人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
2023年5月6日(土)、江差の五月は江戸にもない
◆こちらでは北前船寄港地としての繁栄、ニシン漁のこと、江差追分など、江差の盛期の姿が示されている。「5月のにぎわいは江戸にもないもの」といわれる繁栄ぶりであった。横山家住宅など、ニシンを扱った大きな商人の屋敷が、海から、海岸線直交方向に、高い側に長く伸びる特徴あるものが3つほど残るようだ。入れるものもあるようだが、立ち寄れなかった。
◆旧郡役所の展示室のひとつは旧江差線にあてられていた。鉄道がなくなったのですね。ウィキによると、「江差駅―木古内駅間が2014年に廃止され、残る木古内駅―五稜郭駅間も2016年に「道南いさりび鉄道」に移管された。」とある。沿岸沿いでなく中山峠越のよう。
2023年5月6日(土)、いよいよ開陽丸
◆幕末維新がとくに好きというわけではない。どっちかというと嫌いな方。開陽丸は、日本におけ る水中考古学では著名なものだったので、一度、来てみたかったわけです。で、水中考古学が好きなのか、といわれればそうでもない。仕事でやる機会があって、その時に知り、それ以来、一度来てみたかったのです。ようやくかないました。
◆500円で入れます。明治以降、金属の値が上がるたびにブツの引き揚げがなされたのだそうですね。そんなこと、知らんかった。でも会社的には採算があわなかった、とのこと。そもそも必ずしも沈没地点が明確にはなっていなかったらしい。それが防波堤工事が行われたことで、海流の動きが変わり砂が流され、沈没船が確認されるに至る。これが1974年。そこから1980年代前半までの10年間くらいの沈没船の調査へと進んだようである。
◆韓国・木浦の新安海底での沈没船の発見が1975年というから、ほぼ同じ時期なんですね。カモメ島との接続部に、開陽丸を復元して据え、引き揚げられ保存処理された遺物を収納するとともに、展示館として公開している。
◆韓国・木浦の新安海底での沈没船の発見が1975年というから、ほぼ同じ時期なんですね。カモメ島との接続部に、開陽丸を復元して据え、引き揚げられ保存処理された遺物を収納するとともに、展示館として公開している。
2023年5月6日(土)、乙部町の「官軍」上陸地
◆江差へ南下する。海岸べりの道路が通行止めになっていて、ナビでは迂回路が指示され、しびの岬に行くのに迂回し たのだが、この通行止めも既に長く、脇に新道ができているよう。
◆で、乙部を通過していると、官軍上陸の地とあったので、行ってみる。「官軍」というのもな~とも思うが・・・。函館戦争の経過について、詳しく知っているわけではない(開陽丸記念館でそれを学ぶことになる)。まあとにかく、1968の年初めに戊辰戦争が始まり、籠城していた会津が降参したのが11月か。その前に江戸が新政府に明け渡されたのち、榎本ら2000人が江戸を逃れ蝦夷地に渡り、函館も松前も押さえた。開陽丸の座礁沈没が11月だったか(松前城を奪われるも藩士らが江差で抵抗を続けていて、開陽丸はその支援のためにかけつけ、暴風によって座礁・沈没となる)。で、最終的に「官軍」がこの地上陸し、旧幕府側が降参するのが、翌年春のこと。で、この間、4か月ほどは戦っていないようだ。なんでやろと思ったが、それは冬場は津軽海峡が荒れ、蝦夷地に渡れなかったということのよう。
◆青森で待機していた「官軍」側が、春を待って上陸したのがここなのである。
◆青森で待機していた「官軍」側が、春を待って上陸したのがここなのである。
2023年5月6日(土)、滝瀬海岸
◆開陽丸の記念館に行くのが主目的。が、その前に北上し、乙部町の滝瀬海岸へ。調べていなかったが、たまたま引き潮で、崖下を歩くことができた。しかしこれは新しい砂礫層だな。本物の白亜海岸は、以下、ウィキ。
チョークは未固結の石灰岩のこと。イギリスのドーバー海峡周辺で崖をつくる厚い地層のことで、円石藻の化石(炭酸カルシウムのココリス)から成る。日本語では白亜という。日本では地層が堆積した年代から、白亜紀の語源となったほか、黒板に用いるチョークの語源にもなっている。
2023年5月5日(金)、函館へ
◆娘とは18時に約束していが、1本早めてちょうどよかった。そのままだと荷物をもったまま晩飯になるところ。荷物を置き、待ち合わせの函館駅へ。そこから入れる店を探すが、観光客であふれ、駅前の呑み屋はほぼ予約で満室。8店ほどに「空いてない」と言われ、だんだん不機嫌になってきた。が、幸い、新しくできた店に入ることができた。なかなかいい店でした。
2023年5月5日、鮫浦にある鮫角灯台
◆で、蕪島にウミネコの調査をしにやって来た、と話をしていると、その先の灯台の内部が公開されていると教えてもらった。
◆蕪島での撮影、磯での遊びを終え、昼をみなで食べに行き、そのあと車で(むこうは千葉から車)、その灯台まで送ってもらい、そこで分かれる。この灯台が鮫角(さめかど)灯台で、昭和13年にできたのだとか。
◆このあたりは江戸時代に鮫浦とよばれ港として発展、浦役所が置かれたとのこと。灯台見学の後、JR八戸線の鮫駅まで歩く。1.5kmくらい、ひざが痛くてかなりきつい。
2023年5月5日、蕪島2
◆今回の研究目的で、この数年、カミサンは蕪島に来ている。今年はこれについて行ったわけ。これまで、さんざん静止画や動画を取っているが、今年は、さらに飛び立つ 時と、降り立つ際の動きが課題となっているらしい。
◆去年も、香川大学や熊本大学の工学部の先生と呑んだが、今回もまた分野の違う専門家と話をする機会を得た。もっとも、そういう会話がうまいとはけっして言えないのであるが。
2023年5月5日、蕪島
◆昨年、話を聞いてちょっと調べてイメージしていたより小さい島であった。以前はほんとに島だったものが、いまは陸続きになっている。島のてっぺんに神社があり、けっこう社殿がでかく、この景観は天然記念物的にはどうなのかとも思うが、所有地なのでしかたがない。もっとも、最近、失火?で焼けたのだとか。前はもっと建物は小さかったが、ずいぶん大きなものに建て直されたのだとか。
2023年5月4日、八戸へ
◆結構、いい時間になり、心斎橋駅から御堂筋線を北上、千里中央へ。モノレールで空港。少し風が強く、三沢からの飛行機の到着が遅れ、10~15分くらい、すべて後へずれる。15:10くらいに離陸したように思う。前に、歴博の古墳の研究会の時、同じように三沢に飛び、タクシーでおいらせ町の見学地に合流したことがあった。
◆三沢空港着が14:50くらい。八戸行きのバスもまた、到着便がずれたので時刻表より15分遅らせ、15:10くらいに出たか。写真は八戸市街。飛行機はさらに北上し三沢空港へ向かう。なぜ八戸かというと、天然記念物である八戸市蕪島(かぶしま)のウミネコ生息地での「調査」に同行するため。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。