人を幸せにする人になろう

みみずくの夜メール

◆五木寛之が朝日新聞に連載していたもの。2002年4月からの連載だそうです。別に当時熱心に読んでいたわ6389d814.JPGけではない。めったに風呂に入らない。頭を洗うのは若い頃は年2回、40代で年4回、いまは画期的に1~2ヶ月に1回らしい。そういうクダリを読んで、カミさんが「あんたみたいやで」と言ったのを記憶している。念のため、わたしはそんなんではありません。
◆単行本になったものを前に1回、ブックオフで買った。入院中、ヒマだから何か本を買ってきてくれと頼まれ、何冊か見繕ったうちの1冊だった。近藤先生だったような気もするし、岳父だったかもしれない。で、またまた、ブックオフで105円で買う。それをこの数日、寝るときに読んでいた。
◆ま、楽しい読み物である。それにもまして、この昭和7年生まれの80近い人が、講演やらなにやら全国を旅し、日が変わるころから朝まで仕事をする暮らしを続けている、そんな暮らしぶりに驚く。いわゆるオレ流ではあるが、きわめて自然体であるところがよい。

津堂の鏡、なかなか撮影できず

◆津堂には斜縁二神四獣鏡が2面あり、同笵と思いこんでいたが違うことに気づく。岩崎山4号と同笵なのは片側で、もう1面のやつは違っていた。今日、岩崎山の写真を背景に、前に撮影した写真をパーツで切り出し、配列してもらっていたが、どうも文様が違うのだ。銘文もどうやら違う。奈良のタニグチ1号墳のように、銘文の文末と文頭の境に文様を入れるものらしい。斜縁の通有の銘文であれば、数文字の銘帯部の破片2点もおおよそ配列できるのだが、銘文も定型のものでなくやや違うみたい。
◆『樋口古鏡』を読むと、2面のうち1面は岩崎山と同笵とちゃんと書いてあった。この岩崎山と同笵の1面と倭製の1面は、前に宮内庁に撮影に行ったときも貸し出し中で撮れず、今回、宮内庁に打診したときは、既に近つに貸し出されており、またまた撮影できない事態に陥っている。近つで撮影させてほしいところだが、頼んだが無理と言われた。ま、しゃーない。

吉田君にお酒をいただきました

◆11月17日木曜日。今日はいつもは授業が二つあるがポッカリあく。なにをするでもなく、部屋の片付けとか、もろもろ。どこからかパソコンを奪ってきて据え付ける。3回生に、玉手山3号墳の発掘の遺構図をデジタルトレースしてもらおうとしている。3年分なので図面も多い。1年目のものはインクトレースが完了していたが、これも含めてイラレとする。作業量はかなりあるので、そろそろ始めようとし、3回生にイラストレーターをいまから教え込むべく、今週から準備をはじめた。スキャン途中。終われば合成し第2原図をいったん作成し、そこから切り出して挿図のレイアウトにかかる。実際に葺石をなぞり始めるのはいつになるだろうか。学部生の場合、あまりまとまった時間はなく、あきコマでの作業となる。
◆3台目のパソコンを3号墳専用機としよう。いままでのアルバイト用の2台も、2005年の古い方がメモリが少ないので動きが悪く、昨年2010年に買った物とデータを入れ替えた。だが、そうなんだ、インデザインとモリサワのフォントは片側のみだった。これは困る。イラレとフォトショプに比べると、使用頻度は低いので片側でもいいのだが、この際、ソフトとフォントをさらにつぎ込もうか。
◆報告書のためにモリサワの書体を買っている。前は1年契約のヤツにしたが更新がめんどくさい。使うのは決まっているので、リュウミン3種+中ゴチ+太ゴチの5種を2セット購入した。
◆月曜日の神明山の作戦もいちおう立てた。土曜日は松岳山だが、また雨らしい。明日本降りで雲が通り過ぎてくれたらいいのだが、土曜日がピークみたいだ。やれやれ・・・071e08d5.jpg
◆帰ると、愛媛の吉田君がお酒を送ってくれたのが届いていた。「愛海」というのと「美海」というやつ2本。ありがとうな。いま、ちびりちびりやりながらブログを書いている。【そう結婚式の司会をしてもらったのが吉田君。彼のことですから完璧でした。20周年と書いたので、お祝いを贈ってくれたのでした。もつべきものは後輩やね!】。もうすぐ0時、18日になる。吉井君からは、国立慶州文化財研究所の『日帝強占期 新羅古墳 発掘調査 関連資料集』というのが届いていた。
◆四天王寺さんからメールが来て、高槻市慈願寺山の内行花文鏡の撮影OKとなる。5年くらい前に宝物館に行ったとき、はじめて長持形石棺の蓋を見て、そして内部の展示で鏡がならんでいることを知る。レキハクの一覧では国際仏教大学(四天王寺設置)となっているものだが、大学じゃなく四天王寺宝物館。

