人を幸せにする人になろう

西都原考古博物館2004

◆西都原の調査の委員をやらせてもらっていて、年に1度行くのだが、いつも学芸側の裏から入り、 調査を見せてもらったりする合間に、企画展を見ることが何度かあったが、ちゃんとぜんぶ、じっくり見たことがなく、この日、2時間くらい見てたのかな。ショップから始まり導入部、展示室と。投影映像もひととおり見た。博物館として何かと勉強になった。また独特の語りがあり、これには賛否あるようだが、コアがちゃんとしているなら、色があっていいのではないか。山の民のところとか、瀬戸内との関係とか、面白い。しかけもさまざま挙げればきりがないくらいある。味わいがありますね。8月1日の土曜日、そこそこお客さんが入っている。
◆研究所のところは、将来的にはどうなるかなと。展示と切り離せないとの考え方なのだろうが、モノの展示を充実させるという方向もあるようにも思う。その際は、やはり古墳時代を中心として、旧石器から古墳時代まで(ちょこっと古代)というのを維持しつつ、県下の資料を俯瞰できるような拡充もあるだろうし、古代以降の部分も取り上げていくということもあるかもしれない。

西都原講演会も終わり

◆金曜日は17:45の飛行機。雲が多く、明石海峡の写真も、讃岐の沿岸部や小豆島の写真も、撮ったものの雲海に近い。1時間で到着。暑いです。なんでも前日は西都市が37.5度と全国一熱かったとか。
◆宮崎市は近世城下町でもなく、近代以降に宮崎県の成立とともに新たに作られた都市だそうである。近世には、3つの城のある藩のほか、いろいろ細かく領地が分かれていて、天領も多かったという。
◆ホテルに入りすぐに懇親会。Hさんから台湾の博物館の話を聞く。タイペイ市の新市街が新平市となり、そこに十二なんとか遺跡という鉄器時代遺跡があり、国が発掘するも保存問題も起こり、一部は残っているようだが、そこに考古博物館ができ、年90万人を集めるのだという。とはいえ考古の学芸員は1人くらいしかおらず、教育普及系の学芸員が多く、考古や歴史に限らないさまざまな企画展や取り組みがなされ、多いときは1日1万人が来るのだという。一方でタイペイにある国立博物館は金はかかっているが面白くはなく、博物館を使った積極的な活動を新平の博物館がやって、人を集めているのだという。行ってみたくなった。
◆終了後、お茶とタバコを買って、ひとまず貼り付けただけのパワポに補う文字や動きを加えて行くも、そのまま布団に入らずベッド上に倒れる。今回も4:30頃に目が開き、そこから仕上げにかかる。8:00にはひととおりでき、朝飯を食いに下りる。

生前造墓論

◆いえ、前に出したかもしれませんが、今回、西都原で使うのにカラー化し、パワポ の1枚を作りま した。
◆お次は、墳丘規模。
◆お次は尺度。
【追記】やっと西都原に入るが、時間かかる!、けっこう手強い。  

ヒストリアの記事を書いている

◆ひとまず陵墓懇談会の記事を出した。4頁、1.5頁は図・写真だが、それでも時間を食ってしまう。ピースの記事も続けてやりたいが、ちょっと宮崎が心配になってきたので、切り替えるか。
◆そうこうしていると、あるテレビ会社から電話がかかってきて、古市・百舌鳥が今年は推薦されないことになったことの報道番組、大仙は仁徳陵なんですかとズバリくるもんで、ちゃいますと。いろいろと話はしたが、ホンマに番組で取り上げるとなり、名前が出るようなら、ちょっと誤解のないようにウンヌン。ああ、ぜんぜん世界遺産に反対してないのに、そんな配慮をせざるをえない風潮は何なんだ、と思う。大仙古墳はオオササギの墓であろうがなかろうが大事なんです!。
【追記】結局はたいしたことないみたい。

