人を幸せにする人になろう

大阪市大の梅棹忠夫

◆正確な記憶ではないが、梅棹忠夫が大阪市大理学部にいたことを知ったのは、考古の見学会で滋賀県に行ったとき、どうしても行きたいんだと言って、西堀榮三郎記念探検の殿堂に寄った時のこと。この施設を知ったのは、博物館の担当となり何か読んでいて、入館者も少なくなり閉館が考えられたときに、地元の人たちが残そうと運動した、といった記事をどこかで読んだから。西堀栄三郎そのものは前から漠然と知ってはいたが、「やってみられい」の文庫本などを読んだのは、この探検の殿堂に行く前だったか後なのか、定かでないが。
◆ともかく、探検の殿堂で梅棹のパネルがあり、大阪市大理学部にいたことを知る。が、どうせ短い期間だったんだろうと。1949年の市大創設の際、実に多くの若い将来性ある研究者が赴任した。新制大学ができ、若い力がポストをえた。が、しばらくすると、やはり京大などに戻っていったわけである。今回の『市大日本史』でOBの秋山さんの原稿を読んでいて、既に『文明の生態史観』で有名になっていたようだが、共通教育の生物の?授業をもっていたが、探検などで休講も多かったといったことが書かれていた。で、調べてみた。
◆1949年4月 大阪市立大学理工学部助教授(1959年に理学部と工学部に分離)
1955年 京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊員
1957年 大阪市立大学東南アジア学術調査隊長
1961年9月 京都大学より理学博士
1963年 京都大学アフリカ学術調査隊員
1965年8月 京都大学人文科学研究所助教授
◆1949年から1965年となると、丸16年はいたんだ・・・。
1956年 『モゴール族探検記』(岩波新書)
1957年 「文明の生態史観序説」(『中央公論』に掲載)
1960年 『日本探検』(中央公論社→ 講談社学術文庫 ISBN 4-06-292254-1)
1962年 『日本人の知恵』(共著)(中央公論社 のち中公文庫)
1964年 『東南アジア紀行』(中央公論社、のち中公文庫 全2巻)
なども、市大時代ということになる。いま手元に『モゴール族探検記』がある。活動の比重は京大の海外探検にあったのかもしれないが、市大でも東南アジア隊を率いている。これ報告書があるのかどうか知らないが、ネットでちょこっと調べると第5次とあるので、継続されてもいる。
◆まあ、大学史展示でパネルの1枚でも作ろうかな。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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