人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
なつかしい写真をくりつつも
◆同窓会の時に投影する画像を集めないといけないのです。それぞれの世代でやってもらうしかあ りませんが。自分はいつもカメラを持ち歩き、岩倉踏査や懇親会やら、いろんな写真が残っている。ある時、ネガをぜんぶデジタル化し、フィルムは捨てた。が、なかなか思ったようには残っていない。そうか、スライドですわ。で、スライドのコマをくる。
◆しかし、写真をながめつつ、楽しい思い出ばかりではない。
◆人様の写真ははばかられるので、自分の写真でも・・・。2回生になる前の3月ではなかったか。髙マンが撮ったのだろう。
◆しかし、写真をながめつつ、楽しい思い出ばかりではない。
◆人様の写真ははばかられるので、自分の写真でも・・・。2回生になる前の3月ではなかったか。髙マンが撮ったのだろう。
は~は~
◆平日5日間、外で土を削っていると、前身が筋肉痛になるのはもとより、土日で疲労が回復しませんね。50代・・・。左膝はまあなんとか支障はないが、両膝の裏が痛い。それと、疲れると目に来るのですが、いまのところ腫れぼったさはあるが、メヤネが常にというところまでは行っていない。まだ先は長いし、体をもたせながらですね。
◆ようやっと昇任関係の書類を作った。昨日は考古研の同窓会の幹事会で、まあ具体のことがやや詰まってきたか。このほかにも記事にしてもいいのもあるが、あまり書いている元気がない。大阪市教委が育鵬社の公民教科書を採択するという、心配していた事態となっている。
◆ようやっと昇任関係の書類を作った。昨日は考古研の同窓会の幹事会で、まあ具体のことがやや詰まってきたか。このほかにも記事にしてもいいのもあるが、あまり書いている元気がない。大阪市教委が育鵬社の公民教科書を採択するという、心配していた事態となっている。
造り出しの機能
◆今回、造り出し北半部に墓坑がもうひとつ出てくるかと予想している。前年度の埋葬施設は東西幅のほぼ中央軸にあり、造り出し北半が予想より長くなり、既に北辺も検出され長方形になることは確定し、もうひとつ確実に入りうる。方形埴輪列の入口もほぼセンターにある。
◆たとえ北半部に墓坑がなくとも、南半部を埋葬部に利用し、北半部を別の機能にあてるという計画性を読み取ることができる。が、北半部にも墓坑が来れば、ここに2つの埋葬を配置する計画性がよりはっきりするだろう。とはいえ、そもそも論で言えば、墓坑なのか武器埋納坑かは確定していない。9月はじめに天理大学にレーダーをやってもらうことになっており、地山と埋土の差は歴然なので、底面も含め坑の立方形状が把握できるだろう。
◆武器埋納坑の事例を調べ、その位置を確認する必要があるが、墳頂部、鞍部である場合が多い。造り出しに武器埋能坑があった事例はほぼ聞かないように思う。それと、靱形破片が出ていて、これなどは埋葬施設上の埴輪にふさわしいとも話をしている。史跡だし掘れないだろうが、一定の判断材料を調えておく必要がある。
◆まあそれで埋葬施設が縦にならんだとしよう。これはこれで、車塚は誉田御廟山型で、御廟山はほぼ正方形の造り出しだが、車塚は長方形で2区画分あり、継ぎ足しもなさそうだし、当初から2つの埋葬施設を配置するために、こうした長方形の形状に計画し削り出したと考えられる。まずはここまで。
◆その先、造り出しの機能として埋葬に用いることもあるという話なのか、主たる機能といえるかどうかが問題になってくる。これまでの、くびれ部に取り付く造り出しで、面的に調査され埋葬施設が検出されているのがどれくらいあるのか。ほとんど聞きませんよね。それって、数少ない面的調査が実施された事例において、果たして「掘り込みはない」ということが確定しているのかどうかチェックする必要がある。たぶん、あんまり割っていないだろう。とくに上面の礫面がよく残っているなら、やれないわけです。おそらく報告書をチェックしても、ないことを確認している例はあまりないのではないか。
