人を幸せにする人になろう

2016年8月4日(木)久津川車塚

◆灼熱地獄 城陽市担当者 自分、長友、道上・阿部、大澤(午後)・武嗣・安藤・木下(午 後)・万寿、泉・田口(こんだけでしたっけ)
◆朝、壁の成形。西壁の犬走り成形。あとは上ではミニヅル等で石の間の黄色をはずしつつ、調査区中央より下では、厚くまだある黄色を、スコ、バチでドカ掘り。明日、重機は帰ってしまうので、とにかく今日1日は、厚い黄色をできるだけ除去し、重機に排土してもらうことに専念する。ほぼ全面で黄色の下の灰砂が顔を出してきており、そこまでを排土する。今日1日の進捗が大きいので、もはや朝の記憶も定かでないが(ひとつ目の写真が昼前)、結論は、ほぼ調査区西端まで、あらあら黄色を除き、灰色が顔をのぞかすところまで、全面にわたって完了する(むしろ3日までの上部のところに黄色を残す)(下の写真が15:30)
◆2日くらいから既に破片は上がっていたようだが、3日に囲形埴輪もすでに座っていることが確 認されていた。あらあら、早い!。3日までに両側斜面は転石を残した状態ながら、隅石を上の続きから追いかけてきたようだ。なので現状は、谷部のみ深くなっている。谷筋にそって大石がならんで検出されており(また写真は出します)、それが途中で角度を変えて西寄りとなり、その谷筋に沿って囲いが鎮座ましましている。3日までの上げた埴輪にはトゲや入り口部の破片も含まれる。現在は、立っている壁になるかと思われる破片を含め、ちゃんと方形とはなっていないが、ほぼ裾部に近い部位が現場にあり、精査まで守るべく土嚢を置いて、しかるべき時期まで封をしておいた。
◆調査区内にくびれ部が入り、造り出し北辺の裾部も調査区に収まることも確 実である。ただし、北辺の西行きがどこまで伸び、隅角部が収まっているかどうかは未確定である(アバウトなイメージを、写真に線を入れて説明しておきます。この写真は本日の掘り上がり最終のものです)。調査区西端部は墳端外の礫敷が想定されるが、今日、黄色をはねた段階でも、下に拳大よりやや大きい礫が密にかんだ状態で顔をのぞかせており、そうはずれないような感触もある。むしろ上の、斜面中途部分に転石がのっかっていて、このへんはかなりはずさないと下が見えてこないだろう。
◆明日は、現場まわりの整備や、今日も一定やったが、4m下までの斜面のシートを固定したり、来週までは斜面の勝負なので、いじらない範囲のシートを貼ったり、いますこし環境整備が必要。それをした上で、さて、どっちの斜面から手をつけようか思案のしどころである。

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プロフィール

HN:
雲楽
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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