人を幸せにする人になろう

実習展続き

◆学生とともに一緒に勉強していると、あれやこれや紹介したくなります。資料の所蔵は大学史資 料室なので、あんまり表にできませんが、いくつか。商大最後の学長は、京大滝川事件で、末川とともに商大に招かれた恒藤恭といいます。末川は文部省や官憲から目を付けられていたようで、京大法学部教授全員が辞表を出しますが、京大総長は末川のは受理して文部省に送り、そのまま辞職します。恒藤は残留組になるが、それはおかしいとほか1名とともに改めて辞職したわけです。その2人を大阪商大が採用するのです。
◆で、1949年新制大阪市大になったとき、恒藤はそのまま学長になり、山根の難波宮調査も支援します。で、恒藤の資料は市大に寄贈されて、いま大学史にあるのです。その恒藤が滝川事件当時に書いた自分の文章や、いろんな新聞記事や人の論評を切り抜いて貼ったスクラップブックがあるのです。そこから1点。
◆で、末川本もあり、滝川事件直後に出版された本が残っています。
◆そして特筆すべきことは、戦後、滝川事件の時のようなことが起こっているのです。これをパネルでは「商大の戦後処理」と呼びました。「大阪商大事件」で追われた教員の復職、その一方で、戦争に協力的だった教員の追放および辞職勧告です。それは学生1000人の集会でも決議されます。商大教授会は、恒藤に判断を一任し、全員が辞表を提出することになります。30数人いた学部の教授らは半分以下になります。その時の教授会決議がそのまま『学報』(大学の「官報」ですね)に掲載されている。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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