人を幸せにする人になろう

別所茶臼山

◆これは歴博共同研究の時に訪れ記憶はある。が記憶にあるのは足利一門の墓があって、それが指定されているという記憶。足利と新田は隣同士で、新田が群馬側、足利が栃木側、ですね、確か。接近すると、新田荘関係で、いろんな構成資産をあわせて国史跡になっているよう。そうした看板が目に付いた。
◆で茶臼山古墳だが、お寺になって痛みも大きく、これはどうなるんでしょうか。前期末・中期初頭とされているのかな。

女体山

◆太田天神山に初めて行ったのはいつだったか。大学院生の時?、忘却です。歴博共同研究の時に、U氏と行った時の記憶はある。が、天神山に上がっても、女体山に足を踏み入れたことがなかった。横にコンビニがあって車を止めて、入る。ぺっちゃんこですね。これ、ずいぶん下がっているのではないだろうか。さすがに東日本一の前方後円墳があって、メサホトオサホのセットのように女体山がある。こっちだけは頑張って墳丘を高くすることができなかった、というわけではないだろうから。

太田天神山

◆O氏のY氏からショートメールが来た。岡山の研究会に来ているなら、夜、一緒に飲みましょうと。そう、3月だかに言われていた。が、結局行っていないので、ごめんな、と。学生らが行かないというので、1人で行くかと考えてはいたが、直前までどうするか決めかねていた。そりゃ、しないといけない仕事はある。これは誰でもそうですね。とはいえ行くのが、この学会だったのだが。いま、やっつけといたら後楽になるタイミングというのもある。
◆今日は、そういう仕事を朝からしていた。で、一段落したので群馬のブログを書いているわけです。仲のよい4人で向かっており、この4人と飲むのは楽しいのだが、残念です。
◆で太田天神山。これは別途出しました。ちなみにレーザー測量をした成果が出ているという県教委の本を買ったのですが、赤色図があるだけで、等高線図がないやないか。だまされた。

朝子塚古墳

◆これ、箸墓のように寸断されているのですね。でも時期は佐紀。利根川に近い場所に位置するのがミソですね。舟運を押さえているのでは。
◆今回の群馬行きの後、これだけでかいものがゴロゴロあり、それらのモデルとなった倭国王墓を特定したいという気持ちがむずむず。
◆さっそくブログを書きつつ、まあ宝来山ちゃうかとやってみました。3段築成の2段が地上に見えており、下段は埋没しているのでは。170歩の宝来山との比較としては、105歩と考えた時、もっとも適合する。周濠のフレームも、宝来山と同じですね。この比較では宝来山が墳丘のみだが。また、朝子塚の図も、どこかのブログから取ったものでアバウトですが。

塚廻り4

◆翌日は快晴。この日はとにかく古墳をめぐるというので、高速道路も使い、まずは東端に先に行く。塚廻り4号墳です。太田市ですね。これは間違いなくはじめて、だ。天気よく、赤城山がきれい。

宝塔山と蛇穴山

◆総社に戻り、2つの方墳の石室を見る。天気悪し。これで何時かな。
◆2日目はこれにて終了し、前橋泊り。日曜日なので、予約なしで店に入ったと思う。が、これもまったく覚えてないな~。
◆群馬から戻って直後に、行先だけをブログに書いたが、それによると、「ホテル近傍の博多から進出した?店」とあるが・・・」。雨なので、店をうろうろ探し回りたくない、ということだったか、な。

赤堀歴史民俗資料館

◆総社から大室古墳群に行く。ここにも展示施設があるようなので行く(現地は翌日)。が、展示室なるものは、移築古民家の倉庫?、それを利用したもので、埴輪作り体験による作品が主体だが、実物の埴輪もいくらかならんでいた。
◆そこ経由で赤堀レキミン。昔、役所勤めの時、補助金で赤堀茶臼山古墳の発掘をやっていて、2度くらい現地に行ったように思うが曖昧。
◆まず資料館。この資料館を昔見たかどうかは?。むかしは赤堀町、いまは伊勢崎市に合併している。伊勢崎市にもこうした資料館があったのかなかったのか知らないが、たぶんなかったんでしょう。この旧赤堀町が作った資料館が、いまは伊勢崎市全体の考古系の展示施設となっているように見受けられた。
◆著名な赤堀茶臼山の埴輪類、東博は全面的に貸し出してくれないものか。
◆そのあと現地。なんとかたどりついた。が、接近していても、風景など、まったく覚えていないものですね。古墳に登っても同じでした。

前橋総社古墳群の資料館

◆この日は天気が悪いし、翌日は博物館等が閉まっている月曜日なので、資料館めぐり。総社古墳群の蛇穴山古墳横の資料館。
◆古墳出土資料もあるのだが、山王廃寺の資料がならんでいる。ここに行きつく前に、山王廃寺現地の横を通ったし、国府もあるんだろう。国分寺も。が、そういうのをすべてスルーした。で、この日の夕刻に総社に戻り、宝塔山と蛇穴山古墳の石室は見たが、それ以前の古墳めぐりはできなかった。5世紀後葉以降、連続して古墳が築かれているんですね。ちゃんと勉強しろよ、というところ。終末期方墳だけではない。前橋は再出撃が必要ですね。

観音塚現地

◆群馬といえば、まずこの「やわたかんのんづか」と、綿貫観音山(かんのんやま)というのを、最初に知ったような記憶はある。で、悲しいかな、観音塚と観音山がごっちゃになる。ちゃんと現地に行ったいまなら、観音塚が西の方で、観音山は前橋市だったか、の南ということで識別できるのですが。
◆ウィキで、メタシェイプの展開図が公開されていますね。
◆そのあと、平塚と二子塚を車でめぐり(写真下は二子塚)、昼を取る(時間がかかった)。

八幡観音塚古墳の資料館

◆確たる記憶がない。はじめてか?。そうでないとすれば老人性痴呆ですね。これ、時間が経つとどんどん記憶がなくなるが、1945年3月に偶然?石室が開口し、未盗掘で、重要資料が出土し、そして地元に資料館ができる。しかしそこは、時期が時期で、正確な出土状況は記録されていないのだったか、な(だいたいはわかっていたような)。
◆まあ、大刀やら銅器は見ごたえがあります。南に平塚と二子塚というのもあるのですね。順番を学んだはずだが、忘却しました。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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