人を幸せにする人になろう

森浩一先生

◆大阪府の鏡の件で、森浩一先生に撮影のお願いの手紙を書き、本日、承諾書ならびにお手紙、それと抜き刷633ad118.jpgりをいただく。森先生をはじめて見たのは五條野丸山の見学会。名刺を取り交わしたのは2008年の和泉市の黄金塚シンポである(写真)。IMG_0155.JPG
◆手紙のなかで百舌鳥大塚山の鏡の保管場所が分離している経緯など、森先生の調査関係のことをお知らせいただいた。ありがたいことである。さっそく、お礼状と、こちらの書いたものを送る。
◆抜き刷りは、邪馬台国の会での講演録である。三角縁神獣鏡の理解はまったく異なるが、目についたのは、森先生が同志社に赴任したが、大学院の授業はまだもてない時期に、水野清一先生がずっと非常勤講師で通っていたことである。そして「考古学は遺跡にもとづく歴史学」との定義を水野先生から学んだことを知る。つながっていたんですね。水野先生の書いたものとして『世界考古学大系』第16巻の「考古学の問題」(1962年)があることを知る。
◆まあ、この抜き刷りでも、京大はいろいろ悪口を書かれていますね。そんなことは、もはやどうでもいいのだが。気になって、放送大学の新しいテキスト(2009)を見る。これほぼ京大の教員で固めてある。そこでは濱田の定義は遺構も含むものだったが、「人間の残したあらゆる行動の痕跡」により「人類の過去を研究する学問」と再定義している。そして、遺物・遺構・遺跡に大別されると。
◆まず、やっぱり濱田が出発点なのである。その言い直しというのはどうなんでしょうね。「人間の残したあらゆる行動の痕跡」って、ふつう遺跡と言い、「人類の過去を研究する学問」とはふつう歴史学と言うと思うのだが・・・。オレはそれよりも、水野先生のずばっと、実態をとらまえて「われわれが相手にするのは遺跡なんだ」と自ら定義する姿勢に共感する。
 

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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