人を幸せにする人になろう

五百羅漢と住吉神社

◆何十年ぶりかに五百羅漢に行く。有料。そこで北条の町歩きマップを手に入れる。そのあと至近 の住吉神社。なんでも播磨三の宮だとか。立派である。住吉神社と聞い て、栄原先生の議論を思い出す。隣に酒見寺というのがならぶ。
◆そのあと、あんまり時間がなかったので、街道沿いを車で通り抜ける。商家家並みというのより、旧家家並みという通りの方が、町屋が残っているのかもしれないが、そっちは途中までで引き揚げてしまった。北条というのは門前町であり街道の宿町だったのだ。加西市という名前は無機的ですね。北条という名前の方がいい。

鶉野飛行場

◆次に鶉野飛行場跡地というところに連れて行ってもらう。前にオヤジから話は聞き、グーグルで 観察したことがある。地下防空壕になっている指揮所があり、地元民が埋 もれていたものを内部の土砂をのぞき、見学施設 としてパネル等の解説がある。いまは展示施設が別にできているが、たぶんお盆のためだろう閉まっていた。そのあと飛行場跡地に行く。いまだに自衛隊の管理地になっているらしい。まあ、払い下げられなかったから残ってきたんだろう。いずれにしても、地元のみなさんが、戦時中のことを伝えるために顕彰しようと力をあわせて、こうした見学施設としているようである。

北条の町

◆8月15日の土曜日、大学で仕事をしてから、お盆で実家に帰りました。翌日、今回は北条の町に行 くことにしました。まず法華口駅。ぽつんとたたずむ小さな駅舎。そのな かがパン作り販売など、駅舎工房となっており、地元の人たちがやっているみたい。駅員さんも女性。そうこうしていると下り列車がやってきて、1両の車両が近づく。撮りテツ屋がカメラを構えている。これ、直後の朝日新聞にも取り上げられていました。

考古学研究の原稿を届ける

◆7月末に本文はできて事務局に送ったが、届いていなかったよう。今週8月24日からの週で、なんとか図をB5の会誌用に作り直す作業にかかり、27日に完成したので、すべて宅ファイル便で送る。が、これも届かないみたい。が、編集担当に本日送り、まあこれで1件落着。さて昇任関係の書類の手直しの指示も来ているので、それをやっつけよう。
【追記】考古学研究の論文は結局12月号になってしまったようだ。残念・・・

久津川車塚8月28日(金)

◆自分、原田・道上、山口・佐藤、園原・吉村・土谷・木下、佐々木+1、城陽市担当者
◆朝、排土の移動。そのあと拡張のため南区は作業員さん2人と土運びに2人、それと北辺の葺石の仕上げに2人のち3人。残りは造り出し上面に入り、墓抗上の黄色粘土中の昨年度のそのままにしていた埴輪の取り上げ(レーダー探査のため)。畦の除去。撹乱溝の掘削。拡張区では比較的早い段階で、高い位置から前方部の葺石材が出てくる(転落石)。
◆午後からは、北辺の3人には本日中に仕上げてもらうよう指示し、残りは全員南区に。拡張区の所見から前方部裾が検出できる見込みが立ち、調査区を整えるため、部分的な東方への拡張でなく、北側すなわち造り出し斜面上方まですべて抜くこととし、作業員に従事してもらいつつ、最初の拡張部の石出し、および昨日までに出てきていた造り出し南面の葺石の清掃にかかる。拡張部では転落石を除去していくと、やがて前方部基底石が出てきた。昨日出ていた最も東の石の隣であった。惜しい!。まあ、ぎりぎりで並んでいてもそれだけなので、幅1m東にのばし、前方部斜面も一定の斜面長を検出できて格好がついた。ただし図化しなければならない石は大きく増加。鰹木出土。末端をやや肥厚させ、面取りがあり、もしかすると端部に円形文が入るかもしれない大きな優品である。きわめて大型の入母屋の家形埴輪になりそう(入母屋の破風部分の破片も、前日?に出ている)。
◆第4Qのなかで北辺も完了、南区清掃に入ってもらう。南区では谷線の列石と、造り出しおよび前方部斜面で各1の区画石列も確認した。最後は、作業員さんがいる間にと、周濠底面の地山まで掘り上げにかかってもらうが、時間切れ。石の量が多いので、南区の石全体の検出仕上げならびに目地の土を除去し石をきっちり出してもらうにも、来週2日程度はかかるのだろう。気になるのは葺石が出てきているところより上の造り出し斜面の地山出しが若干甘いこと。それと基底石外の石について石敷きとして理解できるのか、ぜんぶ取るべきか、なかなか難しい判断が待っている。
【本日の来客】高校生女子1、朝日新聞I記者。
【追記】全体図をバージョンアップしました。
 

