人を幸せにする人になろう

集落と土地の研究会

◆勝手に上記の名前の研究会を名乗る。メンバーは岸本と古代史院生濱道君。中世史院生の小橋君も巻きdf91ef3c.jpg込もうとしている。条里とか荘園とか土地の制度や集落に興味がありそうな有志で、通史的な研究ができないものかと考えている。
◆とはいえ、これは名乗っているだけ。きっかけは、オレは古代の郷(里)は当初から領域と考えており、論文を書こうとしている。で、古代史の通説はそうではなく、濱道君に、古代史研究では、いったいぜんたい何を根拠に郷(里)が領域ではないとの見方がなされるようになったか、主要な研究を調べ、根拠を整理してくれとお願いした、それだけのことなのである。
◆で、だいたい調べましたというので、16日の木曜日の大学院演習の後に、いちおう資料を作ってもらい発表してくれと頼む。大学院の授業は、考古の院生(いないのだが・・・)のほかは、M1が受講する。で、彼らM1のやつに、古代の郷(里)について濱道君がしゃべるので、興味があれば残って聞いてみてくれと呼びかけるが、誰も残りやしない(向学心がない!)。で、日本史院生室に行って声をかけると、齊藤さんとバルディ君が興味あるといって参加してくれた。
◆で発表を聞いてみると、たいした根拠はないように思われる。だいたい5項目くらいが挙げられており、吉田孝の著書を基礎にしているようだが、ほんとにこれくらいなのかは、もうちょっと濱道にも勉強してほしいが、古くからの説を含め、いちおうメジャーなものではあるのだろう。
◆この日以来、そこで挙げられた根拠を自分なりに考え、史料を読んだり、風土記をみたりしている。その時、挙げてくれた根拠は、いずれも決定的でないと思った。むしろ『田令』の「狭郷(里)」「寛郷(里)」の定義を見たりすると、そりゃ領域やろ、ということになる。で、週末から原稿を書き始める。また、ほかのことをほっといて、優先順位を考えず書いている。敵はけっこう手強いであろう。が、そんな確たる根拠はないように思う。いまの時点では、たぶんいけるだろうと・・・。きっちりと相手を見定め、根拠をつぶし、逆にこっちの根拠を積み上げ(難しかろう)、疑問をぶつけてみたい。図は和泉郡における近世の郷(和泉市史にまもなく掲載される)。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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