◆造り出しのメインの機能はオプション埋葬部ではないか、という仮説を立てることもできるわけです。漠然とだが、そうではないかと思いつつある。室宮山は前方部側面の張り出しに埋葬があったな~。堺の大塚山ではどうだったんだろう。例えば、宝塚1とか、行者とか、レーダーをかけることはできる。なので、この仮説を現時点でシロクロつけるわけにはいかず、現状の調査事例を集めつつ、将来的に探査をやっていくことで、一定の判断ができるであろう。
◆が、造り出しとは、後円部墳頂/前方部頂前端のほかに、墳丘内の埋葬場所として生み出された可能性を考えてみたい。土壇状で方形に円筒埴輪をまわし、家形などを置き、食物供献すると・・・、それって儀礼を行う場を新たに設けたと考えずとも、墳丘に附帯する埋葬場として考案されたという可能性はありうるだろう。まあしかし、けっこうな埴輪を用意して飾り、槽形導水施設をもつ特別な建物を柵で囲んだものを、くびれ部に置くなどの定型もあり、外から見ることのできる場所だからこそ飾り立てるというのは理解できる。そうすると、墳頂部の埋葬より順位的には下がるであろう近親者の埋葬にそれだけのことをするかという疑念もあり、やはり何らかの演出的セレモニーの場と見ておく方が理解しやすいのかもしれないが。
◆まあ、なかなか確実なことはいえない。が、車塚西造り出しについて、もともとは造り出しという通説でいう儀礼の場であったところに、近親者の誰かを埋葬する必要が生じ、造り出しを埋葬の場として例外的に転用したとは考えにくいように思う。そのへんの現地レベルの事実をまずはちゃんと把握することである。
◆たとえ北半部に墓坑がなくとも、南半部を埋葬部に利用し、北半部を別の機能にあてるという計画性を読み取ることができる。が、北半部にも墓坑が来れば、ここに2つの埋葬を配置する計画性がよりはっきりするだろう。とはいえ、そもそも論で言えば、墓坑なのか武器埋納坑かは確定していない。9月はじめに天理大学にレーダーをやってもらうことになっており、地山と埋土の差は歴然なので、底面も含め坑の立方形状が把握できるだろう。
◆武器埋納坑の事例を調べ、その位置を確認する必要があるが、墳頂部、鞍部である場合が多い。造り出しに武器埋能坑があった事例はほぼ聞かないように思う。それと、靱形破片が出ていて、これなどは埋葬施設上の埴輪にふさわしいとも話をしている。史跡だし掘れないだろうが、一定の判断材料を調えておく必要がある。
◆まあそれで埋葬施設が縦にならんだとしよう。これはこれで、車塚は誉田御廟山型で、御廟山はほぼ正方形の造り出しだが、車塚は長方形で2区画分あり、継ぎ足しもなさそうだし、当初から2つの埋葬施設を配置するために、こうした長方形の形状に計画し削り出したと考えられる。まずはここまで。
◆その先、造り出しの機能として埋葬に用いることもあるという話なのか、主たる機能といえるかどうかが問題になってくる。これまでの、くびれ部に取り付く造り出しで、面的に調査され埋葬施設が検出されているのがどれくらいあるのか。ほとんど聞きませんよね。それって、数少ない面的調査が実施された事例において、果たして「掘り込みはない」ということが確定しているのかどうかチェックする必要がある。たぶん、あんまり割っていないだろう。とくに上面の礫面がよく残っているなら、やれないわけです。おそらく報告書をチェックしても、ないことを確認している例はあまりないのではないか。
◆造り出しのメインの機能はオプション埋葬部ではないか、という仮説を立てることもできるわけです。漠然とだが、そうではないかと思いつつある。室宮山は前方部側面の張り出しに埋葬があったな~。堺の大塚山ではどうだったんだろう。例えば、宝塚1とか、行者とか、レーダーをかけることはできる。なので、この仮説を現時点でシロクロつけるわけにはいかず、現状の調査事例を集めつつ、将来的に探査をやっていくことで、一定の判断ができるであろう。
