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畿内の集落再編について

◆律令期集落については、文化庁にいるときに、坂井さんからいろいろ教えていただいたことが大きい。段丘の発達した関東では、7末・8世紀には集落を段丘に上げ、水利系統も革新し条里を施す。9世紀後半頃だったが、不便な段丘面を降りて平野部に居を移す。とたんに集落が把握できなくなるのだと。沖積地の発掘が進んでいないこととともに、散居村になっているためだろう。
◆それにくらべると、畿内は、集落再編は7世紀前半と早く、平野の中央部はよくわからないが、やはり集落は高台に移され、狭山池や古市大溝などのような水利施設の大規模な工事も実施され、官道が敷かれる。いまの中国のイメージである。「立ち退け」の一言で集落は廃絶、新たな村々ができる。そして7世紀後半、そこに方格地割がかぶるわけだ。
◆東日本は集落の再編と条里は一体であるので、実にわかりやすい。それにくらべて畿内は段階差があるわけだ。ふと、畿内の場合、集落の全面的再編を実施するのはどこまでの意味があったのか、と思う。官道や古市大溝といった捉えやすいもののみならず、中小水路網や開墾といった、やはり立ち退かせて実施するほどの面的な改変が実は進められていたと理解するのがよいように思う。
◆いずれにしても、こうしたことに関心をもち、条里の発表なんかをやっている背景に、坂井さんにうかがった研究成果がベースにあると思う。多謝!

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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