人を幸せにする人になろう

久津川車塚9月1日(火曜日)

◆自分、長友、道上、大澤・吉村・木下・安藤(NEW)、城陽市担当者 泊4人
◆大澤龍神が活躍し、今週は雨がち。今日も結局は15:45で閉じる。造り出し上面西北区を続ける。前年度調査区との間、南北撹乱溝を越えた東側は追求できていないが、隅を含む埴輪列の状況がだいたい把握できた。ないものはなく抜き穴があり、残っているものは残っている。隅部も抜き穴があって、おそらく埴輪がいたと思うが2本ほどなし。これに続く北辺列は撹乱のため半周以下だが一定追いかけることができるものの途中で途切れる。その先が、南北撹乱溝をはさんで向こう側で、これも撹乱溝にやがて引っかかるが数本分程度は残っているのではないか。
◆埴輪がだいたい出てきて、その周囲を造り出し上面まで検出する。パラパラと土器片が散っている。最初、自分がやっていた西辺の埴輪列外で甕片数点がまとまってでてきて、そのまま上げたが、続きが出てくるにおよび、ポイントを押さえていくことにする。原位 置といえるものはないかもしれない。先の甕片は黄色粘質土中ではある。その下の上面といえるところから出ているものでも、完形品とか、ある程度まとまってその場で割れたと思われるようなものも少ない。多くは遊離品。が、そう遠くないところにあったわけで、出土地点が元の場所を推測する唯一の参考データとなる。→したがって、現位置らしきものは図化するとして、多くの遊離資料についてもXYZ座標を記録して取り上げ、小袋に入れていくことにしたい。ひとまず埴輪片でない土器片とおぼしきものは、その場に残しフラッグを立てることにした。100金で買ったフラッグが10本程度立った。明日からはトータルステーションを朝に立てるようにしたいが、充電器が・・・。
◆で、西辺の埴輪の中からタコ(倒立状態の小壺)が1点出土。確か乙女山で5~6個ほど正位で納めてあったと記憶する。
◆なお、掘り上げてある撹乱溝を観察、どうも北区の埋葬施設はないみたい。さてと、予想のように埋葬施設が縦列でこなかったが、では造り出し南北の意味の差をどう考えるべきか・・・。また掲げている調査区図もアバウトで、現地説明会にむけ略測する必要がある。
◆ちなみに、今後の予定では、来週までに完掘、その次の週から実測にかかり、19日が現説。シルバーウィークで実測完了といきたいもの(が大阪城のボーリングが・・・)。写真撮影を来週末に撮影してしまいたいものだが、上のようにたぶんいかんだろうが、現説前の週にようやく掘り上げでなく、何日か実測できるようにする、というのが現実的か。埋葬施設の部分を掘り上げる予定はないが、縦断畦を残しつつ黄色粘質土を除去し、一部畦に沿って割り、掘形ラインを図化する程度の作業が必要だろう。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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