人を幸せにする人になろう

鎌田慧

◆何冊かある。自動車絶望工場とか、八幡製鉄所のやつとか。それと岩波なんとかシリーズの『ぼくが世の中にまなんだこと』だったか、をもっている。こないだ読んでいた。青森県から中卒?高卒?で就職に東京に出てくる。最初が印刷工。で労働運動にかかわるようになる(途中までしか読んでません)。組合を作って対抗する。1950年代後半。いまからすると、考えられないような低賃金の長時間労働。契約もちゃんとしていない。そういうなかで戦後の日本で労働組合ができていく。経営者は、職場を占拠している労働者を、まずはクビにするも立ち退かず、排除するため警察権力を導入する、組合を結成して対抗しようとするのに対し、自分らの言うことを聞く第2組合を作る、それでもだめなら会社をつぶし、別のところで再開するなど、そういうことが書かれている。こうして日本人の賃金が高くなっていったのだろう。中小企業の賃金も上がり、格差が縮まり、一億総中流という望ましい社会に近づく。彼らが立ち上がったから、いまの日本があるともいえる。
◆韓国や中国では、後発の民主化、経済成長をとげるも、こういう日本の戦後社会が経てきた労働運動が押さえ込まれてきたのではないか。格差社会が放任され、これが生きにくい社会につながっているのではないか。日本がいくらかましだとすれば、それは1950年代の若い劣悪労働者の頑張りによっているのではないだろうか。
◆その日本社会でも、1990年代に「規制緩和」という名前の非正規労働を認める悪法が成立し、正規社員が大幅に削減され、格差社会に突入する。パソナとかパーソルとか、人材派遣会社という、悪徳商法が生まれる。

いわし亭なくなる

◆杉本町駅前の「いわし亭」が1月に閉じました。思えば4校交流会で、予約していたのだけれど、11月からコロナ感染者が増え(実際、12月にかけて大きく増加)、断念した。キャンセルしてごめんなさい。年2回の大学院入試のあと、恒例で、歴史学教員でいつも呑み会に行っていたが、この行事も、さて、どうなるか。

プログラムバカ

◆カミサンの弁。機械・電気・土木・建築など、工学部の根本のところを軽視してはダメ。そこをしっかりと保持する。そして就職にはまったく問題ない。が、いま理工学部などを新設する時、こういうのでなく、情報、なんとか学科ばかりが生まれる。で何をやっているか。研究室でやっているのは初音ミクだったりする。中身あっての情報化です。プログラムを組む能力が高い者がいるのかもしれない。が、こういうことができないかということに対して、こうやれる、こういうこともできる、とシステム開発が進む。そういうものがなく、情報の世界のなかで何かやるとなると、結局、くだらない、できたところでどおってことのない遊びに終わる。で、そういう学士がヤマほど輩出され、しかも就職がきびしいのだそうである。
◆映画「剣岳 点の記」のなかの言葉が良かった。要するに剣岳初登頂をめぐり、まわりがさわぐ。これに対し、「剣岳にどちらが早く登るかよりも、何のために剣岳に登るかが大事である」という言葉がいい。研究もそうですね。考古学でも、なんか並べられないか、順序付けられないか、できたと。でも、なぜそういう変化をするのかそれを知りたいとか、目的あっての研究であるべきですね。自分はなんのために考古学をやるのか、文化財保護をやるのか、こうしたいから、こういう社会にしたいからがあり、それにむかって遺跡や資料を扱うということか。

地図をつくった男たち

◆この文庫、楽しく読みました。電車通勤にすると本が読めます。で、大阪の私塾順天堂がでてき た。昨年、和算の座学で山内さんに教えてもらったもの。この順天堂を作った父子が東京に本拠を移し、明治の地図作りにかかわる。不遇だった、という内容だったか。あと、図式がフランス式からドイツ式になることとか、清国に日本の地図を流したか流そうとしたとかで処分され?、4人ほど自殺をしている下りは興味深い。あまり詳しいことは書かれていないが。
◆そして剣岳にのぼった陸地測量部の柴崎芳太郎の話もあった。ほんとに登頂したのかなど、あらぬ疑いをかけられたり、報告書の話とか、富山日報の記者の記事とか。で、Amazonプライムで、昨夜、この映画を見ました。

和泉国府

◆和泉市域の米軍写真をメタシェイプで合成した。よくできているようで、2重写しのようなブレが ある。広域でやったが、最初に和泉府中近辺だけでやったものの方が鮮明のようだ。用途によって使い分ける必要がある。

2023年3月23日、最後は板付

◆一人、和歌山の院生が飛行機で帰るので、最後は板付。史跡脇の展示館。
◆そこから史跡地へ。だが下がぐちょぐちょ。どうなんですかね。まわりより高く、もとは水はけは悪くないはずなのだが、史跡整備で養生のための土を入れ、遺構面との間に遮水層を作っているのか、こっちにはわからないが、雨上がりに行っても、史跡地を散策する気になりません。入口から内部をながめて引き返してきました。
◆空港に送り、それから博多駅前にレンタカーを返しに行くが、返却する客で、街中の狭い営業所のスペースはいっぱいでした。そそくさと車をなんとか敷地に入れ、博多駅に向かう。こうして、九州の旅は終わったのでした。なかなか面白かった。

2023年3月23日、福岡市博

◆まあすごいわ。ベイエリアの開発のなかで広い敷地が確保され、立派な 建物、そして充実した展 示。市町村レベルではナンバーワンかな。都道府県立よりはレベルが下という意味ではまったくないですよ。
◆むろん、考古資料も山ほどある。弥生の始まり、吉武遺跡群、比恵那珂、三角縁も、箱崎のもの、那珂八幡のもの。老司や鋤崎ほか、ミヤケもあった。量が多すぎて記憶がおぼろだが、博多の展示はすごいですね。堺市博も、同じくらいのことができるだろうに。
◆山笠から西鉄ライオンズまで、文献史や民俗なども含め、切れ目なく各時代の歴史が語られる。◆前は、交差点の一画にあった旧資料館時代に訪れている。五島山のものはその時の記憶として残っている。

2023年3月23日、鴻臚館

◆福岡城をめざす。お城にも行きたいところだが、脇を抜け鴻臚館の展示 施設へ。役人の時に、1 回、来たような気もするが、ほぼ記憶なし。
◆方向がわかっていない。覆屋をかけて発掘遺構を見せているのが南郭で、旧平和台球場内が北郭であるらしい。現在は広大な芝地になっているが、史跡整備などの跡地利用はまだ固まっていないのか、待機している状態のようである。福岡市は、ほかにはないいろんな種類の史跡があって、たいへんですね。

2023年3月23日、奴国の丘歴史資料館

◆2回目かな。銅戈とともに銅矛がずらりとならび、須玖岡本関係、坂本の 鋳造以降関係の鋳型など がならぶ。ここはやはり史跡とセットの展示室で、春日市の歴史全体でなく、須玖遺跡群をメインとした考古の展示。大土居水城の導水管まで。
◆そのあと、史跡地の公園を歩く。支石墓の大石は移築。もともとの場所である須玖の村に足をのばしていない。この丘は甕棺墓群ではあるが、一般成員の墓域なのかな。今度は、王墓の場所を訪ねてみたい。甕棺の露出展示のためのドームがふたつ。ひとつ目はけっこうカビが来ていました。どこまで確認調査がなされ、どの程度の甕棺墓群が見つかっているのか、ドーム内には平面図が示してあるが、全体像はよくわからない。ドームの外にも遺構表示のようなものがなされていたと記憶する。累々感をもっと出せるような気がする。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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