人を幸せにする人になろう

いまの正門と通用門

◆市大の前身である大阪商大は、戦時中に海軍に建物を提供することになり(学徒出陣および勤労 奉仕で大学教育は実質的に停止していた)、そのため9月末和歌山に上陸した米軍は、商大キャンパスも接収する。10月7日以降。1週間で立ち退けとの命令。ちょうどそのころGHQの指令で政治犯・思想犯が釈放され、大阪商大事件関係者も出獄する。
◆で10年かかっているわけです、返還に。なので、どことも1949年に新制大学化し、戦後の教育を再出発する重要な時期に、市大は学部ごとに、市内の旧小学校などに分散していたわけです。難波宮の第1次発掘だってそうですね。大阪市美が基地だったんではないか。文学部の先生はいまの靭公園のとこだったか、違ったかな。
◆まあいい、1952年に、敗戦後7年にしてようやく1部返還。さらに全面返還まで3年。その間、図のようなことになったわけです。旧商大キャンパスは2区間だった。それを越えて米軍は接収。赤の輪郭。1952年に水色部分が返還されたが、まわりは鉄条網があって、米軍の兵舎がならんでいた。これキャンプサカイという名前の駐屯地。
◆でです、商大が杉本に移転したときにできた正門は、どうやら米軍接収時代に撤去されている。で、いま踏切をわたったところにある通用門が、この水色部分のみが大学に戻った時の玄関だったんだ、ということを認識した、という話です。学生等は、そこを入って1号館に向かっていたわけです。ちゃんちゃん。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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