関西大学で鏡の撮影

◆米田先生のご配慮で、玉手山6、盾・鞍・珠金、百舌鳥大塚山、計11面の撮影。粒ぞろいのイイ鏡たちだっe2516071.JPGた。
◆すこし早く着いたので、はじめて博物館の展示を見る。第2展示室では、博物館実習の展示。米田先生と博物館学芸員養成課程の話をする。模擬展示ではなく、また関大資料のみならず、学生たちが出品交渉をするのだそうだ。いつからやっておられるんですかとの問いに、「51年」!と。すごい・・・。70名からの受講生がおり、6グループに分かれてそれぞれが企画展をやる。2/3を占める文学部生と、1/3の他学部生・院生・科目等履修生と、金曜日と土曜日に2クラス開講しているんだそうです。しかも2コマの通年。うちの学内実習の倍ですね。
◆会場では、展示室(40㎡といったかな)にそれぞれコーナーを設けてある。カラーコピーの冊子を置き、展示室には受講生が配置されている感動もの・・・。来年、市大でもあれをやらんといかんのだ。
◆鏡の撮影は、このところ老眼でピントをはずした写真もチラホラ含まれていたが、原因のひとつが判明した。はずかしいので省略。いままで多くを撮影しながら気づかなかったのは情けないが、ま~しゃーない。今回の11面はいずれも良く撮れているんではないか。

愛知県美術館

◆枚方・万年山古墳の三角縁神獣鏡の1面が、なぜか何とかコレクションに分離し、愛知県美術館に入っている。撮影させてくれとメールで問い合わせたが、ある写真を使えと。まあ、美術館やから、そんなもんかもしれない。熟覧とか実測というので粘ってもよかったが、まあよしとしよう。公立の美術館で学術目的で見せてくれと頼んでも、断られるわけだ。そんなん相手にしてない、ということか。

茨木市立文化財資料館

◆安威0号墳の2面ほかの撮影で赴く。火曜日休館で月曜日は開館している。2度目。行くと、関梓さんがいるでdd700950.JPGはないか。びっくり。子育ても一段落し、嘱託で現場に出ているという。彼女に手伝ってもらい、撮影を済ませた。
◆隠れキリシタン関係の企画展を見る。池田市や大東市や八尾もだったかな、キリシタン墓碑があることを知る。文化財資料館に保管されている資料も展示され面白かった。解説ボランティアの人が1人おられ、興味をもって見に来る人がちらほら(少ないという意味ではなく逆、月曜の朝から観覧者が訪れている!、という意味)。茨木市にこんなものがあったのか、という声が聞こえてくる。知っている人は知っているんだろうが、山奥の史料館に赴く人は多くはないのかもしれない。現地史料館はそれとして、文化財資料館を本館として、さまざま見せる工夫をしてほしいもの。聞くと、2階に茨木城関係の展示を新たに設けるのだとか。
◆裏側には模造の埴輪をならべた公園的な一画もある。ここもまた屋外展示場として、もっと活用できるだろう。
 

宮島

◆はじめてである。フェリー48077f91.JPGが10分ごとに発着する。約10分。大鳥居が見えてきた。行楽シーズンでもあり人だ3868a0a2.JPGかり。われわれは通常の観光客とは離れ、まず要害山の宮尾城(厳島合戦で毛利元就が築いたという)、存光寺町、新町(遊郭)、西連町、魚棚町、後町、それから北之町表、中之町表、幸町表、と現在の北之町浜、中之町浜、幸町浜という中心参道より山側の旧道を行く。土地が狭いため、埋め立てを進めたらしい。
◆以上は、五重塔・千畳なんとかのある大町をはさんで東の「東町」と総称される街、大町をはさんで西の「西側」は、厳島神社の社家や寺院など権力者側の空間が広がる。以下、略。多宝塔で11:25解散。フェリー乗り場13:30とし、昼飯を含めた自由行動とし解散する。まずコーヒーをいっぱい。厳島神社を参拝。おみくじを引くと凶だった。ぶらぶらしながら・・・。地ビールと焼牡蠣、紅葉まんじゅうなど買い食い。ちゃんと昼飯は食わなかった。
◆それにしても実に観光客が多い。世界遺産のあと、さらに飛躍し8442397c.JPGたんf819d61e.JPGだろうか。ちなみに、昨年、伊勢神宮の参拝客が最多だったという。ここもまたすごいものだ。大型バスも止めるとこがないくらいあふれている。
【追記】1996年、世界遺産登録、1997年、大河毛利元就、年間観光客311万人、2001年に241万人まで落ち込んでいたが、2007年、10年ぶりに年間311万人を超える。2008年は343 万人、さらに2009年は346万人になり過去最高となる(WEB)。

