人を幸せにする人になろう

久津川車塚9月22日(火曜日)

◆自分、原田、道上、佐藤、大澤・園原・木下・白木原、城陽市担当者
◆東南隅部埴輪片の取り上げ、造り出し上面の検出を継続する。本日でおよそ目処がついてきた。平行して2人で、北半部の土器供献部の既出のものを下部まで出し、上面を仕上げていく作業に入る。途中から、東南隅部から2人が合流し、およそ土器を露呈させていくことができた。新たに完形品が出てくる地点はないが、既出のものの姿形がはっきりし、その周囲の若干の下げも、だいたい終了してくる。小片はパラパラと散っており、これは位置を記録して取り上げた。
◆南北撹乱溝をはさんだ東側の、土製品出土地点はまだ手がついていないので、明日はそっちに入っていく。東南隅埴輪列も、もうちょっとで終わる。図面を先行せざるをえないと思っていたが、上記の掘り残しが明日までもちこし、今週あと木・金となると、明日は埋葬施設中軸部の陥没坑に入っている黄色粘土の下げを含めて、なんとか掘り上げることをめざし、シルバーウィーク明けの木曜日には作業員さんが戻ってくるので、少し増強してもらえるならそうして全体清掃にかかり、金曜日を写真撮影とするのがよいと判断した。一応、その予定で進めることにする。実測は、来週からでよい、と。
◆週末から市大の和泉市合宿に入り、金から3日はそっちにいかなければならない。週明けは、9月が残り3日、10月の1・2日まで。木曜日の授業はなんとかして(金曜日はなんともならん)、月~木までは貼り付ける。そして最後、図面は残るだろうが、土日はあいているので、学生に奮起してもらい、4日で完了、というのが今の目算。ただし立命も授業が始まり、学生は減ってしまう。2回生と3回生でも違うが、自分らの掘った葺石や埴輪列の図を描く経験をしてもらいたいもの。そこは持ち場を与え、来れる日のなかでやってもらうしかない。とはいえ、3・4日でというわけにもいかないので、かなりこっちが描かないとやはりいけないのも確か。
【見学者】G市K氏、W県K氏、O大N氏、A市M氏

久津川車塚9月21日(月曜日)

◆自分、長友、原田、道上、佐藤、園原、木下、城陽市担当者
◆実測を一部開始してもいいが、まだ掘り残しがあり、その始末が先。埴輪列南辺内側の埴輪溜まりの取り上げと上面出し。東南隅部と南辺中央に分かれて作業。自分は西南隅部を東にむかって作業した。50㎝メッシュを張って写真を撮り、取り上げる。主要な破片は座標を記録。ただし、東南隅部では隅位置の大型埴輪あるいはその横に蓋形が載せてあったようで立ち飾りが出土するなど、密に埴輪が重なり手間がかかる。南辺中央から西南隅にかけては、なんとか完了した。隅部もかなり進んだが、なお土のかぶりも多く残り、明日に持ち越しとなる。
◆明日は全員で東南隅部をやっつけて、次に造り出し北半部の土器・土製品の精査に入って いく予定。
【夜】少人数なので焼肉。自分を入れて計5人。

9月18日の宿舎で

◆餃子150個・・・、D君の誕生日祝いのケーキ。前方後円墳の形にローソクを立てています。入刀の儀 礼の写真もあるのですが、それはおいておきます。机にはリポD。

現地説明会の資料

◆2点のみ訂正。埋葬施設の南北規模は6.6mです(お許しあれ)。図2のスケールは10mです・・・。

久津川車塚9月19日(土曜日)現地説明会

◆自分、原田、道上、山口・佐藤、園原・大澤・土谷・吉村・土井・木下・安藤
◆早出にして8:30に現場に赴くが、城陽市教委、そして平安文化財のみなさんも早い。受付、遺物展示、掲示物、現地の遺構表示、文字説明板を立てる。そして10時スタート。午前中は300人くらい。昼休み前後は途切れるが、午後も250名ほど、合計、資料数で547ということです。
◆現地では持ち場を5箇所に分けて、学生等が説明をする。交替して立命の2回生2人も含めて、説明に立った。新聞は京都版までにとどまったが、多くのみなさんに集まっていただいて、ありがたいことである。関係者および調査にあたってきた院生・学生等の奮闘に感謝いたします。日曜日、ゆっくり休んで、来週また頑張ってくれ。

久津川車塚9月18日(金曜日)

◆自分、原田、道上、山口・佐藤、園原・大澤・土谷・吉村・土井・木下・安藤、城陽市担当者
◆現地説明会にむけて全面シートをめくり、造り出しの全容があらわとなる。学生らは南辺を中心 に、東南隅から昨年度の東片までに貼り付き、埴輪列外側の上面の仕上げ、埴輪列内側からの上面出しに従事。南辺の一部では、混礫赤色土の地山の上に黄色の砂質土を入れて上面としているよう。仕上げ土を載せている状況。今年度最初にやった東南区でも、こうした黄色砂質土が確認できるところもあった。【写真】これは翌日の現地説明会のスタート時点のものですが、縦方向が南辺。こういう仕上がりです。内側の埴輪・礫だまりは、これからです。
◆ただし、東南隅部および南辺中央部の内側、形象埴輪の溜まっている部分は、埴輪がぽきんと折 れて倒れているようなものもあり、形象埴輪の大きな破片を含めて、位置の記録を取る必要があり、その範囲を絞り込んだ形にとどめ、現説後に取り上げを進めることにする。
◆埋葬施設については、東北隅部および南辺を確認する。前年度の所見と齟齬があった部分も解消する。まわりの掘り上げで手いっぱいで、詰め切れていなかったが、ほぼこれで解決。あとは中軸部の木棺陥没部に入り込んだ洪水層を南半部について掘り込んで、その状況をあらわにして終わり。これは最後の最後でよい。
◆自分は西辺の仕上げを中央部から南に向かってやっていた。埴輪がないところの抜き坑の掘り上 げ、埴輪があるところについては図面を取れるように。全体風景を撮っていないので、自分の作業記録から。
◆周囲では作業員さんが、現地説明会にむけて、ロープ張り、排土や礫の片づけなど通路の安全確保および整頓などが進む。少し延長して、最後は調査区内のざっとした清掃など、目立つところからきれいにしていく。これはまた明日、10時スタート前にもうすこし。
【見学者】O大M氏、K大T氏、K市T氏

