人を幸せにする人になろう
- 日々の雑多な感想や記録を書き留めていくことにします―2008年6月~―
テラス面の石敷
◆これも今回、話題になったが、こっちにしてみれば、テラスが礫敷なのは当たり前、と思っております。玉手山1号墳・3
号墳・7号墳、すべて石敷です(9号墳も松岳山も)。右に玉1を掲げます。この写真よく見てくださいね。くびれ部に白色円礫が敷いてあるのですよ。白色円礫敷となると櫛山には負けるけども、こういう使い方をしていることが確認できた事例として貴重だと思いますよ。かつ、7号墳には墳裾にも礫敷がめぐる。3号墳でもたぶん。
◆そして桜井茶臼山でもそうだろうと判断した。報告文の各所で所見がえられたところに書き、最後まとめのところにも書いておいた(『桜井茶臼山古墳の研究』〈大阪市立大学日本史研究室考古学研究報告〉第2冊、2005年、42頁)。そしてメスリ山古墳でも、こっちはテラス面は推測だが、墳頂については礫敷だろうとした(『メスリ山古墳の研究』〈大阪市立大学考古学研究報告〉第3冊、2008年、20頁、62頁)。
【追記】昨日の検討会のあと、何人かの記者さんと話をしたが、うち1人が「玉1に行ってました・・・」。竹内君だった。いや~、そう言われると思い出した。ごめんな。以上、うちの発掘の宣伝をいろいろさせてもらいました。
◆そして桜井茶臼山でもそうだろうと判断した。報告文の各所で所見がえられたところに書き、最後まとめのところにも書いておいた(『桜井茶臼山古墳の研究』〈大阪市立大学日本史研究室考古学研究報告〉第2冊、2005年、42頁)。そしてメスリ山古墳でも、こっちはテラス面は推測だが、墳頂については礫敷だろうとした(『メスリ山古墳の研究』〈大阪市立大学考古学研究報告〉第3冊、2008年、20頁、62頁)。
【追記】昨日の検討会のあと、何人かの記者さんと話をしたが、うち1人が「玉1に行ってました・・・」。竹内君だった。いや~、そう言われると思い出した。ごめんな。以上、うちの発掘の宣伝をいろいろさせてもらいました。
テラス面の高低差の解消
◆ついでに言えば、前方部は前面および両側面ともかなり削り込まれている。法面をみたらわかりますよ。なので墳裾は現状よりも大きく
外へ出ると考えられる。寺澤さんは前方部の北側と前面側に基
壇を考えているが、前方部最下段そのものを検出しているのであって、それも含めての4段築成になると思います。右の写真でいくと、雪のラインぐらいになるんとちゃう?
◆ちなみに、寺澤さんが検出した前方部西北隅付近の葺石が墳丘そのものという点については、「前方後円墳の墳丘規模」『大阪市立大学大学院文学研究科紀要 人文研究』第55巻第2分冊(2004年)に書いたことがあります(右、一部抜粋)。大阪市大のリポジトリで全文PDFでダウンロードできるようになっているはずです。
◆3面ものテラスが後円部と接続するあの細い部位のなかに収まるか?、と言われれば、たぶんそうなっていたと推測するのがよいと考えています。西殿塚古墳にもかかわりますが、こうした前方部側で、対応する低いテラス面を、後円部の高いテラス面にスロープで取り付けることについては、
五色塚古墳などの例で既に知られているところで、1992年の論文でどう書いたかはわ
かりませんが修士論文の段階からそうみておりました。
◆こういう接続のさせ方がバッチリ検出されている古墳があるのをご存知でしょうか。玉手山7号墳ですよ(『玉手山7号墳の研究』〈大阪市立大学考古学研究報告〉第1冊(2004年)。カラー写真はこの正報告書ではなく、柏原市から刊行していただいた概報です。
◆ちなみに、寺澤さんが検出した前方部西北隅付近の葺石が墳丘そのものという点については、「前方後円墳の墳丘規模」『大阪市立大学大学院文学研究科紀要 人文研究』第55巻第2分冊(2004年)に書いたことがあります(右、一部抜粋)。大阪市大のリポジトリで全文PDFでダウンロードできるようになっているはずです。
◆3面ものテラスが後円部と接続するあの細い部位のなかに収まるか?、と言われれば、たぶんそうなっていたと推測するのがよいと考えています。西殿塚古墳にもかかわりますが、こうした前方部側で、対応する低いテラス面を、後円部の高いテラス面にスロープで取り付けることについては、
