人を幸せにする人になろう

近つ飛鳥まで歩く

◆5月16日、近つ飛鳥の展示を見に、家からカミさんと歩く。出発は遅く11時。自宅から駒ヶ谷へ抜け、竹之内b203f4fd.JPG街道に沿って飛鳥へ(写真は飛鳥川)。
◆まず駒ヶ谷の杜本神社へ。もとは、飛鳥戸氏を祭る神社とか。その参道沿いに寄附者の名前。これがおもしろい。金銅さん、真銅さん、麻野さん、この3つが有力。それにしても、金銅さん、真銅さんって、いったい・・・。古墳時代に金属加工をしていたのかな~、なんて想像する。
◆飛鳥、観音塚古墳に立ち寄り、途中で飛鳥戸神社による(写真)。前から行ってみたかったところだ。岸俊男だったか、編戸が渡来人に始まるのではという見解のもとになったもの。そして百済の昆支を祭り、息子の東城王はここ河内で育ち、百済王となる。東城王は殺害され、異母兄の武寧王が百済を中興する。いま住む人の血筋をさかde2f7c98.JPGのぼると、百済王室にまでたどりつくかも。いまはちっちゃい、実にちゃちい神社だが、韓国の人が訪ねてきた新聞記事が貼ってあった。ところで、飛鳥戸神社の寄附者一覧によると、飛鳥では仲村さんばっかり。仲村トオルはここの出身だったりして。ちがうか。
◆で、地図を持たず太子町に突入し、用命陵のところを南下して、と思ってたら、道を間違い、結局、敏達陵のある西側に出てしまい、近つへ。驚いた。駐車場があふれている(写真)。きっと講演会なんやで、水野先生とか・・・、といってると、ほんとうにその通りであった。ハヤシライスを食べて特別展を見る。なにがよかったかな。並んでるのは、ケイ甲に馬具に、似たようなもの。似たようなものであるところに意味があるんだろうが。石人と石馬がよかったかな。図録もいろいろ勉強になりました。13854225.JPG
◆帰りも歩きを選択。通法寺跡。源頼なんとか(義家の父)の屋敷は、八幡宮の西だったかな。河内源氏の本拠の発掘調査はどこまで進んでるんだろうか、ちょっと調べてみようと思った。通法寺は前に、御嶺山古墳を探し回ったときに立ち寄ったが、墓はなんか谷間の暗~いところで、気味悪い、くらいの印象を受けたが、羽曳野市にとっては、大きな歴史遺産が眠っていると言える。
◆そして壺井八幡神社に寄ってから、国分に戻り(19時)、酒屋で地元のワインを2本買い、今日はイタリアンということで楽しくやりました。歩きすぎて、足が痛い。

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HN:
雲楽
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60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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