人を幸せにする人になろう

松岳山、成る!

◆前方部西隅角をなんとかやっつけた。後円部東側道路は、まあよしとしよう。これにて一件落着。で、図面の最終仕上347b2abd.jpgげにかかっている。近つの春展の図録で、この図もお目見えすることになろう。もっとも、うちの公表物として、学生らに測量調査のパンフレットを作成してもらっている。A3二ツ折りのリーフで考えていたが、カラー16頁モノに変更することとした。
◆概報にむけて、墳丘の写真もこないだ前方部について撮影したが、後円部含め、芽吹き始めるまでに、ひととおりの現状写真を撮っておこう。まあ、竹藪はじめ立木がけっこうあるので、撮っても、なんのこっちゃというものばかりではあるのだが・・・。
◆その後、墳丘復元をやる。結果は、前に『玉手山古墳群の研究Ⅴ』に書いたのとあまり変わらない結果となる。困るのは、このモデル・・・。前は五社神としたが、その後、五社神そのものは年代が下がるという結論に。が、松岳山そのものの墳丘復元案に変化はない。後円部が大きく、前方部も太く、全体にずんぐりむっくりなこの墳丘、やはり似ているのは五社神なのだ。むろん、あくまで平面形で、松岳山は後円部がずいぶん高く、五社神も高いとはいえ、前方部はかなり高まっており、立面観は多少異なるものの、どうしますかね。この謎は一生かけても解けないかも知れません。
◆しかし、難問だが、一歩一歩近づくほかない。松岳山を少しずつでも掘りたいものである。まずは墳丘の解明、五社cbe5582f.jpg神ほか王墓との比較、そして松岳山の時期、五社神の時期、ひとつひとつコツコツやるほかはない。そして紫金山も同じなんだわ、これが。京大が発掘してた時、研究会で発表させられ、まだ掘る前で、測量図をもとに復元を試み、その段階で似てるものはといえば、やはり五社神であった。紫金山も松岳山も思いっきり下げるわけにはいかず、4世紀中頃といっておくのが無難だろうが、一方で五社神をそこまで上げるわけにはいかないし、前に考古学研究会の岡山例会で発表した時、やはり前期末・中期初頭の相似墳がまとまってあると考えた。この乖離・・・。澤田さんとは、五社神の被葬者は長生きだったんじゃない、と話をした覚えがある・・・。あるいは佐紀の時間幅を短く見積もれば、なんとか押し込められるのか(その方が中期初めの年代観とも整合する?)。
◆近つの図録の原稿が書けるかどうか、怪しい雲行きである。松岳山そのものは佐紀前半期といまは考えているわけで、それで押すしかないとは思うが、150m級の前方後円墳で、モデルの王墓を決めたいわけである。そこのところがシックリこないと、自分の専門の立場上、立つ瀬がないわけで、落ち着きが悪いままなわけである。
【追記】この図をながめていると、ついつい、ここが掘りたい、あそこが掘りたい、という願望が涌いて出てくる。
 

春、ですね!

◆2月28日、天気良く、暖かい。年寄りにはありがたいことである。本日、なんとか、謝金関係も処理した。レキハク原2fa69585.jpg稿の査読に対する書き直しも終えて、無事、提出。昨日は、和泉市史の校正も出した。今日、まだ入っていない挿図をそろそろやらんと間に合わないので、前に割り付けたのを出してくる。大阪府の1961年の地図の等高線をなぞってはいるものの、どこまでできるか?。結局、引ききれなかった場合、ここまでかなりの時間を費やしてきたもののオジャンにしなければならないかもしれない。
◆大学史ニュース、ついつい後回し。大学史資料室の方々にはたいへん申し訳ないこと・・・。
◆杉原さんから元稲荷の現場の案内が届いた。明日、行ってみよう。実は、前に学生にどっかへ連れてけ、と言われ、日程調整して3月1日をあてた。企画としては九州国立博物館に遠出するというのが出発点だったが、それは早々に流れる。そして、彼らは山城を選んできた。ので、ちょうど行ける・・・。
◆元稲荷、最近の調査はまったく見ていない。物集女車塚1983年の打ち上げ以来、もしかして行っていないかもしれない。大学院の時に、世間では元稲荷が古いと言うけれど、五塚原→元稲荷やで、というレポートを小野山先生の授業のミニレポートで提出した記憶がある。送っていただいた資料では、元稲荷は西殿塚に対比できるのではないか、ということだ。
◆古代都市・条里制研究会の庶務委員を引き受けたものの、今回もまた行けそうもない。案内をもらっていながら、土曜日は別件を入れてしまっている。

