人を幸せにする人になろう

2011年10月24日長岡京市の恵解山古墳の整備委員会

◆朝、9:30開始ということで、ネムネムで赴く。途中、阪急に乗っていると、ボックス席両側に、70才前後f947cb6e.JPGの男女グループが固まっており、同じ長岡天神で下りていったので、乙訓を歩くらしい。あちこちに歩6f2b371e.JPGきに行っていることを、オレの座っているボックス席の3人の男の人が話をしている。熊野古道、琵琶湖一週などで、いろいろとパンフレットを集めていて、それを見ながら盛り上がっている。
◆この世代、年金もあり、健康で、いろんなところをグループで歩き、実に楽しそうである。純粋な歩きもあるが、やっぱり歴史的な街道や史跡巡りが折り込んである。そうこうするうちに摩湯山古墳の名前が挙がり、あそこは中に入られへんから一周したとか。岸和田市も、まず入り口の門を開放しないといかんだろう。そうこうするうちに笠井さんの名前が出て、大和政権がどうのこうのと。
◆年金については後の世代のために我慢してもらわなあかんのとちゃうと思いつつ、こうした層の需要に、文化財に携わる側は応えていく必要があり、自分らの存立基盤のひとつとしてなにがしか役に立たなければなるまいと思う。
◆長岡京市の委員会の議論は、実施設計にむけての細かい詰め、とはいえ、かなり検討課題は多い。これについてはメモを作成しよう。今年も補足の調査をやっており、現場も見た(写真は都出先生)。
◆最近、古墳の西側で大規模な溝が調査され、恵解山古墳が山崎合戦における明智光秀の本陣だった可能性が浮上しているのだという。橘の増淵さんは、復元的整備に賛成したけども、現時点だったら反対するんだけど・・・と。古墳の上部が郭ではとの分析はあるようだが、いま削り込まれ長方形になってしまっている改変が16世紀とは限らないだろう。もうすこし早くからの改変の結果かもしれない。いずれにしても火縄銃の弾も以前に見つかっているようで、出土遺構や遺物を再点検する必要がある。
 

この記事にコメントする

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

この記事へのトラックバック

この記事にトラックバックする:

プラグイン

カレンダー

09 2024/10 11
S M T W T F S
1 4
6 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリー

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

バーコード

ブログ内検索