人を幸せにする人になろう

1月3日は生野へ

◆翌日、前の神子畑に続き、生野へ行く。手前に奉行所?などの経営側の町屋があり、中程には工 場と労働者住宅などがあり、谷奥に鉱山入り口がある。明治初めに、フラ ンス人技術者が入り、三菱に払い下げられ、いま でも三菱マテリアルが操業している。国の重要文化的景観になっている。
◆まずは谷奥の鉱山の入り口に行く。入ると左手に新しいミュージアムがある。100円だか200円なのだが、あまり人は入っていない。パネルも新しく、ひととおりのことを学ぶことができる。
◆そしてその奥に、坑道に入っていくための料金を徴収する区画が別途ある。700円か800円だったか、そこそこの料金である。そこにも左手に資料館があり、右側に精錬の模型がある。こっちの方が古くからある施設のようで、資料館内には文書や絵図の実物があるが、全体に展示は古い。どうも経営主体が違うのではないかな。より内側の坑道に入っていくところを含めての部分は三菱関係で、新しいのが行政によるものかな、と。いまも土地所有ばかりでなく関連資料ももっているのは三菱であって、これを文化財として活用していこうとする行政と、完全には一緒になっていない感 じである。
◆いよいよ坑道。生野は歴史は古いが、近代の生産量が多く、歴史遺産としては三菱時代の近代のものがメインとなる。あわせて1㎞のほぼ平らな見学路があり、松葉杖で一周するとかなり手首に来てしんどかった。巻き上げ機やダイナマイトの発破の音響、穿岩機などの実物展示がある。水の流れもかなりある。近世の頃も、その排水がかなり大変だったようである。生野町の人口推移グラフがあったが、近代の増産で大正期に1万人となり、昭和に入って減少、戦後再び増加して昭和30年代に1万人となり、平成15年で5000人を切ったようである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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