2015年9月20日快晴

◆秋の行楽シーズン。出かけるには最高のお天気ですね。現地説明会が無事終了し、本日は、このところ大学に戻ることなく溜まっている仕事を片づけたいと思います。

2015年9月17日(木曜日)

◆天気予報はよくないので、南辺のあたりのみシートを開け、テントを立てて作業をする。が、11 時半前だったか、かなりの降雨となる。予報では、一旦、雨雲は途切れるが、午後も夕方16時頃まで降る予報となる。雨量はたいしたことないとの前日情報で、なんとか1日やれるのでは、と思っていたが、無理と判断した。弁当を宿舎で食べ、現説用のボードに貼るA1印刷物3枚程度を打ち出しに大学に戻る(この日の夜にやる予定だったもの)。
◆なんとなく気力が弱まっていることを感じる。やはり天気も影響します。秋晴れの月・火はやはり現場をやっていても気持ちがよかった。昨日は昨日で、みんなが南辺に集中している姿を見て、こういう発掘ができることを喜んでいたが、今日はなんとなく朝からどよ~んとしていた。まあ、雨はしゃーないし、そこは切り替え、頑張ってくれている学生等と今週を乗り切り、来週、掘るという意味で残っている課題箇所を詰めつつ、基本的に図面にもっていくよう、こっちは段取りをつけていくのが仕事である。
【写真】これは18日朝の写真ですが、およそ16日はこんな状況でした。

久津川車塚9月16日(水曜日)

◆自分、道上、原田、佐藤(・山口?)、園原・大澤・土谷・吉村・木下・安藤 城陽市担当者
◆小雨模様ながら、2つのテントで南辺をカバーし、全員で埴輪の精査、上面の検出に従事する。昨年度、横たわった埴輪片を含む礫が残っている面で止めていたもので、埴輪を上げて礫面を整えてと考えていたが、埴輪列の柵で溜まりになっている様相。黄色が続き、止めていた礫面はほぼはずさないといけないようで、上面までかなり土を上げなければならない。
◆南辺を2分割する位置の大型埴輪のなかに蓋の立ち飾りの軸が落ち込んでいた。埴輪の内部および周囲はかなりすっきりし、埴輪の姿かたちがかなりくっきりとなるも、その両側に残された上面までなお高い部分を下げるには、まだまだ手間と時間がかかる。家形埴輪の破片がまとまって見られる範囲も絞られてきた。立っているものはなさそうだが、元の位置を一定反映した出方をしている。南深掘り部でも出土した、立派な端面を面取りし、軸部に円形孔をもつ鰹木が出土。
◆なんとか1日作業ができた。この日泊。現地説明会の資料完成。学生等による説明ポジションにつ いても相談する。原田・道上両君らが学生らを牽引し、みな献身的にやってくれている。現説に向けて格好を整えないといけないが、そうしたドタバタの緊張感をもちつつも、焦ってやることはない。必要な観察や記録など、やらなければならないものはヤランといかん。9月中に終了するには黄色信号となってきているが、残りの作業は数多くあることは確かだが、手順を考え、ひとつひとつ仕上げていくほかはない。
◆こっちは、メイン箇所の埴輪列の作業は任せ、縁部で片づけておかないといけない作業をやっていたが、埴輪列にむかっていると、長い時間膝を折っているのもしんどい。
【写真】この日の晩ご飯の様子。

久津川車塚9月15日(火曜日)

◆自分、長友、道上、原田、佐藤(・山口?)、園原・大澤・土谷・吉村・木下・安藤、最明 大阪の歴史演習 履修者の泉谷・三澤・宮井・湯川 城陽市担当者
◆あさいち、記者発表のためにシートをすべてまくり、汚いところの清掃。10時に報道関係者集まり、上面西北区の残り作業に従事する者はやり、一方で、隅部および長辺3分割の位置、短辺2分割の位置に大型円筒をまわることも確認され、昨年度埴輪と礫の検出面で止めていたところの精査にも入っていく。拡張区のフレームや、土器小片の取り上げ、完形品の土器出土地点などの略測も行う。この間、大阪大学のみなさんの見学。須恵器はTK73のハソウ、土師器小壺もプロポーションから、そのあたりでいいとご教示をいただきました。
◆午後、西辺の埴輪も一部やりつつ、南辺部に集中する。墓坑部分についてフレッシュな面を出していく作業も、この日からだったか。
◆明日、葺石の写真だけでも、とも相談していたが、無理。スケジュール的に、現説後、まず図面をやっつけ、そのあと写真にならざるをえない。なにやら、にわかにあわただしくなってくる。いや~いや~いや~・・・。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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