人を幸せにする人になろう

402年しか定点がないというが

◆奈勿王第3子の未斯欣が倭国に人質として送られたのは、『三国史記』新羅本紀および列伝では実聖王元年402、『三国遺事』では奈勿王36年391?390?、だそうだ。
◆で、『日本書紀』神功即位前紀というのだろうか、そこに、上に対応する人質が送られた記事がある。この人物、のちに倭をだまして新羅に帰還し、また没年も記されている。まあしかし、402年が正しいとみられているらしい。坂本義種を読まなければならない。
◆で、『日本書紀』と『三国史記』にともに記録されたことであることは重要だろう。だが、それをもって、神功紀を5世紀初頭以降にあてることは妥当なのか。普通は、正確に伝わっていなかったこの人質の記事を、神功による新羅侵攻にひっかけて採録した、と考えられているんだろうと思う。
◆百済関係記事の方が多く、そっちもそっちで共通性が確認できるんだろう。神功紀は4世紀後半として配列されていることは、普通は事実とみなされているに違いない。
◆詳しいことはわからんが、未斯欣の記事のみをもって、『日本書紀』神功紀なんてもっと後のことだよ、なんて、普通は困難なのではないか。少なくとも、百済関係記事はいかように説明できるのか表明される必要があろうし、402年でもって全体に下げて、これこれ整合的に説明できる、ということが述べられねばなるまい。これはたいへんなことなのではなかろうか。

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雲楽
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1964/03/22
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兵庫県加古川市生まれ。高校時代に考古学を志す。京都大学に学び、その後、奈良国立文化財研究所勤務。文化庁記念物課を経て、現在、大阪の大学教員やってます。血液型A型。大阪府柏原市在住。

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