さてと

◆個別学力試験(前期)の採点業務が終わった。これから大学史ニュースの原稿、レキハクの原稿の手直し、それから和泉市史の校正をやっつけよう。→結局、今年度の研究費の残額処理に追われた。ほぼ4つの財源、それぞれ数百円の残までこぎつけることができた。
◆今日聞いた話ですが、ネイチャーとか、エルゼビア社とか、スプリンガーとか、ヘッジファンドに買収され、伝統的な権威ある学術雑誌が、そうとう変質してきているんだとか。要するに親会社の儲け主義。いまは冊子体なくすべて電子化されたものもあるが、そういうものの年間購読料は相当なものになり(たとえば東大は10億円とか)、世界の研究機関が払わざるをえず、それはものすごい額になり、また取りはぐれがない。それまでの権威の裏付けであった質の高い論文を掲載する姿勢は崩れ、論文数を量産し、がんじがらめの集金マシンになっていると。これまで日本人は、そうした権威ある英文雑誌に投稿し掲載されることをめざしていたものの、そんな価値などどうでもいいということだ。
◆それから、論文本数ではなく、引用数など影響力が重要だが、そういうことも計画的にレビューを出し、そうするとダウンロード数も増えるが、その論文が真に影響力をもつかどうかも疑わしいと。
◆まあ、理系の話ですが、そういうことで踊らされないことですね。ちゃんと学会組織を維持して、きちんと査読し、いいものを掲載していく、それを忠実にやっていけばよい。理系でも、別に英文雑誌の投稿なんぞに振り回されることなく、日本の雑誌をきちんと維持し、そのなかでいい物は組織的に翻訳し発信すればそれでいいではないですか。
【追記】娘も2日間の試験を終えて帰ってきた。どうやら数学があまりできなかったらしいが、ひととおり持てる力は出したようで、ポカはなかったみたい。結果を待つしかないですね(10日発表だそうです)。

4月13日の宣伝

◆大阪歴史学会主催の兵庫津の現地見学検討会ですが、『ヒストリア』2月号の表紙裏に告知が載ります。納品は28日adde61f6.jpgといっていたように思われ、少しフライングですが、問題ない事項なので、忘れないうちに掲げておきます。

2013年2月24日、泉大津

◆これ、昨年の1月に電話がかかってきて、2月と言われ、「そんな直前に言われても」というと、1年先の話だったことをよく覚えている。白石70b0b0c6.jpg先生のコーディネートで、今尾さん、一瀬さん、そしてオレが45分ずつ話をする。16c2fb58.JPG今尾さんはオオヤマト+佐紀、一瀬さんが古市+百舌鳥、オレは全体をやれということだったみたい。焦点は古市・百舌鳥にある。
◆実は、昨年の阪南大のときの資料そのままで提出し、パワポもそれをいじればいいだろうと思っていた。昨日、兵庫津研究会のあと、大学に行って準備をと思っていたが、途中でやめて、阪神なんば線で難波に出て、そのまま上本町から家に帰る。娘が月曜日には大学受験で、カミさんは木曜日から日曜日まで出張で、受験生をほったらかしにしているので、さすがにまずいだろうと思った次第。19時過ぎに帰宅し、娘とゴハンを食べに出る。
◆家に帰ってから、明日は何をしゃべればいいのかと資料をくっていると、前期含めて全部ということになっていることに気づき、急遽、前期の部分とかを組み込んだが、途中もう眠く、ふとんに入っていじっていると、そのまま眠りに落ちた。
◆朝、これはマズイ!というので、受験に出発する娘に声をかけてから大学にむかう。8時半には大学に行き、なんとか2時間かけてパワポのカッコウをつけることができた。11時前に大学を出て、羽衣線経由で泉大津へむかう。持ち時間45分のところ、5分オーバー、無事こなす。会場の客は約300人くらいとのこと。
◆いま研究室に戻ってきた(18:30)。いまからまた22時まで仕事をするつもり。
 

2013年2月23日兵庫津研究会

◆昨年、池田恒興が築城した兵庫城の、天正期の石垣が見つかった。これについての検討会が46991c01.JPG017e39e5.JPG開催された。大阪歴史学会主催で、企画委員会がいちおう窓口となった。午前は兵庫津c95b5c33.JPG遺跡をぐるりとめぐり、午後、新長田の会場で検討会をもつ。専門的な検討会だが、40くらいの席が満席となる。
◆神戸市教育委員会のご協力で、調査担当者から、昨年度の調査概要の報告を組み込むことができた。これで、わたしも昨年現場を見ていなかったが、調査の中身を知ることができた。
なお、大阪歴史学会では、4月13日に、兵庫城で現地見学検討会をもつことになっている。専門家のこの研究会をふまえて、こんどは一般向けに企画したもの。
◆なお、午前の見学地のことは、あれやこれや書いているといくらでもネタはあるが、また余裕があれば後日に。いずれにしても、兵庫津遺跡界隈には、関連の看板や説明板が数多く配置されており、神戸にとって、また兵庫にとって重要な、この一帯の史跡めぐりの環境整備に、神戸市および地元がかなり力を入れていることがよくわかった。
 

