人を幸せにする人になろう

2024年3月29日 公州

◆テジョンのホテル7:40出発。バス停に向かう。7:53、102番でバスターミナルに向かう。昨日とはまた違うターミナル。昨日は昔からの古いターミナルだったが、こっちは路線多く、電光掲示板が壁一面に設置された最先端のターミナルでした。あとから考えると、鉄道でユソンまで行くべきでした。8:55発のバス。公州まで5600ウォン。
◆9:05着。コンサンソンの入口手前でバスを降りる。まあ1周してみようかと、基本的に城壁沿いを反時計回りにまわる。史跡整備が進み、発掘調査のトレンチもいくつもあり、うちひとつでは内部の城壁の石積みを掘っているところでした。屋外だが、屋根をかけた四阿で画像を流しているところもあった。錦江に面した側にまわると、さすがに眺めがよい。ただし、途中、晴れ間も差していたが、城壁をまわっているころは雲が薄暗く立ち込め、ぽつりぽつりと雨粒も。
◆コンサンソンを出たところで、交差点向いのカフェに入り、栗饅頭を食べる(公州は栗が名産なんだとか)。さらに隣の店で栗ケーキを買い、タクシーで国立博物館へ。いうまでもなく武寧王陵の出土品が目玉。木棺が組み上げられていました。これはすごいですね。密封状態なら、木棺そのものの部材もけっこう遺存するのだ。国立博物館のリニューアルをぜんぶ調べてみる必要がありますね。
◆そこから山越え。国立博物館は丘陵地の北側、宋山里古墳群は南斜面。新しく、なんとかという展示館もできているが、まずは古墳群手前の武寧王陵展示館を見て、これは確かにあったなと思い出した。上に少しあがって武寧王陵の入口を見る。ひきかえし、新しい展示館を見る。駐車場があり、観光案内所があり、そこの女性がすごく親切で、荷物を置かせてもらい、さらにタクシーも呼んでもらった。タクシーで錦江を渡ったむこう側のバスターミナルに向かう。
◆15時にタクシーを呼び、予定通りバスターミナルに行く。が、ソウル便は売り切れ。1時間半くらいあとだが、グレードの高いバスにする。待ち時間の間に軽く食事(アルコールは販売していませんでした)。
◆金曜日の夕刻、ソウルに向かう高速道路は渋滞していて、着は1時間程度遅くなった。バスから外を眺めると、黄砂で空気が黄色がかっていて、夕日もかすんでいた。
◆ソウルの高速バスターミナル駅から、地下鉄を乗り継いで、ホテルに行く。その後は自由行動とする。女性人はコスメやら小物の店やら、お土産物やら、そこはソウルで夜遅くまで店が開いていたらしく、けっこう買い物を楽しんだよう。われわれはコンビニでビールとつまみを買い、部屋で軽く飲んで寝ました。
【追記】この日はカメラをフル充電したつもりが充電されておらず、スマホになりました。スマホ画像を移すのがこないだ失敗したので怖いので、まだやっていない。また後にします。

2024年3月28日 扶余3

◆官庁ばかりというわけでなく、けっこう店はある。店を探してうろうろするのもしんどいので、隣のビルの地下に入る。なかなかいい店でした。楽しく食事。今日はマッコリ。
◆毎日の工程や、バス停やその時間など、すべて学生がセットしてくれる。前もって調べたこと、プラス、いまはスマホがあるので、その都度、調べてくれる。かつては、なかなか市内の路線バスなど乗れなかったが、いまは平気のようです。こっちは、状況に応じた変更等について相談しながら意見をいうが、基本的には学生らが考えた通り動くのみ。今回の韓国行きは昨年10月には決めた。おおまかな日程を決め、年内には飛行機を取り、年明けにはホテルを取る。学生らは分担して行程と行先の概要を調べたようである。

2024年3月28日 扶余2

◆扶余の国立博物館もリニューアルしている。円形になっていて、展示室が1、2、3と配列されていてわかりやすい。展示もいいし、中央フロアでの映像の仕掛けが大掛かり。なんだかんだと楽しめる。
◆見終わっても雨は上がっていない。陵山里古墳群もやめ、扶蘇山城もやめ。扶余都城VR館体験館というところに行き、山城の入口あたりや、官北里の整備状況を見て、バスターミナルに歩いていく。
◆帰りの大田行バスは1630だったか。待ち時間にカフェに行く。
◆テジョンのバスターミナル着が18時。市内路線バス停に行くと、すぐ2020のバスが着て大田駅へ。荷物を出し、地下鉄で政府庁舎駅まで行き、ホテルに入る。

