人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
松岳山、成る!
◆前方部西隅角をなんとかやっつけた。後円部東側道路は、まあよしとしよう。これにて一件落着。で、図面の最終仕上
げにかかっている。近つの春展の図録で、この図もお目見えすることになろう。もっとも、うちの公表物として、学生らに測量調査のパンフレットを作成してもらっている。A3二ツ折りのリーフで考えていたが、カラー16頁モノに変更することとした。
◆概報にむけて、墳丘の写真もこないだ前方部について撮影したが、後円部含め、芽吹き始めるまでに、ひととおりの現状写真を撮っておこう。まあ、竹藪はじめ立木がけっこうあるので、撮っても、なんのこっちゃというものばかりではあるのだが・・・。
◆その後、墳丘復元をやる。結果は、前に『玉手山古墳群の研究Ⅴ』に書いたのとあまり変わらない結果となる。困るのは、このモデル・・・。前は五社神としたが、その後、五社神そのものは年代が下がるという結論に。が、松岳山そのものの墳丘復元案に変化はない。後円部が大きく、前方部も太く、全体にずんぐりむっくりなこの墳丘、やはり似ているのは五社神なのだ。むろん、あくまで平面形で、松岳山は後円部がずいぶん高く、五社神も高いとはいえ、前方部はかなり高まっており、立面観は多少異なるものの、どうしますかね。この謎は一生かけても解けないかも知れません。
◆しかし、難問だが、一歩一歩近づくほかない。松岳山を少しずつでも掘りたいものである。まずは墳丘の解明、五社
神ほか王墓との比較、そして松岳山の時期、五社神の時期、ひとつひとつコツコツやるほかはない。そして紫金山も同じなんだわ、これが。京大が発掘してた時、研究会で発表させられ、まだ掘る前で、測量図をもとに復元を試み、その段階で似てるものはといえば、やはり五社神であった。紫金山も松岳山も思いっきり下げるわけにはいかず、4世紀中頃といっておくのが無難だろうが、一方で五社神をそこまで上げるわけにはいかないし、前に考古学研究会の岡山例会で発表した時、やはり前期末・中期初頭の相似墳がまとまってあると考えた。この乖離・・・。澤田さんとは、五社神の被葬者は長生きだったんじゃない、と話をした覚えがある・・・。あるいは佐紀の時間幅を短く見積もれば、なんとか押し込められるのか(その方が中期初めの年代観とも整合する?)。
◆近つの図録の原稿が書けるかどうか、怪しい雲行きである。松岳山そのものは佐紀前半期といまは考えているわけで、それで押すしかないとは思うが、150m級の前方後円墳で、モデルの王墓を決めたいわけである。そこのところがシックリこないと、自分の専門の立場上、立つ瀬がないわけで、落ち着きが悪いままなわけである。
【追記】この図をながめていると、ついつい、ここが掘りたい、あそこが掘りたい、という願望が涌いて出てくる。
◆概報にむけて、墳丘の写真もこないだ前方部について撮影したが、後円部含め、芽吹き始めるまでに、ひととおりの現状写真を撮っておこう。まあ、竹藪はじめ立木がけっこうあるので、撮っても、なんのこっちゃというものばかりではあるのだが・・・。
◆その後、墳丘復元をやる。結果は、前に『玉手山古墳群の研究Ⅴ』に書いたのとあまり変わらない結果となる。困るのは、このモデル・・・。前は五社神としたが、その後、五社神そのものは年代が下がるという結論に。が、松岳山そのものの墳丘復元案に変化はない。後円部が大きく、前方部も太く、全体にずんぐりむっくりなこの墳丘、やはり似ているのは五社神なのだ。むろん、あくまで平面形で、松岳山は後円部がずいぶん高く、五社神も高いとはいえ、前方部はかなり高まっており、立面観は多少異なるものの、どうしますかね。この謎は一生かけても解けないかも知れません。
◆しかし、難問だが、一歩一歩近づくほかない。松岳山を少しずつでも掘りたいものである。まずは墳丘の解明、五社
◆近つの図録の原稿が書けるかどうか、怪しい雲行きである。松岳山そのものは佐紀前半期といまは考えているわけで、それで押すしかないとは思うが、150m級の前方後円墳で、モデルの王墓を決めたいわけである。そこのところがシックリこないと、自分の専門の立場上、立つ瀬がないわけで、落ち着きが悪いままなわけである。
【追記】この図をながめていると、ついつい、ここが掘りたい、あそこが掘りたい、という願望が涌いて出てくる。
プラグイン
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(02/05)
(02/05)
(01/27)
(01/16)
(01/13)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。