人を幸せにする人になろう

試問が終わって歴史の教員で呑む

◆2011年02月16日。毎年、恒例。実質、みなが集まって呑むのは、この1回。杉本町のいわし亭。西洋史にドイツ史の先生が2年前に着任し、昨年は東洋史にインド史の先生が着任し、この日の飲み会では、英語の話やら、イギリス人、フランス人、アメリカ人、インド人、中国人の話やら。
◆日本人の研究は概して緻密であるが、外国ではホラをいかに吹くかみたいな研究だ、といったこととか。西洋史の先生が、最初は日本語で考えそれを英語にする努力をするが、その段階から進んで、英語で考えるようになると、そこは母語でない悲しさか、思考の制約をうけてしまうというのだ。似たような話は前にもどっかでよんだような。インド史の先生はさらに上をいくようだ。
◆で、ここからが塚田先生の話。歴史は眠らないというNHKの番組で(前は市民大学とか言ったはず)、東大の村井章介氏と同時通訳で有名な鳥飼玖美子さんが2月の講師だそうで、鳥飼さんは4回しゃべるのだがテーマが「英語・愛憎の二百年」ということで、江戸時代以来の日本人の英語習得の歴史を語っているそうだ。そのなかで、現在のコミュニケーション重視の英語習得がいかにダメか、ということを言っているらしい。塚田先生はむろんそれに賛成しているわけである。どんなことが書いてあるか、それは読んでみないとわからないが、英語の達人がそういうことを言うことを、もっと汲むべきなんだろう。
◆市大では4月から入学者全員にTOEICをやらせるだの、という話が進んでいる。この日の晩、また別のところでは、理系の大学院入試の話なのだったか、使う語句を出して、なにか文章をまとめさせる問題が出たが、書けないのだそうだ。
◆本多勝一は日本の作文教育がぜんぜんなっていないということを早くから指摘していた。振り返れば、自分が高校生の時はひどかったが、『日本語の作文技術』などに学びながら、自分で文章を書くことでだんだん身につけてきた。この間、添削みたいな指導はまったくなかった。多くの人も、みな我流で、必要性から文章を書き、それぞれ書けるようになっていったのだろう。いまは意識的に文章を書かせないと、大学4年を過ごしても、ほっといたら、ろくに文章もかけないままなんだろう。卒論とかを読んでいて、そこは文学部だから、まあまあだが、やはりなかには、まとまった文章を書いたことがないんだろうな~、というものがある。
◆本多の言うように、論理的でわかりやすい文章というのは、ひとつの技術であり、それは小学校からきちんとやるべきだろう。英語よりも日本語でちゃんと文章が書けることことの方が重要だ。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
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大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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