◆こういう接続のさせ方がバッチリ検出されている古墳があるのをご存知でしょうか。玉手山7号墳ですよ(『玉手山7号墳の研究』〈大阪市立大学考古学研究報告〉第1冊(2004年)。カラー写真はこの正報告書ではなく、柏原市から刊行していただいた概報です。
箸墓はたぶん4段でいい
◆前方部の側面には段がないとされていたが、寺澤さんは2段に復元、わたしも最下段はあるとする図を示したこと
がある(右図)(以下、上から仮に上段・中段・下段・最下段としておこう)。前にも書いたが、側面にテラスがあることそのものは、南側の道路に立てば見える。それと、西求女とか備前車塚にあることも考慮していた。しかしカシコーケンのレーザーで、1面のみならず、ほかにも前面のテラス面が側面にまわってくることが明らかになる。それをふまえて、現地で確認することを最大の目的とした。
◆カシコーケンのHPで赤色立体図が公表されていたが、今尾さんに20日当日の資料を作成いただいたのだが、そこで、HPで赤色立体図に段築復元を記入したものも、最新の資料では公表されていることを知る。それでは前方部は3段に復元されていた。
◆観察の結果、まず上2面のテラスは、上のものがもっとも明瞭で、下のものはとぎれがちだが、南側面でもほぼ通るとみてよいと、道昭さんや、菊地さんや犬木さんと話をする。実に微妙な傾斜の変化があり、やや傾斜が緩くなり、テラス残存部肩部の稜のようなものがたどれる。これで、上段と中段は画される。ここまではカシコーケンも同じ。問
題はその下が1段なのか、2段に分かれるのかという点。この部分、墳裾まではまだかなりの高さがある。1段だとすると、上段および中段に対し、斜面長の長い下段となる。
◆さっきの下位のテラスだって視認はようやくというところもあり、まして改変を受けているその下のところで、テラスがあったかどうかは、なかなか確実に言えるところは少ない。そのなかで、前方部前面では、乱れはあるのだが、下段があって、その下にテラス面が通るとみた。そして、これに相当する側面のテラスは既に消失した範囲も多いと思われるが、前方部の西北隅部とか、南くびれ部とか、今回立ち入りが許された巡回路となっている幅の狭い通路のなかに、もともとテラス面だった部位に相当するものがあるように思われる。
◆右の写真の南側面でいえば、見えてる斜面の途中に下段と中段の間のテラスがあるようになんとか見え、足下あたりが最下段と下段の間のテラス位置に相当するのではないか、ということです。
◆そして箸墓は、後円部については、径が120歩・100歩・80歩・60歩というように、ほぼ同等の土段を重ねているわけだが、そういう均等なあり方から考えても、前方部についても、ここまで見てきたような現地での読み取りをあわせ、もう1面テラスがあって下半分が2分され、こっちもほぼ均等な4段としている、と考えるのが整合性が高いと考えます。
◆カシコーケンのHPで赤色立体図が公表されていたが、今尾さんに20日当日の資料を作成いただいたのだが、そこで、HPで赤色立体図に段築復元を記入したものも、最新の資料では公表されていることを知る。それでは前方部は3段に復元されていた。
◆観察の結果、まず上2面のテラスは、上のものがもっとも明瞭で、下のものはとぎれがちだが、南側面でもほぼ通るとみてよいと、道昭さんや、菊地さんや犬木さんと話をする。実に微妙な傾斜の変化があり、やや傾斜が緩くなり、テラス残存部肩部の稜のようなものがたどれる。これで、上段と中段は画される。ここまではカシコーケンも同じ。問
◆さっきの下位のテラスだって視認はようやくというところもあり、まして改変を受けているその下のところで、テラスがあったかどうかは、なかなか確実に言えるところは少ない。そのなかで、前方部前面では、乱れはあるのだが、下段があって、その下にテラス面が通るとみた。そして、これに相当する側面のテラスは既に消失した範囲も多いと思われるが、前方部の西北隅部とか、南くびれ部とか、今回立ち入りが許された巡回路となっている幅の狭い通路のなかに、もともとテラス面だった部位に相当するものがあるように思われる。
◆右の写真の南側面でいえば、見えてる斜面の途中に下段と中段の間のテラスがあるようになんとか見え、足下あたりが最下段と下段の間のテラス位置に相当するのではないか、ということです。
◆そして箸墓は、後円部については、径が120歩・100歩・80歩・60歩というように、ほぼ同等の土段を重ねているわけだが、そういう均等なあり方から考えても、前方部についても、ここまで見てきたような現地での読み取りをあわせ、もう1面テラスがあって下半分が2分され、こっちもほぼ均等な4段としている、と考えるのが整合性が高いと考えます。