◆が、造り出しとは、後円部墳頂/前方部頂前端のほかに、墳丘内の埋葬場所として生み出された可能性を考えてみたい。土壇状で方形に円筒埴輪をまわし、家形などを置き、食物供献すると・・・、それって儀礼を行う場を新たに設けたと考えずとも、墳丘に附帯する埋葬場として考案されたという可能性はありうるだろう。まあしかし、けっこうな埴輪を用意して飾り、槽形導水施設をもつ特別な建物を柵で囲んだものを、くびれ部に置くなどの定型もあり、外から見ることのできる場所だからこそ飾り立てるというのは理解できる。そうすると、墳頂部の埋葬より順位的には下がるであろう近親者の埋葬にそれだけのことをするかという疑念もあり、やはり何らかの演出的セレモニーの場と見ておく方が理解しやすいのかもしれないが。
◆まあ、なかなか確実なことはいえない。が、車塚西造り出しについて、もともとは造り出しという通説でいう儀礼の場であったところに、近親者の誰かを埋葬する必要が生じ、造り出しを埋葬の場として例外的に転用したとは考えにくいように思う。そのへんの現地レベルの事実をまずはちゃんと把握することである。
久津川車塚8月21日(金)
◆20日は雨のため作業なし。で本日。自分、道上、原田、大澤・園原・吉村・土谷、木下、城陽市担当者
◆昨日、実は日中あまり雨は降らなかったらしい(朝までは城陽には大雨警報が出てかなりの雨だったが)。まあそれはそれで。学生等は、博物館見学にでかけたほか、現地説明会の資料作成の打ち合わせまでやってくれたらしい。1人は甲子園決勝の誘惑に負けたらしい。また炊飯器がおシャカになったと・・・。2001年玉7の1年目に買いそろえたもののひとつ。6シーズン(TM701・702/TM304/TM104/TM306・308、+今回ここまで)にわたってご飯を炊いてくれました。謹んで哀悼の意を表します。
◆水替えから。ついでに昨年度の旧調査区の掘削面に敷き詰めていたボロのブルーシートを上げ、埴輪列の養生のために入れていた土嚢を上げる。さてと、その上でどこをやっつけるか。行きがかり上、西区の深掘りをしたいが、足下が悪ければ、造り出し上面西北区の機械掘削後の整序とひとケズリしてもよいかと考えていたが、大丈夫そうなので、西区を続けることにする。
◆全員、西区の造り出し西斜面肩部に貼り付き、深掘り部にとどまらず西区幅8m+さら にやりのこしていた北側について、斜面の検出にあたる(写真上)。昼休みを挟んで午後第3Qの早い段階で終了し、そのあとは深掘り部幅3mに集中し、水曜日の続きの、造り出し斜面の検出作業を続行する(写真中)。上部のみ黄色粘質土を残していたので除去するも、下部のほとんどは水曜日に黄色の下の砂質土まで出していたので、それを除去して混礫赤色土(地山)まで下げていく。今日終了した上半部では、地山直上の砂に埴輪片は少なく、上の黄色粘質土の方が多かった。砂質土もどこやらまでは黄色だが、調査区中程にくると灰砂となり、葺石の礫が多く混じるようになる。石を残しつつ地山を検出し、完全に浮いていれば除去していくが、やがて地山に乗る形で残存する葺石が顔を出し始めた。造り出し斜面の角度と約3.5mの高さがあることをご覧あれ。
◆本日は写真(下)のような状況まで進む。調査区幅全体に葺石が残るくらいのところまで下がってきた(これ15:00~16:30)。
◆あとは転落石溜まりに入ってくるので、いまの葺石面を基本的に追いかければ、転落石は上に浮いてくるであろう。基底石が出るのも時間の問題(来週の月曜日には決着するのではないか)。問題は湧水。そこはポンプを掛けっぱなしにしつつ(ポンプ坑も必要か)掘り上げ、壁面の濠内堆積土である灰色砂の土層部(三方)に土嚢をあて、壁最下層の砂質土の流出による空隙発生を防ぐこと。それと木製品 が出たときの対処。
◆昨日、実は日中あまり雨は降らなかったらしい(朝までは城陽には大雨警報が出てかなりの雨だったが)。まあそれはそれで。学生等は、博物館見学にでかけたほか、現地説明会の資料作成の打ち合わせまでやってくれたらしい。1人は甲子園決勝の誘惑に負けたらしい。また炊飯器がおシャカになったと・・・。2001年玉7の1年目に買いそろえたもののひとつ。6シーズン(TM701・702/TM304/TM104/TM306・308、+今回ここまで)にわたってご飯を炊いてくれました。謹んで哀悼の意を表します。
