人を幸せにする人になろう

西都原古墳群の現場を見る

◆西都原の調査指導。卒論演習が後から入ってきて、飛行機の時間を遅くしてもらう。中華料理屋 で関係者の呑み会がずいぶん進行したなかに、あとから遅れて合流。毎年、M大学におられたY先生の熱弁を聞き、宮崎県下の古墳のこと全般、地下式横穴やら、韓国の話やら、とても勉強になる。終了後、S大学S氏とうどんを食べに行き、ホテルに入る。日が変わる頃だったか。そこから先のブログを書いていました。
◆翌朝、西都原へ。手前の台地の下側にある前方後円墳3基を見てから考古博物館へ。いまやっている企画展、西都原発掘100年を見る。鳥居龍造のスケッチ図が見物である。
◆それから、いま発掘している姫塚の現場に行く。造出が丸々出ている。石は小振りで、また突き刺したようなモザイク状ではあるが、上段・下段の基底石もほぼ残り、全体として残りはとてもいい。周濠があり、堤がある。一定幅の堤を設けているものは極めて少ないのだとか。アカホヤが上面となっている堤面だろうものがあり、それがある幅で終わり、外方では切れており、2重周濠というのか外周溝というのか、それで画することで堤ができるわけである。なので、外側の溝状遺構を捉える必要があるのだが、マックロでなかなかわかりにくい。明確な外側の上がりがない。黒ボクは微妙な色合い、混じり、堅さで、なんとか識別することになるが、Y先生の指摘のように、ある、ないとおかしいという目で点検する必要がある。トレンチを外に伸ばすことも一部では必要だろう。
◆もどって遺物を見る。須恵器片がぱらぱらあり、TK23~TK47で、5世紀後葉というところで落ち着く。とはいえ、姫塚は、円墳群地帯の一画にあるこの時期の希少な前方後円墳なのだが、大正の発掘では刀剣類と鉄鏃、鏡1面と玉類くらいで、甲冑が出土している同時期の円墳との関係をどのように理解すればいいのか、ということになる。前方後円墳を採用していることと副葬品とのギャップがしっくりこないのである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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