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2018年7月26日(木)佐紀陵山の陸橋を見てきました

◆前方部西陸橋の宮内庁書陵部佐紀の事務所が新たに南の位置に移設され(写真)、旧事務所を撤 去。その箇所の見学会に参加してきました。いまの陸橋上面は40㎝くらいは浚渫土が盛り上げられ高くなっているようだが、そこから、そこそこ、1971年の事務所設置時に基礎が穿たれている。その時、掘り進んでいると、陸橋上面の埴輪散乱にでくわし、奈文研が調査し、持ち帰られた埴輪は組み上げられ、書陵部の展示会の表紙を飾る大型盾形埴輪となる。今日の担当者の話では、いまの建物の5m×6mの掘削の墳丘寄りの部分で、列をなすように埴輪が出土したようである。工事が進み、研究所が調査したのは埴輪の検出段階ではないような話だったが、そのへんはいずれ『書陵部紀要』でまとめられるだろう。聞き漏らしたが、1972年にも、その続きの南側で楯の基部が間隔を空けて立っていたようである。
◆地山の理解で意見が出た。わたしも上まで地山のように思われた。大阪層群の専門家に見てもら うとよい。それと陸橋を横切る断ち割りが入っているわけで、稀有な所見がえられる。東壁南北断面は、きれいに整え、きっちり線引きし、鮮明な写真と、しっかりした層位図を残すべきだ、と発言。機械で基礎を撤去した壁を一定きれいにしているとはいえ、下は遺構なので(地山だが)掘り下げる必要はないが、壁は美しい壁面に整えるべきではないか。そうでなければ、ちゃんと線引きもできまい。それと、奈文研の記録も含めて、この箇所の正式報告をしてほしい。

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プロフィール

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雲楽
年齢:
60
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男性
誕生日:
1964/03/22
職業:
大学教員
自己紹介:
兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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