人を幸せにする人になろう

古代の婚姻関係

◆学生の卒業論文の関係で、婚姻史を考えている。例えば8世紀、いったい、ふつうはどうなんよ。義江さんや関口さんの書いたものを一緒に勉強する。
◆義江・関口でも細部は一致しないが、たいがい、妻方居住のようらしい。長男とか嫡男の場合は、本拠地を離れることができないので、夫方となるが、少数派らしい。それは、一人っ子もあろうが、2人、3人、もっと、とキョウダイがふつうは複数、それも2人でとどまらないなかで、長男のみの事例であるので、そうなる。もっとも、こういうのがベースだが、義江は実情はもっとさまざま、とみる。つまり婚姻後の居住についての規範的な習俗は未成立だという。この時代、戸籍というのができたので、婚姻関係について公式に登録がなされる。だが実態は、男女どちらでもあるツマドイに始まる事実婚で、それこそ情愛のある間は続き、なくなれば解消するような流動性をもつものだったと考えられている。離婚の規定もあるが、それは夫婦が一緒に住まなくなって3年経てば、とかそういったもの。
◆家と家のといった関係はなく、当事者の関係性の問題であるという。妻方居住の場合、妻の父母との同居もあるようだが、夫方の場合、夫の父母との同居は絶無という。
◆まあ、本人同士の情愛を基本とする事実婚で、むろん、どっちかが生まれた村を離れ、相手方のところへ行かねばならないというのはあるが、新居というのが多いようであり、結婚したら家を出てツレアイとの新居を構えるというのは、実に自然で、よくできた婚姻関係ではないか。
◆むしろ、階層上位の貴族層は、オクサンは複数いるかもしれないが、遠隔地婚となり、通いであって、夫婦同居ではないらしい。聖武天皇は、平城宮を抜けて、光明の家に通ったんですかね。あるいは国司となって赴任するとき、平安時代の受領はオクサンを連れて行くが、奈良時代は、ヤカモチの歌からすると単身赴任か、といった話も出る。このへんは、たぶん研究があるんでしょうね。
◆まあ、なにがほんとうか、なかなかわからん。基本は通いであって別居!、との見方もあるようだ。それこそ出自集団の枠を出れないのか・・・。だけど、結婚って、やっぱり一緒に住むのが基本だろうに。
◆さて、こういうのが8世紀くらいだとして、それは6世紀も、5世紀も、あんまり変わらないように思うが。だが、考古資料で婚姻の話は困難。いまやられているのは、墓に一緒に入る関係だが、婚姻とか同居と無関係ではないが、どうからめられるのであろうか。さてどうしたものか。

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雲楽
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誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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