人を幸せにする人になろう

2016年8月10日(水)久津川車塚

◆晴れが続きます。城陽市担当者。自分、道上・阿部・伊藤(市大)、園原・安藤・木下(立命)、泉(奈良大)、相馬(近大)。朝イチで、道路をはさんで向かいのお宅の井戸から水を引かせてもらう(きのうの夕方に話がついていた)。
◆葺石斜面をある程度降りてくるが、谷部の進捗がやや遅れているので、園原を起用し、一気に戦線を下げにかかる。とはいえ斜面上方での、目地出しの甘いところをホジホジする部隊も必要で、なかなか一線になって下がる体制にならない。排土も上と下に分かれると、チリトリで上は上でさばくようにはするものの、やはりかぶってくる。そこで、コーナンに走り、集塵機を購入、第2Qに導入する。こりゃいいわ。

◆そこで昼休みに、もう1台買いに走る。在庫なく、頼み込んで展示品を売ってもらう。あわせて石の目地を出すのに、適当な金属製二又の草抜き道具を買い込む。午後は、集塵機2台体制で進める。造り出し北辺の、囲形埴輪い沿いの黄色土の高まりを一気に削ると、累々と葺石面が現れる。園原も谷部をすっきりと仕上げる。谷部の列石が見事にならんでおります(写真上)。また同様に、囲形埴輪の反対側、後円部側にも黄色土の高まりがあり、谷部上方から削り落とす。谷部をはさんで両翼に人が展開しつつ、谷部に人を集め、戦線がそろうようにもっていく。
◆後円部側の黄色土を除去していくと、埴輪片が累々と出土し始める。センター谷部でも降りてくると、傾斜がさらに緩やかになり平坦に近くなり、その平坦部に囲形埴輪が据えてあるように思われる(コンパネのところ)。後円部側の新たに姿を見せる埴輪片も板状で、囲いとか家になるのかもしれないが、まだよくわからない。谷部に囲いがあり、間に黄色土の山があり、囲いと反対側の後円部斜面側の黄色土下位から新たな埴輪片が出ており、少々距離がある。囲いの部位から後円部側に倒れ込んだものかもしれないが、まだわかりません(明日になれば、およそわかるだろう)。
◆というわけで、センター谷部では、囲形埴輪の位置にほぼ近づくところまで降りてきた。目地をほじほじし、大変な手間であるが、石が累々と積み重ねられ、ぎっちりと残っている姿が露呈されてきている(写真上)。
◆昨日以来だが、続々と縦の列石が検出されている。列石は人頭大ほどで、間の葺石は拳大である。

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雲楽
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60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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