人を幸せにする人になろう

西殿塚

◆箸墓は歩いた通路が狭いので、一列縦隊に近く、みなで意見をかわすことがしにくかった。途中からは、菊地さん8e617ddc.JPGや犬木さんと一緒に最後尾でじろじろ見て、話をしながら歩いていた。で、先頭とはかけ離れ、そこでの議論は知らない。西殿も同じで、常にわれわれは最後尾にいたのでわからなかったが、検討会の発言を聞いていると、西殿塚に関しては、みなが、くびれ部でスロープを設けてテラス面を接続していることは、ほぼ了解された様子である。
◆上段と中段の間のテラス面でいえば、後円部テラスに取り付く際までスロープがたどれるわけではないが、中段のまんなか位までは、前方部から続くテラス面の延長にスロープがあることが視認できた。中段と下段の間の下位のテラス面は、こっちは両側とも改変が入っているため、赤色立体画像以上のことはわからないが、こっちも当然、そうなっているだろう。
◆そして基壇(右写真)。オレは時間がかかっていたので、最後、基壇を自由に見て回る段階で、前方部側から北上していったが、歩みがのろいもので、みんなは後円部側まで見て、くびれ部に戻ってきた頃、そろそろくびれ部を終えて後円部側をという段階で、全員そろって出るということになり、結局、後円部側は見れなかった。
◆なので前方部側の所見であるが、『書陵部紀要』にすでにだいたいのことは書いてあったと思うが、3段の下段裾から、だらだらと外へ続くのではなく、幅広の平坦面と、緩傾斜の斜面部に分かれるとみた。それも適当ではなく、下段裾から幅いくらかと設計してあるのではないか。そして、基壇の一番外のところでは、先の緩傾斜面が終わり、狭い平坦面となり、そして裾部が削り込まれて段差(高さ50㎝程度?)となる。へたをすれば基壇も2段の可能性もあるのかな、と感じた。そして崖面でも埴輪片があったので、基壇にも埴輪を樹立していた可能性も考えておかなければならないように思う。
◆西殿で気になるのは、周濠。箸墓は周濠を造って外界と墳丘を画している。そういう思想を継承しているとすれば、立地がぜんぜん異なるものの、外郭に溝を廻らし画している可能性はないのだろうか。西殿が傾斜地のかなり高い位置に築造され、基壇の西側はだんだんに地盤は下っていくことになる。丘陵上ではないが、かなり高い位置にあり、平野部とは距離があり、みだりに立ち入れるようなもので自ずからなく、基壇裾があり手前は斜面という仕上がりでもよかった、と考えられるのかもしれない。けれども、やはり溝をうがって王墓と外界との区切りを明示していておかしくないように思う。くびれ部にあたる部位では、基壇の崖面の外がじめじめ水が溜まっていたのを見ると、そういうことも十分ありうるのではと感じた。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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