人を幸せにする人になろう

8月11日(山の日)久津川車塚

◆世間は休み。晴。自分。造り出し北斜面、道上・阿部(市大)、コンマ1・吉村・木下(立命)、相馬(近大)、田口(奈良大)。谷筋部、園原・土井・安藤(立命)、泉(奈良大)。来客、大阪府原田氏。
◆今日は人数おり、北斜面の黄色土と転石を、ざっくり・ひととおり剥いでくれました(写真1、15:58)。い や~、たいへんな土量を稼いでくれ、西寄りでも列石がきれいにでてきました。いちばん斜面長の長いところで、ここがアラアラ、生きた葺石面まで露呈させることができたことは大きい。
◆谷筋部は、昨日まで囲いの両側に堆積土の山が残っていたが(写真2、10:46)、両側とも下がった。とくに後円部斜面側では、この堆積土の下から埴輪片が顔をのぞかせていたが、「囲い」までの間、密に埴輪片が連続する様相を露呈させることができた。囲いの角部、入口部、建物の支えと考えている斜め柱が新たに6本出て、計7本となる(一部は鰹木とも)。また棟の鰭飾りかと思われる破片もあり、家が、とも思うが、現時点では「囲い」破片かと思われるものが多い。「囲い」は大きそう。
◆本日、掘っていく中で、後円部側・造り出し北斜面側とも、縦の列石が、この埴輪集中部で斜面から平坦面に移行し、造り出し谷筋の途中に平場が設けられているらしいとの見込みとなる。後円部側・造り出し斜面側とも、縦列石以外には、斜面裾に石が横にきれいに通るという状況ではないが、全体として平場となっている。そしてよく見ると、谷筋に直交して列石があり、「囲い」を据える空間を画しているらしい、ということがわかってきた。こうした谷筋途中の「囲い」を据える平場は、心合寺山でも検出されているらしい。いまのところ谷筋上方側の直交方向のみで、後円部側で谷筋平行のならびかと思われる石がある段階で、「囲い」を据え置く空間が列石で方形に画されているかどうかはわからない。また、平場といっているものが、どういう範囲で、どういう形状で、どのように下位と区別されているのか、あるいはダラダラまた斜面に移行するのか、そのへん は定かでない。が、およそ明日、判明するだろう。滝があって水車形埴輪があって、ウソですよ~。
◆「囲い」そのものも、埴輪片は倒れている状況で、裾部が立っていると認められるものはない。また石と埴輪もかみあっているようなところもある。据え置くには平坦にしつらえていると思われるが、現状は石があり、埴輪片が散乱している。石をどこまではずしたらいいのか(その前に図面がいる?)、もうすこし谷筋下方も掘り上がり、石と埴輪のからみ具合を把握して、平場や「囲い」の囲みや、原位置のものなどがわかってきた段階で、次の手を考える必要がある。埴輪片は造り出し北斜面側にはあまりなく、後円部斜面側に倒れたものと思われる。
◆本日の作業終了時点で写真を取っていませんが、15:59段階の谷筋部の写真を出しておきます(写真3)。本日・そして明日は、前半戦の山場かもしれません(後半はくびれ部の検出でしょう)。後円部側の葺石はかなり出してきており、本日、先にも書いたが、造り出し北斜面の葺石がほぼほぼ出てきて、谷筋まで両側の斜面がもっとも長いところが大きく進展した。全体の1/3くらい、あるいはそれを越えるところくらいまでは来たか。まだ手の着いていない西側の深掘り部は、ほぼ緩やかな底面で、幅も限定された範囲である。来週いっぱいで、おおよそゴールできるかも知れない。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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