久津川車塚8月27日(木)

◆自分、道上・山口、土井、土井・吉村・土谷・木下、佐々木、城陽市担当者 泊5? 天気秋晴れ
◆天気良く、心地よい風も吹くが、真昼の照りはやはりきつい。2箇所に分かれて作業をしたが、ともにテントを立てる。
◆南区は、作業員さんも入れて、石出し、転落石の除去を進める。だいたい葺石の傾斜変換まで下ってきて、比較的大きい基底石だろうと思われる石がならぶ。ところが、その並びは前方部となって折れるはずが、東壁まで続くではないか。あちゃー・・・。隅部が収まっていないではないか。前方部側面の墳丘斜面は予想よりも急であったか。
◆もひとつ問題は、基底石だろうと思われる石より外側の石たち。南の方ではまばらで転落石としてはずし、地山が出てきたが、基底石寄りはかなり密で、石敷きになることを考えないといけない。洲浜状の小礫でなく、そこそこ大きい石ではあるが。周濠のヒタヒタ部で、灰色濠内堆積土に覆われ、埴輪片も食い込むが、動いているものもあるだろうとは 思うが、残ってくるものは濠底に接地している可能性が高いかも。縁石があるようなものではなく、濠の内側方向に途切れてはいくが、石を貼り付けていると考えてかかる必要がある。基底石との関係も、図では切り離してはいるが連続的である。西区も同様であった可能性が浮上するだろう。
◆明日、現状の石をきれいに出して、全体を見ることが肝要。なお、予想したよりも転落石が厚く集積していない。結果、西区の基底部よりレベルも高い。そうか傾斜がきついという面もあるかもしれないが、造り出し南辺では前方部の付け根にむかって高くなっているのかもしれない。その分、前方部下段の斜面長が短いのだろう。レベルで確認をする必要がある。一方、屈曲部を出すためタケツグ拡張区を設定することになり、さっそく明日取りかかる。かなりの土量で、その間の作業をどうするか考えないといけない。
◆南区とは別に、2人を北辺の葺石に投入。谷間に残っていた高まり部を葺石まで出して もらう。区画石列の続きが下に出てきたのを始め、葺石面がきれいに続く。後円部のとの間の接続部の葺石面はかなりの緩傾斜である。おそらく後円部斜面に食い込むように造り出しが取り付くのではないかと思われる。復元的に考えた後円部裾ラインと前方部側辺の交わる点に、くびれ部を置き、そこから離すように造り出しを設定するのでないようだ。後円部下段斜面に食い込むように造り出しを設定し、緩斜面の谷部が下っていき、基底部でいえば、くびれ部はかなり西側に位置し、造り出し北辺長は短いと予想される。仲津山のような感じになるのでは。
◆水鳥のくちばし2点+頭頂部+頸部が出土。本体や頭部はない・・・。

久津川車塚8月26日(水)

◆自分、道上、園原・吉村・木下、城陽市担当者 泊4人(久しぶりに宿舎に泊まる)
◆台風が過ぎ、水かえから。1時間を要する。西区の仕上げと思っていたが、足場も悪いし、ほとんど仕上げているので、最終は清掃時でよしとし、本日より南区に着手する。深掘り部より上の南斜面を、前方部の付け根のところで葺石を検出していた末端から、西南コーナー手前までの長さにわたって5人で削っていく。
◆黄色粘土はだいたい除去しており、最上部の前年度出している斜面の下端から。が、地山とおぼしき赤色の礫面を出しているつもりではあるが、洪水層下部の砂質がマダラ状態で、ここまでと思って下がりつつ、再び甘かったと上に戻りつ、徐々に下げていく。途中からは濠内堆積の灰色砂となる。そうすると、出したと思っていた赤色もそうでないことがわかる。灰色砂より上では、地山と洪水層の層理面で鉄分が吸 着して赤化しているようで、比較的堅く礫も顔を出し、いかにも地山と思っていたが、灰色砂の上に乗り、薄く形成された硬化面風になっているようである。再度、上に戻り、以下、灰色砂も除去していく。
◆で葺石が出始める。石は大きい。葺石面として捉えた。
◆この日も大学に戻って図を1枚完成させるつもりだったが、大久保湯からの帰り、晩飯に何を作るのか相談しているのを聞き、5人だし食べに行くかとお好み焼き屋へ。そうすると、ビール!が欲しくなる。という次第で泊まることとなる。宿舎に戻っても19時。洗濯機をまわしつつ、ちょっとやりますかと呑み会に。今週のなかでも少人数の日、彼らは疲れ気味ながらも、よく頑張ってくれている。
【来客】安土博物館F氏ほか。