このところのモロモロ

◆南九州の近つの図録だったか、官牧(かんまき)という言葉を知る。奈良の上牧、これも馬見丘陵の牧場という意味なんでしょうね。
◆実績という説得力。
◆いまの学生はアルファベットの筆記体を習っていないのだという。ほんまかいな。bとかfとか筆記体の文字が読めないんだそうです。
◆ゆとり教育の底辺がいまの4回生という。いまの1回生は違う、という。
◆夏休みの宿題代行業というアホ。なんでもいい、自分が興味あることをやってみる、なんか作ってみるとか、そういう芽を摘む馬鹿さ加減。
◆いまの大人が自分たちの頃になくてよかったと思うもの、スマホとSNSだそうです。
◆スマホをいじるより、自分の頭で考えて灰白色の皺を増やすことが大事。本能に支配される比重が高くなるということだわな。
◆パナソニックの技術者の言葉、カンが働かない、カンが鈍い、カンが悪い・・・。公文などという答を出す作業にいそしみ、その技術を習得し、自分で考えるということをしないんだろう。蝉が地中からはいだし、羽を展開させる、そういう観察とかもないのだろう。答なんぞ決まっていて、それに到達すればいいんでしょという世界。未来は自分で切り開いていくものだ、人間は自由で、なんでもやろうと思えばやればいいし、そうやって生きる楽しさを知らない。なんかだいたいのことは決まり切っていて、そのどこのレールに乗るか、くらいなもんだ、と思っているのだろうか。食い扶持は必要だが、生き方は自由なんです!

パワポを作り始めるも系列図どまり

◆5枚作ったところで、倭国王墓の系列図の修正に入り、おわっちまった。個別の図をぜんぶ差し替えた。かなり洗練された、いい図になってきた。
◆今日はだいぶ雑用を処理した。近鉄文化サロンの講座の概要書き。大歴全体委員会の会場の年間予約。小豆島への連絡、などなど。来週から現場に専念できるよう!。
◆ヒストリアの、陵墓懇談会とピースの記事もやっつけないといかん。オープンキャンパスの準備。採点(これはちょこっと)。博物館実習展のテーマ決め。これ前期中に決まらなかった。さあ大変。試験期間中になんとか・・・。ちょっと商大事件を調べてはいます。広川先生の論文3本読みました。治安維持法による検挙です。
◆まあ帰りましょう。毎日毎日、12時間から13時間くらい働いているもので。

京都府城陽市久津川車塚古墳発掘調査のご案内

◆調査期間
8月3日~9月30日(予定)
◆調査主体
城陽市教育委員会 史跡整備にむけた国庫補助事業
協力 大阪市立大学日本史研究室
◆今回の調査目的
西造出の規模を確認し、くびれ部および前方部側面の墳端を押さえ、墳丘復元のための定点データをえる。
【追記】扇風機、テント、食事関係、発掘器財の追加分などなど、倉庫から出し、出撃準備を終えました。
 

沖の島になったか

◆う~ん、そうか。
◆久津川車塚の参加者表が固まってきている。3日から機械掘削に入るとのこと。調査区整備もあり、人員も来週から入っていく。いよいよです。9月7日の週は大阪城のボーリングがあるのですが、それ以外はフル参加をめざす!。

この間、大阪の地図をいじっていました

◆大阪市の1929年の1万1があり、本になっている範囲について知ることができる。そこには1886年 の大阪実測図5000もある。これは前から知っていたが、同じ本に収録されている。で、1961年の大阪府1万1の画像データをもっている。で、それらを重ねていた。
◆左右のいちばん薄いのが1961年で、まんなかの中間が1929年、どまんなかの黒が1886年である。難波大道の名残を赤で入れてみる。この四天王寺付近の大阪実測図は、266mほどの難波京条坊を示す方格地割が残るところ。1929年でも既に大阪市域の区画整理が始まっているが、平野(ひらの)あたりはまだで、条里が残る。いや~1929を手に入れたことで、大阪市域の条里復元に、俄然、リキが入りそうである。とはいえ、あんまりケイハンをちゃんと入れていないようにも見える。ほんとは同じ時期の、というか地図の元になる航空写真が残っており、そこまで降りていくのがベストなんですが、そこまではなかなか。

考古学研究の本文を出す

◆出しました。あとは図だが、まあ、あと1ヶ月くらいは・・・。たぶん迷惑をかけることはないだろ う。1点のみ挿図を追加する。分析結果のまとめである。庄内式をさらに古くする方が妥当かな、と思い始めているが、それは計測データの蓄積を待ってからで問題はない。アウトラインに変わりはないから。
◆次は雄山閣の原稿(1文字も書いてませんが・・・)、それと歴博論文である。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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