なんかぐったりです
◆本日、21日の現在18:30。昨日は天理駅前で呑み、八木経由で帰宅したが、寝過ごし、いったん河内山本まで行ってしまう。ヘロヘロです。
◆21日、本日、堺市のニサンザイの現場。すごい!・・・、昨日、新聞記者の一人にデジカメ画像を見せられてはいたのだが、墳丘斜面裾部から濠底にかけて柱穴がならぶ(本日の17時解禁といっていたので、たぶんもう大丈夫でしょう)。昨日に続き、またまた倭国王墓を見せてもらい、ありがたい話である。感激ものです。
◆そして午後、第1回卒論演習を18時近くまでやって、終わったところ。ヘロヘロです。研究室にいたバイトによれば、けっこう電話が鳴っていたという。ラジオ関西からの1本は電話に出たが、「箸墓古墳のことで~」ということだが、取り込み中だったので、あとにして、と。メールをみたらTBSからメールが来ていて、サンデーモーニングで取り上げるので、箸墓古墳について教えて欲しいと。この電話もあったのだろう。捕まらないからメールが来ているのだろう。さてどうしたもんだべ。もう他の人にあたって用は済んでいるのでは、と思う。今日1日、研究室にほとんどいなかったことは幸いであった。「今回の立ち入りでわかったことは何でしょうか」。う~ん、テレビらしいワンフレーズとは言わないが、短く言え、と言われているんだろうが、答えるとしたらどう答えますかね。そういうのにチャッチャと答える明晰な頭脳はもちあわせておりません。世間に理解してもらうには、わかりやすく短く解説することも必要なのでしょうね、とは思うが・・・。ヘロヘロでもあり、頭もまわらん。自分としては、『ヒストリア』4月号に報告を書く際にまとめたいと思っている。昨日見たことをふまえて、じっくりと考え記しておきたいと。
◆21日、本日、堺市のニサンザイの現場。すごい!・・・、昨日、新聞記者の一人にデジカメ画像を見せられてはいたのだが、墳丘斜面裾部から濠底にかけて柱穴がならぶ(本日の17時解禁といっていたので、たぶんもう大丈夫でしょう)。昨日に続き、またまた倭国王墓を見せてもらい、ありがたい話である。感激ものです。
◆そして午後、第1回卒論演習を18時近くまでやって、終わったところ。ヘロヘロです。研究室にいたバイトによれば、けっこう電話が鳴っていたという。ラジオ関西からの1本は電話に出たが、「箸墓古墳のことで~」ということだが、取り込み中だったので、あとにして、と。メールをみたらTBSからメールが来ていて、サンデーモーニングで取り上げるので、箸墓古墳について教えて欲しいと。この電話もあったのだろう。捕まらないからメールが来ているのだろう。さてどうしたもんだべ。もう他の人にあたって用は済んでいるのでは、と思う。今日1日、研究室にほとんどいなかったことは幸いであった。「今回の立ち入りでわかったことは何でしょうか」。う~ん、テレビらしいワンフレーズとは言わないが、短く言え、と言われているんだろうが、答えるとしたらどう答えますかね。そういうのにチャッチャと答える明晰な頭脳はもちあわせておりません。世間に理解してもらうには、わかりやすく短く解説することも必要なのでしょうね、とは思うが・・・。ヘロヘロでもあり、頭もまわらん。自分としては、『ヒストリア』4月号に報告を書く際にまとめたいと思っている。昨日見たことをふまえて、じっくりと考え記しておきたいと。
あすは箸墓・西殿
◆日曜、もうひとつの仕事というのは、結局できず、かなり厳しくなっているが、なんとか2月中に決着させなければならない。月曜日、宮崎へは午後の便なので、午前は大学で仕事、博物館実習室の備品購入の残りの仕事をやり、事務に行き打ち合わせ、それでもう時間。JR難波に出て空港リムジンで伊丹へ。けっこうぎりぎりだったが、天候不良のため到着が遅れており、結局、どれくらいだろうか、1時間近くずれたのかな。
◆このブログを初めて以来、2回、西都原出張の機会があり、記事にするネタをもらって帰るも、2回とも、バタバタしているうちに、細かく報告することなく終わってしまっているという記憶がある。今回も、柳沢先生と重藤さんと、県の人にオデン屋さんに連れていってもらい、そこでいっぱい最新情報を仕入れ、一所懸命メモを作成したが、今回もまた、戻ってきて、記憶の新しいうちに記事にする余裕がない。
