人を幸せにする人になろう

栄原永遠男先生の最終講義(3月3日)

◆栄原先生の最終講義と茶話会だった。実行委員会を作り、年明けから準備してきた。オレは会計と雑用係。昨日から会場を下見し、プロジェクターをセットしたりして、今日は昼前から大学院生総動員で会場設営にあたった。まあ、大会場での大イベントではないので、ピリピリした緊張感と言うより、まあ致命的な落ちがなければなんとかなるという感じではあったが、それでも院生を動かすためのメモを作ったりして準備した。
◆結果、むろん先生のお人柄、講義の魅力もあり、会場いっぱいの方々に参集いただき、ほぼ予定通り推移し、茶話会でのスピーチもよく、実によい最終講義になった。満足である。最終講義は「歌木簡との遭遇」、昔をふり返るような話はしたくない、この数年、対外的にはしゃべる機会がありながら、大阪市立大学でちゃんと話をしたことがないので、ということで、先端の研究の話をされた。難波宮で「はるくさ」木簡が出土し、重点研究で取り上げたこともあり、カナとしての漢字利用について考えたこともあったので、興味深い話であった。もっとも最後は、お茶をサーブする生協との打ち合わせがあったので、会場を離れたが。
◆で、そのあと、杉本町の飲み屋。実に楽しい。濱田さんや安村さんや積山さんや古市さんや鷺森さんや清水さんや。ここぞとばかり、弥生後期の話を濱田さんにふっかける。酔いも作用しよくしゃべった。弥生後期の理解はぜんぜんちゃうな。近いのかも知れないが、専門家はやはり慎重、こっちはド素人なのでもっと単純に理解しようとする。おおむね庄内のはじまりは2世紀後半でよいのでは、というのは濱田さんも安村さんも同じような見解だった。古墳時代の話もしたが、まあそれはよい。いくつも刺激をうけたので、紹介する。
◆河内大塚山が欽明未完成墓であるという見方が、西田さんだけでなく安村さんもそう考えていることを知りびっくり。そしていままで聞いたなかでは考古学的な論拠も挙げている。ナルホド・・・
◆それにしても、おれが『古事記』崩年干支だのと言うことについての、強烈な反発、あるいは姿勢に対する疑問の声を2・3聞くことができた。要するに近藤義郎と同じである。考古学でちゃんとやれ、ということだ。
◆反論としては、なんで古墳時代を研究しているのに、古事記・日本書紀を使わないのか、それで終わり。姿勢なので、それはいたしかたがない。むろん、オレは実に中途半端ではあるが。
◆もひとつ。考古学でも、どこまでだって課題はある。つまり考古学で迫る姿勢を貫けば、結局は文献と対比してものを考えるということがないわけだ。それはいやだということだ。少なくとも大阪におり、倭国王墓を扱っている人間としては、考古学的にある程度やった、これに文献もからませれば歴史像が豊かになるのに、考古学の追究を100%完了をめざして77%を78%にするの一生をかけたくはない。
◆けっこう面白いもんだ。なにがじゃ。違和感が表明されることが・・・。107年倭国王帥升は重要な問題だが、しかし単発な記事である。重要な問題ではあるが、あれでもって九州とか畿内とか当てようとすると大きな誤りを招く虞があろう。弥生後期研究はそれとは関係なく進めるべし、というのはよくわかる。かつて、倭国乱を弥生中期末に置いた誤りが想起される。しかし古事記・日本書紀はそれとはちゃうやろ。まあ、いろいろ面白い話があった。
◆いまある原稿を書いていて、トコトン考古学の立場から書いている。最後は4世紀の話をするときに被葬者の話をするかもしれない。まあ、そういう姿勢ではあるのですよ。ここでも新納さんはモデルだ。徹底的に考古学の方法論にもとづき緻密な議論を組み挙げた上で、最後にチョロリ。あの手法はすごいもんだ。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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