2024年3月28日 扶余1

◆前日、朝タクシーを7時に頼んでおく。少し早すぎ。慶州駅でしばらく待ち、7:58発のKTXで大田へ。9:05着。今日は天気悪く、雨が降り続く。大田駅のコインロッカーに荷物を預ける。
◆少し歩いて駅前のバス停に行き、市内バスで西南部バスターミナルへ。11時の扶余行きバスに乗る(けっこう時間待ちしたのかな)。約1時間半で扶余にたどりつく。雨が降っているので国立博までタクシーとする。

2024年3月27日 慶州9

◆今日はここまで、とする。朝からけっこう歩きました。バスに乗って市場に行き、屋台で各自欲しいものを頼んで食べる。
◆コインロッカーに戻り荷物を出し、バスに乗って普門湖のホテルへ。

2024年3月27日 慶州8

◆慶州観光としては仏国寺と石窟庵もあるが、そこは時間次第と思っていた。無理に行くことはなく、市街地で十分見て回るところがあるので。仏国寺や石窟庵から戻る最終バスとかも調べてくれていたが、行かないことにする。で、皇龍寺だけは行こうと提案。おそるべき9重塔がここには立っていた。新羅の威信をかけた巨大寺院である(真興王14年(553)に造立が始まり、善徳王13年(644)に完成した。高麗朝にも隆盛を維持したが、1238年に蒙古軍の兵火によって焼失)。
◆遺跡地の一画に、ごっつい皇龍寺歴史文化館ができあがっていました。このシアター映像はなかなかのもんですよ。なんていうのですか、ステレオ動画で、眼鏡を借りて見る。モンゴル軍が侵攻して焼け落ちたのが1200年代のこと。遺跡は再整備公開の準備をしているのか、入れないようになっているよう。この文化館の2階から基壇を眺めた。
◆今日はここまで。朝からけっこう歩きました。バスに乗って市場に行き、屋台で楽しく各自欲しいものを頼んで食べる。コインロッカーに戻り荷物を出し、バスに乗ってホテルへ。

2024年3月27日 慶州7

◆国立慶州博物館。これまた様変わり。本館、別館(仏教関係)、収蔵庫展示、月池館(アナプチ関係遺物)と、展示館が拡充している。収蔵庫展示もなかなか立派で、保存処理やいろんな素材の製作技術などの映像が散りばめられている。
◆皇南大塚の資料は、中央博での展示物としているものもあるようだが(前は基本的に中央博で見た記憶がある)、基本的には慶州に置いているよう。ある展示室の一画に、土器や鉄や、まあびっくりするくらいの物量の副葬品が迫力があった。允恭と同時代を生きたトツギ王墓はなかなかすごいわ。

2024年3月27日 慶州5

◆天文台前での写真。大観光地化にむけての事業をどんどんやっている雰囲気。韓屋の飲食店やお土産物屋などの一画を新たに作り上げていたりする。
◆そのあとは月城。前面の堀が復元され、建物跡の遺構表示がなされ、20年前とはさまがわりです。月城を抜けて、次はアナプチ。

2024年3月27日 慶州4

◆大陵苑を出て、発掘館のようなドームが新たにできあがっていて、そっちに向かう。が、少し前から閉じているようだ。食事を取ることにする。交差点をわたったところにお菓子屋さんがあり、回転焼の小さい感じのものを6つ購入する。で、その横の店で昼飯。けっこうしっかりと食事をする。

2024年3月27日 慶州3

◆皇南大塚とか天馬塚展示館などがある大陵苑の地区。天気よく、人だかり。古墳群でこれほど観光客があふれるものは、ほかにあるだろうか。同じ世界遺産の古市・百舌鳥を考えていた。
◆天馬塚の展示館。これ皇南大塚の前哨戦として掘ってるんですね。1970年代前半。積石木槨は石積みが厚く、盗掘は困難。結果、すべて未盗掘。天馬塚の副槨のぎゅうぎゅう詰めに副葬品を入れ込んだ復元を見ると、なかなかすごいわ。それと木の皮のアオリ、竹を編んだアオリ。ただし、積み石木槨の説明は、ちょっと古いところもあるのだろう。

プラグイン

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
8 9 10 11 12
14 15 17 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索