人を幸せにする人になろう

2023年3月25日、三方五湖、年縞博物館

◆三方五湖の、縄文博物館の隣にできた年縞博物館を見に行くことになる。京都まで高速、そこか ら、八瀬―大原―途中を抜け、朽木谷。葛川で早めの昼、蕎麦を食べる。朽木のまちなみ、陣屋跡地にある資料館は閉まっていた。そこから若狭に向かい、上中の手前から三方五湖に。
◆年縞博物館(2018年9月開館)は、なんだか力が入っていて、職員が多くいました。何万年分あるのだったか、7万年だって。乱されずに堆積する理由などを知ることができた。湖底が深く、魚は表面だけで、堆積が乱されない。むろん外海とつながって海水が入ることもなかったわけだが、陸地側においても流れ込む河川がなく、手前に三方湖があって、そこには陸上からの水流が流れ込むが、細い水路でつながる水月湖には、三方湖経由の堆積がゆっくり進んだのだそうです。断層の働きで、徐々に湖底が低くなり、7万年分の堆積を受けとめる深さがあったとも。薄くスライスしてアクリル?にパックする技術は世界に1人しかいないのだそうで(ドイツ人だったか)、そういうの、 憧れますね。展示も斬新だった記憶があるが、もうその記憶があいまいになっている。
◆そのあと、常神半島の先端近くまで行き、レインボーラインで展望台へ。桜は満開だが、雨模様の天気。それでも、日本海と三方五湖の両方を眺めることができた。

まっとうだ

◆今朝の新聞から。教育が進むと多産ではなくなる。1人とか2人とか。身の回りをみてもそう。結 婚したカップルから出生する子供は平均して1.5人。なので、人口が減少していくことは必然。少子化そのものは、現代ではあたりまえ。なにが問題化というと、その通常のあり方より人口減少の勢いが強く、それは結婚したくてもできない人が4割に達する。だから、子供のいる家庭を支える政策も必要ながら、それよりも、なぜ彼ら彼女らが結婚できないのか、若者の可処分所得が低すぎる、そこをどうするかに重点を置くべきだ。まっとうである。
◆子供が生まれたら休まなあかんのか。カミサンはいつもこれに反論している。間違っていると。子供が生まれても、時短などで働き続ける方がいいと。選択肢があるべきで、休みを取れという単純な政策は、あいかわらず、女性は子育てがある、女性を働かせたくない古い固定的見方の残存物といえる。

ヤマト国からこんにちは7

◆最後は今宿大塚古墳。6世紀の古墳としてはデカイわな。あと、若八幡に寄るが、時間が遅く、神 社への進入口が閉じられていた。向かいの、よくわからない整備された古墳に、最後、立ち寄ったが、写真を撮っていないよう。
◆西にやや戻り、この日のホテルに入る。お店があまりないようだが、チェックイン後、5人で歩き、適当な店があるので入る。なかなかいい店でした。コンデジをもっていったのに、写真を撮っていない。2回生がのん兵衛であることが判明する。3回生についても、コロナでほとんど呑み会をやっていなかった・・・。
◆翌3月22日、わたしの誕生日でした。59歳となりました。あら~。

2023年4月5日、摂南大学の片づけ

◆カミサンの研究室の片づけにでかける。まあ、4月中くらいに空にすればいいみたいである。その まま片付け続けるのかと思いきや、当座使わないといけないPCなどを関学にもっていくことに。そりゃそうやわな。三田の新研究室に運び込むものを積んで出発。着いた頃には雨が降ってきた。

2023年4月4日、宿禰塚

◆最終日、830はじめで、10時前には完了し、片付けて撤収した。実働は2+3/4日くらいでしょう か。既存図に重ねはめ込み、既存図のトレースもして、測った範囲は赤で示した。
◆4月7日、事業報告書をまとめた。一旦、完了。

2023年4月3日、宿禰塚

◆4月2日の夜、アルコール頭ながら、図面をスキャンしトレースをする。が、まったく保存せず、 一気に最後近くまで行ったところで、イラレがクラッシュ。なにも残らず。あ~あ。
◆4月3日もよい天気。うちの班は、D紙の残りをやっつけ、他班のA紙に移り、造り出しの先の自然丘陵や参道部、さらにB紙寄りなども入れる。最後は、他班が今朝からサラのB紙にかかるが、紙端から20mでよいとして、こっちがその先の自然地形を請け負い、だいたいやっつけた。本日、完了することも可能とみていたが、B紙は最後のところが少し残ったので、予定の最終日である4日、朝1時間半程度で仕上げてしまおうと思う。
◆今日は、相生市の方にご招待いただいての飲み会。戻ってきてから、今日までのほとんどできあがった原図をスキャンすべきでしたが、やってないので、昨日、消えた2日まで分についてトレースをした。1時間40分くらいか。黄色は、最初の計画だが、こんなに自然丘陵を入れなくとも、この図をもとに描くことはできるので、下げるのはほどほどにしている。

2023年4月1日、宿禰塚

◆今日から、相生市宿禰塚古墳の測量に入る。。 
◆昨日夜、杭打ちプランを立て、紙割りを考えた。平面座標は任意。水準は、1990年の 図(50㎝等高線)のトップ点を使う。平面は、旧図にだいたいあわせて重ねよう。まあそれでよいかと。
◆実際に現場に来ると、やはり墳頂四方に杭がいる。さてと、新規杭のデータを整理しておこうか。まあ初日は、到着した11時前から基準点の測量をやり、まあ順調にすべり出すための杭は設置できた。等高線測量は午後から。でも4時間半はやったかな。2班編成。
◆初日の飲み会をやり、スキャンもトレースもせず。

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◆次は釜塚古墳。石室に入れるわけではない。加布里という、条里の固有里名 というよりサト名なんだ  ろうか、また音をあてた古めかしい地名ですが、その名前の駅の近傍です。市営住宅かなにかの一画にある。5段築成のようになっている。
◆記念写真を撮りました。もう1枚、マスクをはずして撮ったものもあるのですが、肖像権の問題もあり、マスクをしているものとする。

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◆そのあと、一貴山銚子塚。戻りになってますね。30数年ぶり。で、糸島の博物館の図録に、新し い測量図が掲載されていた。
◆前に行燈山型か、としたこともある。後円部がもう少し大きくなると可能性が出てくるが、現時点ではわかりませんね。右くびれ部の、いまの緑の範囲の外の部分も発掘調査してくれれば、一定の復元が可能となろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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