人を幸せにする人になろう

大阪歴史学会とのつきあい

◆大阪歴史学会とのつきあいは2004年に始まる。会員でもなんでもなかった。積山さんから電話があり委員をやれと言われ、はいと答えた。説明をうけてはいたが、行ってみると企画委員長で、こりゃたいへんだ。でも、いまはどっぷりはまっているわけだ。しんどいのではあるが、やりがいをもってやっている。
◆月曜に委員会があり、いくつか感慨深いことがあった。ひとつは大会規定の改正案が出て、ほぼわたしの原案に近い線で落ち着いたこと、個人報告の公募を、会誌掲載だけでなく、全国の大学に試みとして書面で送ったところ、10本近く集まったこと、このふたつ。もうひとつ、次年度から年6冊化が決定した。
◆委員をやっての感想は、2年で事務局が変わるため、経験の蓄積がうまく伝わらずリセットを繰り返し、すべてがこれまで通りにやって2年を無事に終えるという姿勢。2点目はそれもあって、いまがいいのかという現状に対する問題意識が低く、改善していこうという姿勢が希薄で、提案しても、いつも継続審議で決まらないことだった。だがしかし、こっちも慣れてきた。次回、事務局でこれについて原案を提示してください、とか、こういう体裁について編集委員会で議論して次回報告してくださいとか、宿題を出すようになった。
◆企画が上手く回っているか、と問われればそうでもない。ちょっとどうにかせんといかん。でもそれはここでは。
◆会員がどれだけ意識しているかわからないが、最近、大阪歴史学会およびヒストリアはかなり変わってきたのだ。ヒストリアは紙もよくなったしオフセット印刷になった。本文中の写真も鮮明。わたしたちの文化財もなんとかつないでいる。別冊は出したし、特集もやった。あんまり投稿されないが、会員の声欄もつくった。現地見学検討会なんて、今城塚の時は20人ぽっち。それが宣伝を工夫して50人100人となってきた。総会の時に、大会参加者や総頁数、大会報告数、部会開催数と参加人数など、過去10年の経年表をつけるようにした。年6冊化もほぼGOとなった。そして、大会を充実させようという方向が、今回、ねらい通り個人報告に多くの手が上がって、ほんとうにウレシイ。部会報告者への旅費支給も。考古を盛り上げていくことは、依然として課題だが。
◆自慢、そうかもしれないが、ちょっと違うような気もする。とにかく、最近の変化は、だいたいオレがやったんです(えっへん)。もう代わってもいいかな、楽になりたいな、とも思うが、まだやることがあるので、いましばらく委員を続けようといまは思っている。
◆この前、だれかが遺跡学会のことを嘆いていた。「誰が作ったんや」とか。うまくいってないのかね~。その時思ったのは、まあ文化庁-奈文研主導で作られたのだろうが、それはそれとして、しかし、近藤義郎と考古学研究のように、私財を投げ売ってでもオレが育てるといった、それは極端にしても、そうした気概のある主導者が、軌道に乗り組織的に自己運動を始めるまでグイグイ引っぱらんとあかんのやろな~、ということだった。奈文研の人間は人間で、誰かがやらなあかんから仕方なしに、ではアカンし、外の委員も、まあ奈文研の研究会やから、と思っていてはダメだろう。実態はまったく知りませんが。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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