福岡市の報告書

◆発掘調査報告書のリポジトリのことで話が盛り上がる。詳しくはまた改める。で、福岡市の報告書の話になった。ネットで調べると、平成23年度で42冊を刊行し、1,075集となったそうな。すごいというほかありませんね。うちの報告書はまだ4冊です。3ケタ違う。全国でも最多の数であろう。掘る、報告書を出す、それを政令市で実践し続けている福岡市、である。

鹿屋市の立小野堀遺跡の地下式横穴群

◆宮崎市内での呑み会で。立小野堀遺跡で地下式横穴が174基に達し、全体では200数十基になる見通しという。1箇所でこれだけの数、確認されているのはここくらいという。鹿児島県内では、これまでに見つかっていた地下式横穴ぜんぶの数を超えるものという。そしてTK73?、TK216と、古いものが数多い。新しいのでTK10といったか。
◆これだけの地下式横穴が発掘されるのは、後にも先にもここくらい、ということになりそう。で、これ東九州自動車道という。地下式横穴で史跡はなく、えびのの島内も同意取りが難しく未指定という。この遺跡、はたしてこのまま自動車道で壊していいものなのだろうか。すぐ脇まで工事はきているという。関係者も当然考えないわけではないだろうし、どういった経過をたどったかもわからないし、あまり簡単にこんなことを言うのは控えるべきだろう。が、多くの人は、たぶん同じように考えると思う。史跡になっておかしくないもので、なぜ残す話にならないのか、と。

雪化粧の神山を背景にほか

◆表題のワンカット。それと西殿。
【追記】なんか新聞見たら、葺石とか石敷きとか、そんなコメントをオレがしたことになっているではないか。聞かれたので答えはしたが本筋ではない。記者さんも検討会にいたわけで、4段や4段や、ゆーてんのに、そんなことはぜんぜん出てこない。そんなもんとはいえ、へんな話・・・。
4962d0cb.JPG61d0c064.JPG
 

西殿塚

◆箸墓は歩いた通路が狭いので、一列縦隊に近く、みなで意見をかわすことがしにくかった。途中からは、菊地さん8e617ddc.JPGや犬木さんと一緒に最後尾でじろじろ見て、話をしながら歩いていた。で、先頭とはかけ離れ、そこでの議論は知らない。西殿も同じで、常にわれわれは最後尾にいたのでわからなかったが、検討会の発言を聞いていると、西殿塚に関しては、みなが、くびれ部でスロープを設けてテラス面を接続していることは、ほぼ了解された様子である。
◆上段と中段の間のテラス面でいえば、後円部テラスに取り付く際までスロープがたどれるわけではないが、中段のまんなか位までは、前方部から続くテラス面の延長にスロープがあることが視認できた。中段と下段の間の下位のテラス面は、こっちは両側とも改変が入っているため、赤色立体画像以上のことはわからないが、こっちも当然、そうなっているだろう。
◆そして基壇(右写真)。オレは時間がかかっていたので、最後、基壇を自由に見て回る段階で、前方部側から北上していったが、歩みがのろいもので、みんなは後円部側まで見て、くびれ部に戻ってきた頃、そろそろくびれ部を終えて後円部側をという段階で、全員そろって出るということになり、結局、後円部側は見れなかった。
◆なので前方部側の所見であるが、『書陵部紀要』にすでにだいたいのことは書いてあったと思うが、3段の下段裾から、だらだらと外へ続くのではなく、幅広の平坦面と、緩傾斜の斜面部に分かれるとみた。それも適当ではなく、下段裾から幅いくらかと設計してあるのではないか。そして、基壇の一番外のところでは、先の緩傾斜面が終わり、狭い平坦面となり、そして裾部が削り込まれて段差(高さ50㎝程度?)となる。へたをすれば基壇も2段の可能性もあるのかな、と感じた。そして崖面でも埴輪片があったので、基壇にも埴輪を樹立していた可能性も考えておかなければならないように思う。
◆西殿で気になるのは、周濠。箸墓は周濠を造って外界と墳丘を画している。そういう思想を継承しているとすれば、立地がぜんぜん異なるものの、外郭に溝を廻らし画している可能性はないのだろうか。西殿が傾斜地のかなり高い位置に築造され、基壇の西側はだんだんに地盤は下っていくことになる。丘陵上ではないが、かなり高い位置にあり、平野部とは距離があり、みだりに立ち入れるようなもので自ずからなく、基壇裾があり手前は斜面という仕上がりでもよかった、と考えられるのかもしれない。けれども、やはり溝をうがって王墓と外界との区切りを明示していておかしくないように思う。くびれ部にあたる部位では、基壇の崖面の外がじめじめ水が溜まっていたのを見ると、そういうことも十分ありうるのではと感じた。

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HN:
雲楽
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男性
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1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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