◆水替えから。ついでに昨年度の旧調査区の掘削面に敷き詰めていたボロのブルーシートを上げ、埴輪列の養生のために入れていた土嚢を上げる。さてと、その上でどこをやっつけるか。行きがかり上、西区の深掘りをしたいが、足下が悪ければ、造り出し上面西北区の機械掘削後の整序とひとケズリしてもよいかと考えていたが、大丈夫そうなので、西区を続けることにする。
◆全員、西区の造り出し西斜面肩部に貼り付き、深掘り部にとどまらず西区幅8m+さら にやりのこしていた北側について、斜面の検出にあたる(写真上)。昼休みを挟んで午後第3Qの早い段階で終了し、そのあとは深掘り部幅3mに集中し、水曜日の続きの、造り出し斜面の検出作業を続行する(写真中)。上部のみ黄色粘質土を残していたので除去するも、下部のほとんどは水曜日に黄色の下の砂質土まで出していたので、それを除去して混礫赤色土(地山)まで下げていく。今日終了した上半部では、地山直上の砂に埴輪片は少なく、上の黄色粘質土の方が多かった。砂質土もどこやらまでは黄色だが、調査区中程にくると灰砂となり、葺石の礫が多く混じるようになる。石を残しつつ地山を検出し、完全に浮いていれば除去していくが、やがて地山に乗る形で残存する葺石が顔を出し始めた。造り出し斜面の角度と約3.5mの高さがあることをご覧あれ。
◆本日は写真(下)のような状況まで進む。調査区幅全体に葺石が残るくらいのところまで下がってきた(これ15:00~16:30)。
◆あとは転落石溜まりに入ってくるので、いまの葺石面を基本的に追いかければ、転落石は上に浮いてくるであろう。基底石が出るのも時間の問題(来週の月曜日には決着するのではないか)。問題は湧水。そこはポンプを掛けっぱなしにしつつ(ポンプ坑も必要か)掘り上げ、壁面の濠内堆積土である灰色砂の土層部(三方)に土嚢をあて、壁最下層の砂質土の流出による空隙発生を防ぐこと。それと木製品 が出たときの対処。
久津川車塚8月19日(水)
◆自分、長友、道上、佐藤・山口、土井、大澤・園原・吉村・土谷、木下、城陽市担当者 泊8人 天候はそんなに よくない。夕方16:10で雨も来たので早めに終了する。
◆朝、文化庁視察のため、今回の新規掘削部のシートをすべてめくる。その前に若干の水替え。そして本日は西区深掘り部分に全員集中。まずは機械掘削後、調査区の成形ができていなかったので、壁を整えるところから始める。およそ整った段階で、もう今日は西区でやれるところまでやることとし、2トップで黄色粘質土を、ほぼ作り出し肩部近くから始め、はいでいく。下層は砂層。かなり上の方まで砂は上がっている。この砂、黄色粘質土が堆積する際の最下層かもしれないが、葺石転落石含みの濠内堆積土である灰色砂もけっこう高いところまであるように感じる。
◆上層の黄色粘質土を深掘り部の上から下まで、削り組、土拾い組み、排土組に分かれてサイクルを作り、最下部におよぶ。かなりの急傾斜で、転落石が広がる。黄色粘質土中から、囲形埴輪の上のギザギザ片が出土(これ昼前だったか)(ちなみに、昨日拾い集めた造り出し上面の浮き埴輪片のなかに籠目土器が含まれていた(けっこう大きい底部))。
◆最終段階で人が入れるスペースがなくなったので(写真)、15:30頃から、5人が造り出し肩部にならび、 造り出し西斜面のイキ面まで、上から検出を開始する。いまの時点ではまだ水平距離で1m未満で、砂面にはいっていないが、砂が出てきてからは、それも除去し、地山の斜面を削り出していくことにする。生きた葺石上端がどこで来るか、いまは不明。
◆ということで、深掘り部は南区からと考えていたが、また造り出し北辺の葺石検出も途中なのだが、行きがかり上、西区深掘り部に手をつけることとなる。友禅職人尾山さんは今日が最後でした。ありがとうございました。
◆いつものように、大久保湯経由、マツヤスーパー。今日はステーキ!。