いかわ旅館

◆修学旅行生も多い。外国客も多い。大きなホテルとは別に、中小規模のホテル・旅館が多くある。泊まったところには、エアコンのリモコン操作についての英語の説明文がぶらさげられ、横文5d73a37a.JPG字の本がベッド脇に70a9bc39.JPG置いてある。
◆朝、表でオーナーとしゃべる。3.11以前は、ここは外国人客が半分だった。それが3.11以後、年内はほとんどキャンセルだそうです。のべ1000人から1500人くらいになると。安全宣言が出されていないし、いまは円高がさらに追い打ちをかけており、どうしようか頭が痛いと。
 

国立広島原爆死没者追悼平和記念舘

WEB

【銘文】原子爆弾死没者を心から追悼するとともに、その惨禍を語り継ぎ、広く内外へ伝え、歴史に学んで、核兵器のない平和な世界を築くことを誓います。
【趣旨】 国立原爆死没者追悼平和祈念館は、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律に基づき、国が原爆死没者の尊い犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す施設として、広島市及び長崎市に設置するものである。
○「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(平成6年法律第117号)第41条 (平和を祈念するための事業)国は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、かつ、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す事業を行う。
【設置者】 国(厚生労働省)
【開館日】平成14年8月1日

◆1994年に法律が出来、2002年にできあがったわけだ。20eecfd6.JPG
◆右に示すのは、入館して最初のところに掲げられた趣旨文。「誤った国策により犠牲になった」とある。この文言、国立施設で入れるのは困難だろう。「誤った国策」、右より政治家がいちばん嫌う言葉であろう。ここには盛り込まれたが、そこ以外はホームページにもチラシなどにも基本的に出てこないようにも思う。1994年というと、村山内閣の産物かも。仕方なく作ったのではないのか。
◆原爆死没者のデータベース基地で検索ができるようになっている。1人1人をきちんと記録することに異議はない。なによりも写真があって本人と向き合える、名前があり、1人の人間の存在を認識できる。が、展示施設というか、モニュメント空間で、金をかけた凝ったものだが実がない。
◆で、人が入っていない。ロケーションが悪いし、原爆ドームまでの導線のなかで、ちゃんと位置づけられていない。1人1人の写真や名前だって、例えば平和の礎のように、屋外に、それこそ写真と名前を陶板に焼き付327a54f7.JPGけたものを14万枚配置してもいいのではと思う。法律は被爆者援護が主旨で、追悼施設は付属的なものなのだろうが、国(厚労省)が作ったものの、いまは指定管理で、結局、記念資料館を運営する市の認可した財団が運営しているのだそうだ。
◆無駄じゃないの。記念館は広島市が作った、それに国の慰霊施設ができたと。はじめから一体的にやった方がいいんではないのか。中身のない豪華な施設を別に作る必要はない。主機能である死没者のデータにしても、調べるのも国が独自にやったわけじゃないだろう。データベースのサーバーは市の記念館に置き、1人1人を顕彰するような施設は公園のなかの屋外に、平和の礎のようにもっと目を引くように場所を考えて作るべきだ。その金を法律により国が出すものの、はじめから平和記念公園の一環として任せればいいのである。原爆を前に、広島市は広島市、国は国ではないだろう、というのが言いたかったこと。

原爆ドーム

◆やはり迫力がある。世界遺産になったことは意義深いし、それにふさわしいと思った。53358061.JPG
9a885936.JPG史跡整備的な見方からすれば、もうすこし説明板があればとも思ったが、そのものズバリを見せるというのも理解できないこともないが。
◆見ていると、建設省(内務省)の慰霊記念碑が建っていた。なるほど、ここの産業奨励館みたいなところに旧内務省の出先が入っていたんだろう。だけどそれだけでなく、民間の企業が何社か入っていたはずだ。国家公務員の死のみを慰霊するのか、と言いたくなる。建設省が慰霊碑を立ててもイイ。が、せめて同じ場所で死んだ人間全員を対象とすべきだったのでは。
 

プラグイン

カレンダー

02 2026/03 04
S M T W T F S
1 2 4 6 7
8 11 12 14
15 17 18 19 21
22 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索