人を幸せにする人になろう

2017年8月29日(火)最高気温33度

◆参加者。城陽市担当者。工藤さん、自分、長友さん、阿部(市大M2)、園原(立命M1)、山本(立命4)、合田・松井(市大3)、山崎(立命3)、池口(同志社3)、中谷(京都橘3)、上野(奈良大2)。
◆17-2トレンチ。埴輪の掘形や樹立埴輪の清掃にあたる者をのぞき、全員葺石にかかる。旧表土を突破すると、葺石材がバラバラと全体に出てくる。あいかわらず埴輪片は多い。上半部では、浮いている石をのぞき、前方部側でかみあった葺石かと思われるものもあるが、後円部側は遊離していて攪乱が大きいようである。まだ、どこまで本来の葺石が残るのか、全体像が明らかになっていない。が、昨日に比べ、確実にかなり遺構面に近くなった。、出てくる石材の判断をしながら、明日あたりには攪乱穴は穴で葺石なし、残っている葺石はこれと、おおよその遺存状況がわかるだろう。
◆17-1トレンチ。昨日の終わりに、拡張区隅部の黄色が、それなりの立体物と見まれたので、さらに精 査。そうすると、基底石に接する半円形の木質から柄のようなものがのび、隅部の黄色とくっつき一体化した。木製鐙か、ということになる。写真撮影、標定点打ち→フォトスキャン用写真。最初に竹竿、と言っていたものも、「鐙?」とよく似ているようにも思う。昨日までは、何かわからん残存物で、むろんモノはなんとか取り上げ、材質鑑定や年代測定をやってみるが、それくらいかと思われた。が、俄然、馬具かもしれないものがあるとなると、素人では取り上がらないし、元興寺の塚本さんに電話し、夕方に見に来てくれることになる。(摂南大による葺石再撮影)。
◆塚本さんの見立て。弓と鐙。そこの基底石2石が数㎝高くなっており、どういう仕掛けになっていたか考えなくてはならない(高まっていた?/なにか台状のものがあった?/etc)。陸橋のセンター付近で、最後、墳丘へ向けて器物を置き納めたような場所ではないのか、と。なR。取り上げ可能な日程調整はするが、陸橋基部にブツを置いたとすれば(続きがありうる)、こうした部位を調査した事例自体が少なく、まして器物の配置などおそらく初めての確認で、全容を解明しておくことは重要ではないか、と。つまりは、来年度、対岸の堤側で幅を決めようと思っていたが、今回の墳丘側について北側にさらに開けて追及すべきでは、という提案。とすれば、いま取り上げなくてもいい、との判断もあると(北壁側および葺石基底部側が切り取れないという取り上げの技術的な問題もあり)。→要相談。
◆17-3トレンチ。17-2トレの葺石に過密な人数が入っており、工藤さんに17-3トレを開け始めてもらう。

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前方後円墳が好き
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性別:
男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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