人を幸せにする人になろう

久しぶりに窯跡の踏査

◆きのうは、ものすごく仕事をした。大きな仕事ではもちろんない、ちょっとやれば済む仕事から、1時間もの、2時間もの、など各種。これだけやると気持ちいい~ものだ。
◆今日は大学入試で構内に入れないものだから、そして午後に会議があったので、前からやろうと思っていたe2f71a4b.jpg谷山池の窯跡を見に行った。夏の合同調査の時の方が水が少なかった。梨本池はほぼ満水。谷山池は、夏は分布図をもたずに行き、西側を歩いたが、ほとんど実は窯跡がなくはずれだった。今日は分布図にもとづき東側を歩く。
◆窯跡の分布調査は大学時代の岩倉古窯跡群以来である。高校の時に加古川の白沢の奈良時代の窯跡に行き、斜面一面に須恵器が散らばっているのを見て感動した(その後、山陽道で発掘調査)。それに近い状況だった。杯身・杯蓋がごろごろ落ちている。それと谷山池支群は7世紀のものがすくないのだが、かえりのついた杯蓋も見つけた(分布図で見る限り新発見か)。それと61号窯では瓦は確かに落ちているが、見たところ鎌倉くらいで、巴の破片も見つけた(先んじて和泉市教委が行き、完形の軒瓦や丸瓦が採集されていることを午後の会議の時に知り、会議終了後、いずみの国歴史館で見せてもらった)。それから、坂本寺の軽寺式が見つかっている谷山池12号窯に行く。12号窯そのもので焼いたのではなく、付近に瓦窯があるのだろうということになっているようだが、確認に行った。竹藪の篠で地表がほとんど見えずまったくわからなかったが、うろうろしている時に6世紀の須恵器が散っている箇所を見つけた。これも分布図からすると新発見。
◆そうなのだ。和泉市は公団の宅地開発に際して、古くは石部先生に投げ、またその後は発掘調査に追われたことはよくわかるが、もっとちゃんと分布調査をすべきだね。
◆報告書、恥ずかしながら、今日、はじめて和泉市から出ている報告書がならんでいるのを見た。これを見ないで和泉市史は書けないわな。うちの大学には報告書は入っていないのだ。和泉丘陵の概報Ⅰ~Ⅸ、そして赤いのが本報告書なんでしょうね、万町北の報告書なんて初めて見た。原稿以前、資料集めからだ・・・、それなくして池田谷の歴史なんて書けやしない。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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