人を幸せにする人になろう

馮素弗

五胡十六国の歴史を語るブログから。正史の簡訳だそうです。

◆馮素弗は跋の長弟である。慷慨にして大志を抱いており、立派な容貌をしていた。人々と群れることなく任侠をもって思いのままにふるまい、小節をおさめなかったために人々はその才能に気づかなかった。ただ王斉だけはこれを異とし、評して「撥乱の才である」と言った。彼は豪傑と交友を結ぶことを第一とし、産業をおさめることがなかった。
◆若くして慕容煕の尚書左丞韓業のもとへ赴いてその娘を妻に貰い受けたいと請うたところ、業は怒ってこれを拒んだ。また尚書郎高邵の娘を妻として求めたが、邵もまたこれを許さなかった。
◆南宮令の成藻は豪俊にして高名だったが、素弗が訪問したところ門番に命じてこれを内へ入れなかった。素弗は無理やりに中へ入り込むと藻と対座し、傍若無人に振舞った。そうして連日談飲するうち、藻ははじめてこれを奇として言った。「私は遠方まで騏驥を求めていたが、それがこのような近くにいることを知らなかった。君を知ることの何と遅かったことよ」
◆当時の侠士にして、これと交わらない者はなかった。煕が僭号すると、侍御郎・小帳下督とした。
◆跋が偽業を成したのは、素弗の建てたところによるものである。
◆宰輔の地位に即くと謙虚恭慎にふるまい、礼にあらざれば動かず、厩番のような身分の低い者に対しても対等の礼を行った。車や衣服・家屋などは自ら率先して倹約第一としたことから、官僚らはこれを憚った。はじめ京尹となって営丘に鎮すると、民衆はこれをたたえて歌にうたった。あるとき韓業に向かって言った。「君はかつて私を顧みることがなかったが、今このようになってどうかね?」。業がこれを拝して謝罪すると、「昔のことだ。どうしてそれによって君に何かを図ることがあろうか」と言ってこれを手厚く遇した。
◆彼は断絶した家を継続させることを好み、また古くからの家柄の者を抜擢することを好んで、侍中陽哲に向かって言った。「秦・趙の勲臣の子弟は今いずこにあるのだろうか」。哲が「皆中州にあって、ただ桃豹の孫鮮だけがいるのみです」と答えたところ、素弗はこれを召して左常侍とした。論者はこれを宰衡としての度量を備えているとし、これに服した。
◆跋の七年に死去すると、跋は哀しんでその為に慟哭した。葬儀に際しては礼を尽くした。

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プロフィール

HN:
雲楽
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54
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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