◆朝、文化庁視察のため、今回の新規掘削部のシートをすべてめくる。その前に若干の水替え。そして本日は西区深掘り部分に全員集中。まずは機械掘削後、調査区の成形ができていなかったので、壁を整えるところから始める。およそ整った段階で、もう今日は西区でやれるところまでやることとし、2トップで黄色粘質土を、ほぼ作り出し肩部近くから始め、はいでいく。下層は砂層。かなり上の方まで砂は上がっている。この砂、黄色粘質土が堆積する際の最下層かもしれないが、葺石転落石含みの濠内堆積土である灰色砂もけっこう高いところまであるように感じる。
◆上層の黄色粘質土を深掘り部の上から下まで、削り組、土拾い組み、排土組に分かれてサイクルを作り、最下部におよぶ。かなりの急傾斜で、転落石が広がる。黄色粘質土中から、囲形埴輪の上のギザギザ片が出土(これ昼前だったか)(ちなみに、昨日拾い集めた造り出し上面の浮き埴輪片のなかに籠目土器が含まれていた(けっこう大きい底部))。
◆最終段階で人が入れるスペースがなくなったので(写真)、15:30頃から、5人が造り出し肩部にならび、 造り出し西斜面のイキ面まで、上から検出を開始する。いまの時点ではまだ水平距離で1m未満で、砂面にはいっていないが、砂が出てきてからは、それも除去し、地山の斜面を削り出していくことにする。生きた葺石上端がどこで来るか、いまは不明。
◆ということで、深掘り部は南区からと考えていたが、また造り出し北辺の葺石検出も途中なのだが、行きがかり上、西区深掘り部に手をつけることとなる。友禅職人尾山さんは今日が最後でした。ありがとうございました。
◆いつものように、大久保湯経由、マツヤスーパー。今日はステーキ!。
久津川車塚8月18日(火曜日)
◆自分、道上、山口、佐藤、吉村・土谷、木下、森田(大阪の歴史演習履修者)、城陽市担当者 天気はカ ラッと晴れ
◆朝、電車で久津川駅へ。9時過ぎ着。昨日は天候不順から作業員さんはなしになったので、重機、作業員さん1名の、盆明けとして最初となる。ポンプで水を抜きつつ、造り出し上面西北区の機械掘削が進む。われわれは、くびれ部の石出しと、造り出し南の屈曲部の葺石続き(濃い緑)に分かれて作業に着手。しかし、造り出し西北コーナー部の機械掘削が進むのを見て、機械に排土してもらい、造り出し斜面を出してしまう絶好の機会と判断。途中から4人で機械掘削の進行に応じ、既にアラアラ下げられた箇所の造り出し斜面の検出をやっつける。土が溜まれば前方に送り、機械ですくって排出してもらう。
◆結局、日なが、くびれ部の石出し3人のほか、4人は造り出し北辺の検出、次いで西北角部の検 出、造り出し西斜面の検出と、ぐ るーっと回り込みながら、だいた い仕上げていった。まあ、よく働きました。くびれ部の石出しも、手間だが、順調に石の目地の黄色粘土をホジホジして、かなりすっきりしてきた(右)。造り出し斜面の検出も、回り込んで西区深掘り部に近い当たりまで到達する(ほぼ左の写真の右端くらいまでは完了)。
◆これにて、今回の調査区がすべて形作られ、作り出し上面の全体が姿を現した。重機もトラックに載せられ帰っていった。あとは人力によるほかなし!。
【来客】城陽市えらいさん。羽曳野市館長さん。アイス3個!。明日は文化庁の調査指導。現説、9月19日(土)予定(現時点)。
◆朝、電車で久津川駅へ。9時過ぎ着。昨日は天候不順から作業員さんはなしになったので、重機、作業員さん1名の、盆明けとして最初となる。ポンプで水を抜きつつ、造り出し上面西北区の機械掘削が進む。われわれは、くびれ部の石出しと、造り出し南の屈曲部の葺石続き(濃い緑)に分かれて作業に着手。しかし、造り出し西北コーナー部の機械掘削が進むのを見て、機械に排土してもらい、造り出し斜面を出してしまう絶好の機会と判断。途中から4人で機械掘削の進行に応じ、既にアラアラ下げられた箇所の造り出し斜面の検出をやっつける。土が溜まれば前方に送り、機械ですくって排出してもらう。
