人を幸せにする人になろう

2016年8月12日(金)久津川車塚

◆晴れ。自分。道上・阿部(市大)、大澤・園原・吉村・安藤・木下・3回生もう一人・吉田(立 命)、泉・田口(奈良大)、相馬(近大)。
◆石との戦いを継続。みな手首が痛い。造り出し北斜面は、昨日に続いて斜面下方におよび谷筋部の緩斜面部に達する。後円部斜面は、調査区上方の壁沿いの石を出し、屈曲部におよび、屈曲部から下の緩斜面部に達する。全体としてみれば、斜面部、「囲い」のある緩斜面部と、明瞭に画されるわけではないようではあるが、しかし次々に葺石が積み重なる斜面部から、転石が堆積している緩斜面部に移行してきている。これら転石があるために、より平坦に見えているわけで、これらをはずしていけば、谷筋部の石集積だった、ということになるのかもしれないが。埴輪集中部の上で検出している谷筋列石も、埴輪が途切れたあたりから下で見えてきてはいない。 谷筋ラインは、途中で屈曲するように前は見えたが、そうでもないように思われる。その延長方向はけっこう北壁に近いあたりまで進みそうで、くびれ部が調査区に収まっているか、微妙かもしれない(コンマ1を起用する必要もあるかもしれない)。
◆「囲い」を据えている集中部は、谷筋直交方向に見える石のならびがあり、それと直交するような谷筋平行の造り出し北斜面側の、比較的大きな石の列が認められる。が、後円部斜面側および谷筋下方側ではよくわからない。転石が埴輪を壊し、集中部にいくつか入り込んでいて、こうした石の隙間に埴輪片が入り込んでいる。現状で、「囲い」裾片で、立った状態の原位置と思われるものはない。全体にいま露呈させている埴輪たちは高く、もうひとつ下に、「囲い」を据える平場があり、そこに残る裾部片が出てく るのかもしれない。石や埴輪片を除くと、遺構としてすっきりした空間 が検出されるのかも、そこに原位置埴輪があるのかどうかも、現状では不明。ミーティングでは、いますこし石をはずす精査をして、そこで記録という話になった。早めにやって図面を書いて取り上げて、下に進む必要がある。
◆葺石検出の全体状況を示しておきます。アラアラ出し、上に戻って目地のほじくり、それの繰り返しであるが、調査区の半分近くまでは進んできた。来週もアラアラ出しを進め、くびれ部、造り出し北辺裾ラインを捉えられれば、ほぼゴールが見えてくる。墳端外の石敷きはあるとみるべきで、基底石の外にきっちり残る石敷石と、上からの転石および石敷きでも遊離したもの、これらの峻別が課題となるが、まずは基底ラインの目途が早めに立てば、と思う。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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