久津川車塚8月25日(火)記事№3000

◆自分、道上・原田、園原・吉村・土谷・木下の7人、城陽市担当者 泊6人 曇り時々雨 1日やりました
◆一定の判断で除去してきたものの、昨日、少し石をはずしてしまったのかもしれない。が、それはそれでなかなか確定は難しい。全体をきれいにして、土層や石のない部分の下部も見ながら、状況判断しよう。ひとまずこれで止め、石が出きったので、残存部上から清掃を開始する。石出し時にだいたいは出しているが、再度、石の重なりや土のかみ方などから転落石と判断できるものをはずしつつ、図が書けるように目地部分の土をほじくり、上から仕上げにかかる。
◆雨を受けつつも丸1日稼働し、だいたい上から下まで行き着き、壁や周濠底部を含めてきれいになってきた。裾部についても、南側などでは、さらに外せると判断した石は除去した。調査区は東西方向だが、北側は小さな石がかなり密に積み上げられており、南側はやや大きい石をはさみつつ、抜けて穴が開いているところもあり、全体にずれがありそうで、それが下部にも及んでいる状 況である。
◆ほとんど仕上がり、最下部をやっていたが本日は終了。明日、台風の雨の水の処理があるが、30分程度で掘り上がりとなろう。そのあとは南区へ行こう。
◆ピックアップした埴輪を昼休みに洗ってくれています。

久津川車塚8月24日(月)

◆自分、原田、佐藤、吉村・土谷・木下、城陽市担当者 天気は晴れ 泊4人 1日書き忘れると思い出せない。日誌は 日々書くものです。
◆西区の葺石検出を続ける。調査区全体で石を出す。根石と思われる大振りのものはなく、墳端がよくわからない。調査区内で引っかからない可能性があり中央部をより西にえぐった形の調査区となっているが、そこの部分では石が平坦に移行しており、まばらとなり、灰色の濠内堆積土中にあるので、そこからはずしていく。砂質の強い黄色マダラ砂礫の地山が出てくる。これで底は確認した。調査区内で造り出し裾は入っている。なお、時期不明ながら須恵器片が出土。鉄片も。
◆そこからである。そこから斜面に向かって石の含まれる土層を見ながら転落石と判断したものを上げていく。で一旦休止。墳裾風に石が並ぶようにも見えるところで止める。が灰色粘土が石の下に入り埴輪片も引っかかっている。その2列先あたりに横に用いた石があり、比較的大きな石も3石ほどは続く。止めたところの石はやはり堆積土が下に入っていると判断し、2列ばかりはずしにかかる。しかしいくらか外したところで、う~ん・・・。ちょっと待て、と。明瞭な基底石を据えていないのは確実で判断は難しいのだが、やや結論を急ぎすぎたかもしれないなと反省。
◆丸1日、ひたすら石出しで、あっという間に一日が過ぎる。
【来客】韓国の河さん。

あかん終わらん

◆鏡の図を作ってしまおうと思ったが、考古研関係で17時まで時間を取られ、そっから4時間半やっていま21時半をまわるも、終わらんかった。どないしよか。写真とか3D陰影図は著作権が問題になるので、拓本に置き換えようとするも、画文帯神獣鏡の拓本はあんまりない。後藤守一『古鏡』があれば、なんとかなりそうだが、図書館に入れてしまって手元になし。明日もあるし、そろそろ帰るとするか。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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