◆結局、日なが、くびれ部の石出し3人のほか、4人は造り出し北辺の検出、次いで西北角部の検 出、造り出し西斜面の検出と、ぐ るーっと回り込みながら、だいた い仕上げていった。まあ、よく働きました。くびれ部の石出しも、手間だが、順調に石の目地の黄色粘土をホジホジして、かなりすっきりしてきた(右)。造り出し斜面の検出も、回り込んで西区深掘り部に近い当たりまで到達する(ほぼ左の写真の右端くらいまでは完了)。
◆これにて、今回の調査区がすべて形作られ、作り出し上面の全体が姿を現した。重機もトラックに載せられ帰っていった。あとは人力によるほかなし!。
【来客】城陽市えらいさん。羽曳野市館長さん。アイス3個!。明日は文化庁の調査指導。現説、9月19日(土)予定(現時点)。
久津川車塚8月17日(月曜日)
◆自分、長友、道上、佐藤、吉村・土谷、木下、城陽市担当者 泊5人 天気は不安定
◆10:50に雨、11:10再開。午後、16:10頃で雨のため撤収する。雨に洗われて西辺埴輪列の新規2本がよく見えてきた。それとまだ手の着いていない箇所で、土師器片が覗いているポイントを確認。
◆くびれ部の水かえをして全員、東北区に入る。墳丘側の東から西に削っていく者、造り出し上面の南側から北へ削っていく者、くびれ部の谷間の黄色粘質土を削る者に分かれて開始。黄色粘質土はがんがん内側から下げていく。くびれ部谷間および造り出し北斜面とも、抜けもあるが、かなり上から葺石が残存している。
◆上面はほぼ仕上がり(赤部分)、上部の石際の処理を進めるが、石の目地出しはまだしばらくかかる。一方、くびれ部谷間は、1m弱は下がり、造り出し北斜面の葺石がず~と検出されてい く。本日の終わり頃には、調査区の範囲の最下部まで、石のツラが見えてきた。もう1日あれば仕上がる。よく見ると、大きめの石を積んだ縦の列石が明確なもの1列、そうかと思われるもの1列がある。くびれ部の谷筋は、いまのところ不明確。葺石上端部ではV字にえぐれず、造り出し直交方向に石がならぶ。これが生きており、調査区外で後円丘に沿うよう屈曲するのかもしれない。接合部の処理がどうなっているかという問題。
◆途中で、人が入りきれなくなったので、土谷君と造り出し南辺に移動し、深掘り部との間にできていた幅のある畔状に残ってしまっていた黄色粘質土のベルトを撤去する(下)。おおむね土を削ぎ、造り出し南斜面に近くなったところで、ジョレンで墳丘面を削る。葺石の続きと思われる石材の上端ものぞく。そこから木下にバトンタッチして、2人で葺石の続きの検出を任せる。16時過ぎの雨で、本日の最後、どこまでいったかは未確認。
◆10:50に雨、11:10再開。午後、16:10頃で雨のため撤収する。雨に洗われて西辺埴輪列の新規2本がよく見えてきた。それとまだ手の着いていない箇所で、土師器片が覗いているポイントを確認。
◆くびれ部の水かえをして全員、東北区に入る。墳丘側の東から西に削っていく者、造り出し上面の南側から北へ削っていく者、くびれ部の谷間の黄色粘質土を削る者に分かれて開始。黄色粘質土はがんがん内側から下げていく。くびれ部谷間および造り出し北斜面とも、抜けもあるが、かなり上から葺石が残存している。
◆上面はほぼ仕上がり(赤部分)、上部の石際の処理を進めるが、石の目地出しはまだしばらくかかる。一方、くびれ部谷間は、1m弱は下がり、造り出し北斜面の葺石がず~と検出されてい く。本日の終わり頃には、調査区の範囲の最下部まで、石のツラが見えてきた。もう1日あれば仕上がる。よく見ると、大きめの石を積んだ縦の列石が明確なもの1列、そうかと思われるもの1列がある。くびれ部の谷筋は、いまのところ不明確。葺石上端部ではV字にえぐれず、造り出し直交方向に石がならぶ。これが生きており、調査区外で後円丘に沿うよう屈曲するのかもしれない。接合部の処理がどうなっているかという問題。
◆途中で、人が入りきれなくなったので、土谷君と造り出し南辺に移動し、深掘り部との間にできていた幅のある畔状に残ってしまっていた黄色粘質土のベルトを撤去する(下)。おおむね土を削ぎ、造り出し南斜面に近くなったところで、ジョレンで墳丘面を削る。葺石の続きと思われる石材の上端ものぞく。そこから木下にバトンタッチして、2人で葺石の続きの検出を任せる。16時過ぎの雨で、本日の最後、どこまでいったかは未確認。
