人を幸せにする人になろう

難波宮第1次調査の発掘届など

◆大阪レキハクで展示されていたものが見たくて、写真を撮りたくて、担当に連絡すると、月曜日は無理だが、金曜日はというので、先週の金曜日に見に行く。写真は恥ずかしい結果だったが、まあ、実物を見ることがデキタ。科研費の採択通知は山根徳太郎本人あてに送られている。そんなことはあるんだろうか。研究代表者の銀行に振り込まれたのか?。なぜ市大はかかわらないのか。
◆午前に写真を撮影し、昼、NHKの食堂に行くと、栄原館長の出勤日で、すこし話をする。先生のところには、直木先生からの分厚い手紙があるそうで、いろいろ初期の難波宮の調査をめぐることが書かれているものらしい。なかなか活字になっているものを見ている範囲では真相が見えないのである。なにか書いてみたい気はするのだが、この直木先生の手紙の中身が、いつの日か公開されないと、表面的なことはまとめられるかもしれないが、人間関係についてはわからないのだろう。
◆要するに、市大のなかで難波宮の調査は、あまり位置づけられていないということ。山根の定年退職後ということもあるのだろうが、どうもそれだけでなく、山根先生や難波宮の調査に対し、市大はかなり早く距離を置いたように思われる。もし山根をトップにしながらも、市大の現役教員が深く関わるような体制になっていれば、大阪市主導に転換していくのは必然だろうが、すこし道行きが異なったものになったに違いない。しかしそこは文学部の人事計画もあり、年がら年中でなく、兵隊は学生なので休み期間中になるとはいえ、発掘担当の研究員(藤原さん)を置くのは困難だったのだろう。
◆大阪市による難波宮址顕彰会が発足するのは、1960年、科研の採択が1952年度、第1次調査は科研2年目の1953年度の年開けた1954冬のことであるが、その間の6年くらい、いちばんしんどい時期の調査がよくわからんわけである。
◆これ博物館実習展がらみである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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