◆翌日の火曜日、本当は夜19時くらいに伊丹着の便だったが、陵墓の運営委員会が設定され、便を1本早めてもらった。17時に着き、京都駅までリムジン。ほぼ18時着。19時開始まで1時間。腹ごしらえとメモ作りとをやった。で、21時半くらいまでキャンパスポートにおり、八木経由で戻ると23時半くらい?。明日は、箸墓と西殿。月曜日出るときに、それ関係の一切合切を仕込んでおくのを忘れ、しまった・・・。まあ、早く寝て明日にそなえようか。とはいえ、もう20日の1時40分になった。
◆それと、キャンパスポートで腹ごしらえして店を出ようとすると、サイフがないのだ・・・。サイフとは別に非常用にカバンに入れていた万札で支払って出たものの、またやった、トホホです。バスのなかか、京都駅か。京都駅なら出てきやしないだろう。前にもカバンを盗られ、結局出てこなかった。
◆もうひとつ。京都の会議の途中、携帯が鳴ったが出なかった。メールが来ていて、卒業予定の一人からだった。臨時雇用だと思うが、あるところの発掘業務の仕事に応募していたのだが、来てくれとの連絡をもらったとのこと。修行に行ってこい、と。
◆このブログを初めて以来、2回、西都原出張の機会があり、記事にするネタをもらって帰るも、2回とも、バタバタしているうちに、細かく報告することなく終わってしまっているという記憶がある。今回も、柳沢先生と重藤さんと、県の人にオデン屋さんに連れていってもらい、そこでいっぱい最新情報を仕入れ、一所懸命メモを作成したが、今回もまた、戻ってきて、記憶の新しいうちに記事にする余裕がない。
◆翌日の火曜日、本当は夜19時くらいに伊丹着の便だったが、陵墓の運営委員会が設定され、便を1本早めてもらった。17時に着き、京都駅までリムジン。ほぼ18時着。19時開始まで1時間。腹ごしらえとメモ作りとをやった。で、21時半くらいまでキャンパスポートにおり、八木経由で戻ると23時半くらい?。明日は、箸墓と西殿。月曜日出るときに、それ関係の一切合切を仕込んでおくのを忘れ、しまった・・・。まあ、早く寝て明日にそなえようか。とはいえ、もう20日の1時40分になった。
◆それと、キャンパスポートで腹ごしらえして店を出ようとすると、サイフがないのだ・・・。サイフとは別に非常用にカバンに入れていた万札で支払って出たものの、またやった、トホホです。バスのなかか、京都駅か。京都駅なら出てきやしないだろう。前にもカバンを盗られ、結局出てこなかった。
◆もうひとつ。京都の会議の途中、携帯が鳴ったが出なかった。メールが来ていて、卒業予定の一人からだった。臨時雇用だと思うが、あるところの発掘業務の仕事に応募していたのだが、来てくれとの連絡をもらったとのこと。修行に行ってこい、と。
2月17日の日曜日
◆12・13の卒論・修論の口頭試問、14・15の大学院入試、毎年のことながら、仕事のひとつのピーク。卒論の点数については、昔はカンカンガクガクの議論をしていたと聞いている。日本史教員も世界史の論文も読み、世界史の教員も日本史の論文を読み、対象や中身は違っていても、努力の程度、完成度、その意義、こっちよりこっちが上といった議論を延々と戦わせていたという。いまは大きくもめることはないが、それでも日本史・世界史こえて、相互に論評しあう雰囲気はある。
◆大学院入試はさらに慎重な議論を延々とやる。
◆で、この土日、やることが2つ。ひとつは後期試験の成績出し。が、体調が悪い。昨日も大学へ出てきたものの、寝不足もあるが、寒気がして、とてももたない。場所を移し、博物館概論の答案を読み続ける。昨日はそこまで。帰って布団に入り養生。日曜日の今日、レポート点などを加味してなんとか総合評価の点を付け終わる(ほんとは15日〆切)。明日、宮崎に出張だが、朝、事務室に出して行くことにしよう。
◆さて、ひとつは区切りがついたので、ここからもうひとつの仕事にとりかかろう。
◆大学院入試はさらに慎重な議論を延々とやる。
◆で、この土日、やることが2つ。ひとつは後期試験の成績出し。が、体調が悪い。昨日も大学へ出てきたものの、寝不足もあるが、寒気がして、とてももたない。場所を移し、博物館概論の答案を読み続ける。昨日はそこまで。帰って布団に入り養生。日曜日の今日、レポート点などを加味してなんとか総合評価の点を付け終わる(ほんとは15日〆切)。明日、宮崎に出張だが、朝、事務室に出して行くことにしよう。