8月15日、人事書類を
◆思えば去年の今頃は博士論文を仕上げていました。それで今年度、昇任する人事が認められ、業績一覧などの書類を出さないといけません。木曜日にかなりやったのですが、本日、仕上げてしまおうと思います。お盆。8:30には研究室に座って仕事を始めています。夕方には実家に戻る予定。散髪もしたいのだが・・・。
久津川車塚8月14日(金)
◆自分、道上、阿部、土井・吉村・土谷、木下、伊藤、城陽市担当者 天気曇り(お茶がはけませんでした)
◆前日の夜にも雨が降ったか、シートに水がたまり、水替えから始める(~9:30)。くびれ部も水替え。今日は造り出し上面東南区の最終仕上げとなった。
◆前方部墳丘部の精査は完了。北部の残していた礫もはずれると判断し除去した。造り出し上面を西へ掘り上げる組みは、攪乱溝まで行き着き、くっきりと残存面の仕上げをしてくれた。
◆第2Qからは、全員で埴輪列の仕上げにかかる。埴輪の残存状況や掘り出し状況もすべて異なる。ハナからスッキリさせる方針で、あまり破片を残してはいないが、やられて丸くまわらないものなど、出てきたそのままで残してきているものもある。埴輪まわりも、まだ黄色土が残っていたりする。これらについて、全面的に仕上げにかかる。内部の黄色土をはずし、外側についても黄色土をはずして仕上げ上面を出していく。残してきた破片もほとんど取り上げる。どうも埴輪が抜かれていそうな、見あたらないところについても、抜き穴撹乱として仕上げないといけないし、土を見ながら撹乱を下げていく。案の定、埴輪片が出てくる。底部片1/8くらいの破片がへばりついて残っていた箇所もあった。埴輪列グイチ部のところは、かろうじて底部小片が立っているだけであった。そのあたりの数本は残りが悪く、1本分は完全に抜かれて何もない。これで図を書くという仕上げまでを、結局は1日かかかったが完了した。めでたし、めでたし。
◆造り出し南隅部上端の残りの葺石出し、あるいはくびれ部の上面検出に、今日の途中から入るのではないかと予想していたが、それはまた来週。1区画、これでシートを掛けて全体清掃まで寝かしておこう。
【今日の来客】玉虫くん
◆前日の夜にも雨が降ったか、シートに水がたまり、水替えから始める(~9:30)。くびれ部も水替え。今日は造り出し上面東南区の最終仕上げとなった。
◆前方部墳丘部の精査は完了。北部の残していた礫もはずれると判断し除去した。造り出し上面を西へ掘り上げる組みは、攪乱溝まで行き着き、くっきりと残存面の仕上げをしてくれた。
◆第2Qからは、全員で埴輪列の仕上げにかかる。埴輪の残存状況や掘り出し状況もすべて異なる。ハナからスッキリさせる方針で、あまり破片を残してはいないが、やられて丸くまわらないものなど、出てきたそのままで残してきているものもある。埴輪まわりも、まだ黄色土が残っていたりする。これらについて、全面的に仕上げにかかる。内部の黄色土をはずし、外側についても黄色土をはずして仕上げ上面を出していく。残してきた破片もほとんど取り上げる。どうも埴輪が抜かれていそうな、見あたらないところについても、抜き穴撹乱として仕上げないといけないし、土を見ながら撹乱を下げていく。案の定、埴輪片が出てくる。底部片1/8くらいの破片がへばりついて残っていた箇所もあった。埴輪列グイチ部のところは、かろうじて底部小片が立っているだけであった。そのあたりの数本は残りが悪く、1本分は完全に抜かれて何もない。これで図を書くという仕上げまでを、結局は1日かかかったが完了した。めでたし、めでたし。
◆造り出し南隅部上端の残りの葺石出し、あるいはくびれ部の上面検出に、今日の途中から入るのではないかと予想していたが、それはまた来週。1区画、これでシートを掛けて全体清掃まで寝かしておこう。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。