俎に葬ったか。しかし問題は牽牛子塚古墳になぜ改葬するかである。なんでだろう~なんでだろう~。

2017年7月16日の晩飯

◆今日は17日です。いま9:00、研究室。この3連休、毎日朝からいるのはオレくらいですわ。15日は 京都の呑み会をセットしていたのですが流れました。16日は、車屋から電話があって6か月点検とうるさいので、17時から入れ、その間、めがねの折れた柄を取り替えてもらいました。藤井寺に行くのは、車屋とこの眼鏡屋くらい。ということで朝から来ているが、夜遅く、というわけではない。
◆この間、ご飯を家で作って食べる、ということを週に何度かはちゃんとやろうということになり、金曜日、土曜日、日曜日と、3日続けました。枝豆をゆでて、アジの南蛮漬けを作りました。ゴーヤというのは、縦に半分に切って、なかをほじくり出すんですね。勉強になります。
◆昨日は、難波宮本の、いままで出ている原稿について、初校を出すべく作業をしておりました。2人分は本人に返しましたが、2人分は、明日またアルバイトに作業をしてもらおうと思います。今日は、伏見城を、と思っていますが、午前中は、別のことをやろうと思っています。

課題は探し出すものではない

◆課題の発見と解決策、てな学習プログラム。どんな課題にする?、そもそもなにが課題になるん かな?、では始まらない。一般論的にも、日常のなかで見聞きし感じたり、気付かされたり、そういうものが自分の引き出しに堆積していき、ある段階にアクションとなる。学問も同じ。いろんなものを呼んだり、遺跡を見たり、資料を見たり、考えたり。4回生になって、はい卒論です、テーマを考えましょう、で、ひねり出すものではない。だんだんと温めていくものであるべきですね。そして、いろいろあるなかから、これにする、と。
◆主体的に取り組んでいれば、課題は湧いてくるもの、ではないでしょうか。
【追記】画像はカミさんのやっている卒論オリエンテーションのパワポの1枚です。

◆ぜんぜん関係のない話。加古川で飲食していると(ノンアル・・・)、稲美町の倭小槌、三木市の葵鶴、加西市の富久錦、明石市の神鷹、が置いてあった。地酒いろいろ呑んでみたいものです。
◆下村博文のいとこが、岡山市の岡山理科大学の工事を受注している、とか。
◆大阪歴博には、上本町南遺跡という名で、かつて100枚の無文銀銭が出たらしく、そのレプリカが展示してあった。実物は数枚しか伝わっていないようだが、出土は確かなことのようで、この量は、これまでの最多かな。
◆大野寺付近の地形、というか谷復元をやらねばならぬ。
◆以上、メモ帳一掃セールでした。あんまりたいしたことはメモっていない。

台風の動き

◆高校の地学?、高気圧と低気圧、上昇気流と下降気流、それから回転も加わる。出て行く方は時 計回り?、吹き下ろしは逆?・・・。まあ、ほぼ覚えていませんが。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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