人を幸せにする人になろう

久津川車塚2017年8月4日(金)最高気温34度

◆参加者 城陽市担当者、工藤さん、自分、大澤(市大M1)、市川・林田・山崎(立命3)、池口(同志社3)
◆昨日の報告はもらっていないが、既発掘の西行きトレンチの掘り上げ、それが終われば、新規 調査区の黄色粘土をはずしていくように指示。これで、一応、既発掘区を掘り上げ、新規調査区については洪水層の黄色粘質土が除かれ、濠内堆積土である灰色砂質土を全面露出させることになる。そこまで行って時間があるなら、石に戻り、灰色砂質土層をほじり、葺石の続きを出していくよう指示していた。朝行くと、ほぼそういう状態。
◆まず陸橋部に立つと、層位がへん。上面が白色粘土で、肩部ヘリに赤さびの入った灰色の濠内堆積土がやや高くなっている状態。1日に断面を見た時、上に灰色粘土があり、その下に黄色の間層が入り、低い側で見えている濠内堆積土の暗灰色砂質土が、陸橋高まりの下に入ってくると思った。だが、なんで黄色の間層があるんやろ、と。院生の1人が違うんちゃう、と言っていたよ うな気もする。
◆で、陸橋肩部で、いま上面になっている白色粘土を少し削るも、暗灰色砂質土が下に出てくる様子はない。白い粘土があり、それを濠内堆積が覆っている・・・。つまりは白い粘土は古墳時代の陸橋そのもの。壁を見ると、その上に褐色の整地土風の堅い土層がある。ああ、陸橋が埋まっているのでなく、そのものが露呈している!。重機で削っている・・・。
◆こう認識し、全面清掃を指示。できるだけ薄く削るよう。自分は北壁に向かい土層を確認する。発掘は怖いですね。1日に壁をきれいにしたなら、ただちに大方の線引きをして、基本的な土層の理解を確立すべきです。普段からそう考えてはいても、実行できていない・・・。まあしかし、3日目に確立した。きれいになった平面の土層の連続も、ほぼ整合的な理解に達した。
◆昼前に、木製品と言っていた「現代遺物」を「丁寧に」取り上げ、午後からは周濠底面の洪水層を完全に取り、濠内堆積の暗灰砂質土の全面露呈作業を続け、第3Q中に完了した。
◆この日、基準点杭3(K4)にマシンを立て(バックサイト杭2)、調査区全体が見渡せる基準杭を調査区脇に打つ。K4の座標は、X-862.464、Y-254.788、H30.911。赤のワッカを通した釘を用意し、11本打ち、座標を測った上で、フォトスキャン用の写真撮影。これで第3Q終了。

◆第4Qは、濠内堆積土の暗灰砂質土を上からはがしにかかる。まず陸橋に接する後円部裾の基底石出し。ほぼきれいにならぶ。
◆北壁断面の観察では、上に灰色洪水層、その下に黄色い粘質のマンダラ層2枚(これ周濠底で見てきた土に似る!。下が灰色が強い。)、その下が堅い褐色土、白色粘土。間のマンダラ土2枚が、洪水層下部なのか、陸橋を構成する整地土なのか、午前の見解では洪水層下部と考えていたが、基底石との関係からすると、イキではないと思い始めていたが、その通りとなる。基底石はマンダラ土に据えられている。ああ、ああ・・・。スロープ状?。
◆この陸橋、少なくとも4枚の盛土からなり、白色粘土、褐色土など、明瞭に選別した土を重ねている。この陸橋は地山削り出しでないのだ(修正→基本は地山削り出しのよう。積土は上3層)。下から全部構築したものかどうかはまだわからない が。なので、地山削り出しの作業道で、最終局面で削り取り、その残丘というわけではなく、構築したもの。わからないことだらけだが、葺石を葺く段階で、ちゃんと陸橋として存在し、陸橋に取り着くところに基底石をならべ、葺石を葺き上げている。
◆陸橋と言っているが、陸橋かどうかはわからない。幅は未確定。北壁を拡張し、落ちていく肩をなんとか検出しなければなるまい。また来年、周堤内斜面を掘る予定だが、その時に堤側の陸橋をねらって確実なものにすべきです。と、ここまで書いてきて、造り出し?ということも頭をよぎる。低すぎるけど。高さ50㎝くらいか。ああ、ああ・・・。拡張するだけはやって、落ちなければ・・・。
【今日のひとこと】発掘は怖い

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前方後円墳が好き
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性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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