◆さて、ひとつは区切りがついたので、ここからもうひとつの仕事にとりかかろう。
2013年2月2日、娘の高校卒業式
◆4期生(97人?)が、この日、卒業した。けっこう感激した。卒業生代表の答辞?はなかなか泣かせるものであった。こ
のあと、謝恩会があり、上の息子の時は行かなかったが、都合8年間お世話になったので、カミさんと2人、橿原ロイヤルホテルでの謝恩会に出る。行ってみると、保護者で男はオレ1人。センター試験のあとの三者面談の時に、謝恩会で乾杯やれと言われたらしく、カミさんが引き受け、めんどくさいと思いつつこなす。
◆先生は、理事長・校長に、担任3人+α程度だが、最後の担任の先生のあいさつはよかった。そこは、大学とは違う密度の高い関係、うちお一人は、6年間ずっともちあがりで、しかもうちの娘のクラス担任(1年だけ違ったか)。6年間、4期生約100人とむかいあってきた先生の感慨は、たいへんなものだということがよくわかった。みなさん、いいスピーチでした。
◆この日も私学の大学受験が早いところでは始まっており、10人くらいは卒業式に出られなかった様子。そして、受験としては、これからが本番である。
◆先生は、理事長・校長に、担任3人+α程度だが、最後の担任の先生のあいさつはよかった。そこは、大学とは違う密度の高い関係、うちお一人は、6年間ずっともちあがりで、しかもうちの娘のクラス担任(1年だけ違ったか)。6年間、4期生約100人とむかいあってきた先生の感慨は、たいへんなものだということがよくわかった。みなさん、いいスピーチでした。
◆この日も私学の大学受験が早いところでは始まっており、10人くらいは卒業式に出られなかった様子。そして、受験としては、これからが本番である。
宮本さんの話のまとめ
◆都市格というのは、人格と同様に、都市にも都市格があるというもので、この言葉は関一時代に使われたものだそうだ。
で、大阪都の話。大阪市がなくなるんですよと。大阪府が大阪都になると、大阪市や周辺は特別区に編成され、大阪市はなくなるんですよと。確かに大きな都市の場合、自治体の行政において市民の声が届きにくいことは事実で、大きな課題だが、特別区の編成とかとんでもない労力がかかる、それよりも住民の声が届きにくい現状に対し、欧米での住民協議会(決定権はないが予算の使い方などのかなりの権限をもたせるもの、らしい)などの仕組みを導入すべきだ、ということでした。もしやれば日本の地方自治のあり方として、画期的な試みになりますね。
◆それと市民運動が1990年代半ばで力を失ったと。声を上げよと。市大と府大の話も出た。統合案に対し、府大では反対する声があがっているが、むかし自分がいた市大からは声が上がらんではないか、とも。
◆前にも書いたが、どこぞの市長の話を思い出す。同じテーブルで食事をした。議会は市民の声を届ける機能を果たしていない。いらない、という話。そんな大きな市でないところは、もっと直接的に要望を集めることはでき、そういう声にもとづく行政は可能だ、という話だった。とはいえ、だからといって市長の権限が大きくなるのも危険だろう。たとえば現在の大阪市の場合、区に住民協議会を設け、そこで基本的な予算とかを議論する。そして各区長が大阪市の議会を構成し、最終的な議決を行う。現在の市会は不要、というのはどうだろうか。
◆それと市民運動が1990年代半ばで力を失ったと。声を上げよと。市大と府大の話も出た。統合案に対し、府大では反対する声があがっているが、むかし自分がいた市大からは声が上がらんではないか、とも。
◆前にも書いたが、どこぞの市長の話を思い出す。同じテーブルで食事をした。議会は市民の声を届ける機能を果たしていない。いらない、という話。そんな大きな市でないところは、もっと直接的に要望を集めることはでき、そういう声にもとづく行政は可能だ、という話だった。とはいえ、だからといって市長の権限が大きくなるのも危険だろう。たとえば現在の大阪市の場合、区に住民協議会を設け、そこで基本的な予算とかを議論する。そして各区長が大阪市の議会を構成し、最終的な議決を行う。現在の市会は不要、というのはどうだろうか。
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プロフィール
HN:
雲楽
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。