人を幸せにする人になろう

2015年3月12日、車塚

◆大学入試、後期、試験監督、12:30終了。10:00~12:30の試験期間中、車塚のことをずうっと考えていた。来週の作業、終わり方、夏どうするか、なども。そのひとつは、やはり「あれはあれなんだろう」な、ということ。終了後、車塚へ向かう。第2京阪でほぼ1時間くらいで着くが、高速代がなんぼかかるのやら。日誌は当日に書くべし、もはや本日、13日と区別がわからなくなっているところも。
◆写真撮影にむけて全体清掃。とはいえ、掘りも、いますこしだめ押しあり。畔沿い断ち割り部。南区畔沿い(掘り上げたきり寝かしていたところ)、南区埴輪列外側の肩部の整え、など。あとは全体清掃。洪水層の任意で止めている面も、実に美しい。
◆で、「あれはあれなんだろう」という話。撹乱坑の黄色粘質土の埴輪流入状況の写真を撮ったのは、11日だったっけか。終了後、畔沿いに一定幅で下に下げ、壁が垂直に落ちていくところから、もしかして、と思うようになっていたが、12日、20㎝程度だった掘削をさらに下げても同じ状況に加え、中央畔すぐ南の礫がほとんど残っていない帯状地帯の清掃をやっていると、掘形が出てきたわけです。確かに中世とかどっかで造出上面が掘り込まれ穴があいていて、そこに洪水層が堆積 しており、それを任意面で止めた中央部には黄色粘質土が残り埴輪が含まれるわけだが、撹乱を西から掘り上げ、畑地面から斜めに下り(これ撹乱ライン)、その追跡によって直線の壁が出てきたところで、気付くべきでした。要するに撹乱を掘り上げることにより、下の掘形がそこで見えた、ということです。撹乱と考えてきて、下部で何かしらん矩形になったぞ、と思っていたが、撹乱をうけていない中央畔の南で、造出上面から掘り込まれた掘形が検出され、ひと続きとして完結した。造出上面から穿たれた長方形の掘形があるというのが結論。その先はもう言いません。ガ~ン。この未熟者めが。まあ、掘り間違ったわけでなく(掘形埋土をいくぶん掘っていることにはなるが)、順当に最終的な結論に到達したということにしておいてください。
◆ほぼ、造出中央に位置する。規模からして、攪乱としての掘り込みはあったと考えているが(今のところ)、もともと陥没抗ができてたんでしょうね。

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HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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