人を幸せにする人になろう

2016年8月31日(水曜日)久津川車塚

◆快晴。秋めいて過ごしやすいのではあるが、午後後半は西日できつい。参加。城陽市担当者。自分。道上・伊藤(市大)。園原・木下・日下(立命)。泉・田口(奈良大)。相馬(近大)。見学。日本大学一行(引率H氏・Y氏)、ロシア研究者、福島大K氏。岡大院生。
◆朝、10:30過ぎからの見学者があるので、葺石を全面開ける。壁はむしろ乾かないよう保護。全員、テラス面に。自分は資料をプリントしようとするもPCがバッテリーアウトでやめ。昨日掘り上げたカコイラのところ。レーザースキャン時と変化したところについて、範囲を泉さんにシールをはって示してもらい、そこのフォトスキャン用の撮影をする。→レーザー陰影図で平面図の準備をしているが、変わった範囲はフォトスキャン画像に置き換えたい。
◆さてテラス面。調査区上端の葺石、上段裾部付近の撹乱?部の精査、テラス面の礫出 し、 埴輪廻りの精査、そこから調査区下端へむけての盛土面出しと、それぞれやってもらう。途中の写真を出せてませんでしたが、ほぼ全体像はわかってきた。晴で西日がコウコウと当たっているでしょ。暑いっす。上の写真は15時段階(後述の撹乱内の石はまだある)。一番手前に埴輪列があり、4個体分が入るも、1個は抜き取られている(抜き坑はぜんぜん掘り切れていない)。上に葺石があり、その間の礫敷をご覧あれ。
◆いちばんめんどくさく、難しいのは礫出し。ほんま礫をぜんぶ取り上げて、盛土面まで出し、礫を上に敷き詰めたい!、気持ちである。礫は動き、また浮きしており、基本は流土中にある。確実な盛土面に載るものもあろうがわずかで、確実な盛土面まで出すと、ぜんぶ礫は浮くだろう。やれることは土を除去し、礫のない土部分を下げ盛土を出し、それからするとやや浮いているような格好でも礫面を残していくほかはない。礫に高低差が生じても、できるだけ石が敷き詰められているように仕上げる。すこし差がつきすぎると、上の礫をはずし、下の土を下げて石を戻す、といったようにすることだ。
◆現状で言えば、埴輪の外50㎝程度は礫敷きが残っていそうだが、そこから下方はやや緩傾斜となっており、テラス面が流れている。
◆さて上段基底部。本日、基底部付近について、道上・園原に掘ってもらい、バサバサし た土に葺石転石が入った状態が下に続くので、ちょうど傾斜変換の裾部に大きな撹乱が入っているとの認識に達した。残してきた石をガバチョと取り去り、撹乱底で盛土面を確認(写真)。今日は、基底石だっただろう大石2石のところまでの掘削には至らなかったが、これらも、この裾部に坑を開ける人的行為の際に、出くわした石をはずして掘り込み、そのあとに放り込まれたものだろう。この2石、埋め戻しの際に基底石風に推定位置に置いてもいいが、基本的に確認後、取り外すんだろう。この撹乱をはさんで、上に生きた葺石が、下に残存礫敷の始まりが来る、そういう仕上げになるだろう。
◆1ヶ月が終わりました。なにやら、自分も含め、皆、くたびれてます。

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雲楽
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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